——計画
僕をイジメていた主犯のヤツの居場所は以前から分かっている。
ヤツがやっていたTwitterとFacebookはずっと追いかけていたんだ。
父親の院長が自殺し引越して以来、どちらもなりをひそめていたけれど、最近またTwitterを始めやがった。
ただし復活したのはTwitterだけで、本名と素顔をさらすFacebookは放置したままだ。
まあそんなことをしなくても、犯罪者の家族がその後どこへ引越したのか暴くサイトがあり、そこにしっかり書かれているんだから、わざわざ追いかける必要はなかったんだけど。
笑えるのは、二人目のやつが病院で殺されてマスゴミどもに騒がれ、父親の経営が傾き始めると同時にフォローし合っていたイジメの仲間どもからフォローが次々外されていったこと。
へたに関わって自分も犯罪者の仲間になりたくないというだけでなく、金の切れ目が縁の切れ目というのが現実だ。
イジメ仲間だけでなく、こいつにヘイコラしていた他のクラスの奴や先輩・後輩も、手のひらを返したように近づかなくなったからな。
ヤツが逃げた先は遠縁に当たる親類の家で、隠れるように住まわせてもらっている。
院長が羽振りを利かせていた時はバカでかい家にメイドを雇って贅沢三昧していたヤツが、肩身の狭い思いで「住まわせてもらっている」だなんて、まったくいい気味だ。
だけどまだあせってはいけない。
二つの捜査本部が解散したということは、僕に疑いの目が向かなくなったと同時に「僕にも疑いの目を向けるだけの余裕ができた」ということなんだ。
ヤツの日常はTwitterによってこれまでのやつらと同様、毎日の動きを監視することができる。
調べる時間を長くとり、行動パターンを把握すれば、いつ、どこでヤツを誘い込めるか狙いやすいんだ。
下準備としてgoogl Mapの衛星写真を頼りに周辺の建物や施設、さらに広範囲の施設の場所を丹念に探してから、実際にヤツが住んでいる家まで赴いて現場の雰囲気を確かめた。
それでも家の近くまで来ると、行き交う通行人でさえヤツを守ろうとする警察の張り込みじゃないかと思えて、必要以上に用心して怪しい行動をとってしまっていないか何度も自分に言い聞かせた。
なんせあのリストに記された最後の一人だ、警察が目を光らせている可能性は十分過ぎるほどある。
だからこそ最悪のケースを想定してかからなければならない。
結果がどうあれ、どこかで何度も聞かされた、「想定した以上の事に対する備えや認識が甘くて今回の大被害を引き起こしました」などと、人をバカにした物言いなんて僕は絶対にしたくない。
ガキが後出しジャンケンで勝ったことをイキがるような、情けない言い訳なんてあまりに無様だ。ましてそれを大人がするのは恥ずかしすぎる。
そもそもヤツは、これまで始末してきたやつらとは根本的に違うんだ。
いったいヤツが僕に何をしたか。
答えは「何もやっていない」
そうだ。
実際に手を下したという意味においては、本当に何もしていない。ではヤツがしたこととは、簡単だ。
「した」のではく、口先だけで「させた」だ。
きっかけは確かに女の屈辱を晴らすためだけのものだった。
だけどイジメる獲物がいると知ったヤツは、当時の親の金と権力をバックに、仲間のやつらに「もっとやれ」「その程度しか出来ないのか」「びびってんじゃねえぞ」と、手は一切汚さずにけしかけた。
手を下すやつらには「僕を人間だと思うな」と言い、少しでも気後れしたり躊躇したやつは腰抜けと罵倒して暴力を振るった、それから逃れるためにやつらはどんどんイジメの残虐さをエスカレートさせやがったんだ。
そんなことを続けるうちに、やつらの頭の中の善悪のタガが外れ、「この程度」「この程度」のハードルが積み重なって、いつしか限度知らずのイジメに結びつくことになった。
だからこそ、ヤツだけは許さない。
何より許せなかったのは、もし僕の両親がヤツの病院に行くことがあれば、
「絶対にばれないよう医療ミスしてやる」
「親子そろって俺の暇潰しに殺してやる」
「俺が手を下す訳じゃないし、だいたいばれても警察の上に息がかかっているんだ。何もできないようになっているんだ」
と言いやがったことだ。
この時、僕はヤツをふくめたあいつらを始末する決断をした。
僕や僕の家族のためだけじゃない。ヤツを生かしておくと、たくさんの人が暇潰しで殺される。
そしてその家族は深い悲しみと、行き場のない恨みしか残らなくなるんだ。
「てめえなんて、生きてるゴミだ」
ヤツは僕にいつもそう言った。
だから僕も「人の苦しみが想像できないヤツこそ、生きているゴミだ」と思うことにしたんだ。
僕はあの仕掛けをどこに仕込もうかと、慎重に計画を進める。