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——瀬戸際①


 警察署内のデスクで新聞を顔の上に乗せて眠っている刑事の横に、若い刑事がやって来た。


「先輩、ちょっとお話があるのですが」

 他の者に聞かれないよう新聞越しにささやくと、眠っていたかに見えた刑事は左手でひょいと新聞を持ち上げて若い刑事に視線を向ける。


「ヤツの自殺の話ならお断りだぞ」

 そう言いつつも、顔に乗せていた新聞には元警視監自殺の記事が書かれている。


「残念ながら関係のある話です……外、行きませんか?」

 刑事は新聞をデスクに戻して大きくため息をつき、胸ポケットからタバコを一本抜き出し火をつけた。


「明らかに不自然な自殺だってことなら署内の誰でも知っているが?」

「いえ、もしかすると自分もこの件に関わったのかも知れない、と……」

 それを聞いた刑事は、今火をつけたばかりのタバコを灰皿に押し付ける。


「分かった。例の件、ニンドウ(任意同行)の手続きに入るんだな」

 わざと周りの者にも聞こえるように言って立ち上がり、若い刑事の背中を押して署の外へ出た。


「で、さっきのはどういう意味だ?」

 人に聞かれないように歩きながら問いかけると、若い刑事は口をつぐむ。


「お前さんからゲロしたことだぞ。

 ここは取調室じゃないから力ずくで吐かせられんが、観念して言っちまいな。そのほうが楽になるぞ」

 冗談めかしで問いただすと、若い刑事は足を止めた。


「ネットでひどい誹謗中傷を受けた芸能人が何人も自殺した事件がありましたが、あの匿名で誹謗中傷した大勢の人間は罪に問われないのでしょうか」

 拳を握りしめる彼を見ながら、刑事はポケットからタバコを出して口にくわえる。


「ふーっ。さあな。取りあえず今の日本にはそれを禁止する法も、取り締まる法もない。

 直接手を下さない限り、犯罪は成立しないだろうな。聞くまでもないかもしれんが、お前さんは誰を追い込んじまったんだ?」


 若い刑事が口にした名前とそのいきさつを聞いた刑事は、三本目のタバコに火をつけた。



「……なるほど。それでお前さんは総合病院の院長を追い込んだスレに俺の話を書き込んで、警察がプロバイダに情報開示を求める際に証拠を見つけやすくするために、目星をつけたヤツのIPアドレスをリアルタイムで調べておいたと」

「あの少年がアクセスしていたのなら少しでも証拠固めになりますし、それに流れ的にも院長の時と違って、氏ねといった流れではなかったので安心していたのですが」

「そのへんの経緯は署に戻ってから内容を検討しよう。しかしなあ……おっと、ここから先は立ち話もなんだ。その喫茶店にでも入るか」


 二人は奥のテーブルに座り、ホットとアメリカンを注文した。しばらくして運ばれてきたものに口をつけたが、不味くもなく美味くもない、これといった特長のないものだった。

 店長かアルバイトか分からない者は、カウンター内で暇そうに店の漫画雑誌を読んでいる。

 おかげで店に客は少なく彼らの話に聞き耳を立てる者はいない。


「お前さんも知っているように、ヤツの自殺は自殺じゃない。

 懲戒免職になったヤツが、腹いせに警察庁から盗み出した資料で警察と暴力団、右翼の癒着の証拠をぜんぶバラすと息巻いていたのは周知の事実だ。

 同じことを父親から盗んだ現職の政府役人、大臣の連中の汚職資料をばらまくと言っていた。これがどれだけ危ないことかはお前さんも知ってるだろう?」

「また明らかな殺人事件の自殺扱いですね。それこそ先輩が一番許せないことでしょう」

「ああ、考えただけで虫酸が走る。だが、今回の件でそれさえも偽善だったと思い知らされたんだ。

 正直言って俺は、ヤツが自殺したと聞いて残念とは思わなかったんだ。

 そして現場の報告書に目を通して自殺じゃないと分かった時、あろうことかザマアミロにも似た気持ちだった。

 だがあれから三日たって、今度は逆に自分に嫌気がさした……どうせなら俺の手でやりたかったと、心のどこかで思っている自分の気持ちに気づいてな。

 その意味で、俺はお前さんのやったことに罪を問える立場じゃない」

「先輩……ですが、それって人間として当たり前の感情じゃないんですか?

 息子さんが殺されたのに、その原因となった張本人がのうのうと暮らしているなんて考えたら、恨んだり仕返したいと思うなんてことは、やっぱり当たり前です」

「俺はあくまで警察の人間だ。息子を殺したのは犯人であってヤツじゃない。それを取り違えたら法律は法律じゃなくなる。

 だが、やっぱり感情は抑え切れないってことだな」

 冷えきったアメリカンをグッと飲み干して、すっかり氷の溶けた水で口をゆすいだ。


「お前さんが話してくれたおかげで、俺の気持ちも少しは整理できた。

 さて、それじゃあいよいよ例の少年に会いに行くとするか。ここはお前さんがおごっとけ、それで俺も今の話を忘れてやる」

 合計840円の価値もない味の伝票を若い刑事に押し付けて、中年の刑事は通りに出て大きく伸びをする。




 以前、備品倉庫で証言した際に教えておいた携帯番号へあの中年の刑事から、「少し尋ねたいことがある」と、学校帰りに通りかかる公園へ呼び出された。

 公園へ立ち寄った僕より先に、夕暮れの中で二人の刑事が待っていた。

 いったい何の話だろう。彼らの真意がどうあれ警戒するに越したことはない。僕が警察を嫌っているのは彼らも知っていることだし、怪訝な顔をしてもおかしくはない。むしろそのほうが自然だ。


「急に呼び出して悪かったね」

「いえ、特に用事はなかったので。尋ねたいこととは何でしょうか?」


「これに見覚えはあるかい?」


 中年の刑事がくわえ煙草のまま差し出したのは、一枚の紙切れ。

 僕がヤツを大型ゴミの日に箱詰めにして出す際、回収する人が重さを不審がらないようにするために貼り付けた手紙だった。


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