——最終段階へ
「完全にやられたな」
中年の刑事は空になったタバコの箱を握り潰す。
「全くです。我々は備品倉庫殺人事件にかかりきりでしたからね。それに、校門に警官を配置していただけに油断していました」
「そっちじゃない。毒鍋殺人がヤツらの担当になったことだ」
デスクから新しいタバコを取り出し、一本抜き出して火を点けた。
チラリと見えた引出しの中には、同じ銘柄のタバコが何カートンも押し込まれている。
「仕方ないですよ。上から直々のご指名ですから」
「ふん。あんなエリートのキャリア様に何が出来ると言うんだ」
「だったら早く君の担当事件を解決するんだな」
彼らの背後に恰幅のいい男が立ち、中年刑事の肩を立ち叩いた。
「あ、警視。これは気がつかずに失礼しました」
若い刑事はあわてて敬礼したが、中年のほうは座ったまま大きく煙を吐き出した。
「まったく。意地を張らずにさっさと現場から離れて出世しておけばそんな愚痴を言うこともなかっただろうに」
「すみませんね。世渡りが下手なもんで」
「本当だな。同期だからこそ君のわがままを大目に見ているんだ。
少しはキャリア組とも仲良くやってくれないか。彼らは皆、将来の警察組織を背負って立つ者なんだ」
「ああ、だったら日本の警察の将来は真っ暗だな」
警視はため息をついてこの場から立ち去った。
「先輩はどうしてそんなにキャリア組を嫌うんですか。警察組織にいる以上、表立って彼らと対立するのはいい方法とは思えません」
「なんだ。いつもはお前さんも嫌がっているくせに」
「そりゃあ心良くは思っていませんけど、やっぱり出世はしたいですから」
「だったらさっさと俺から離れちまいな。お前さんも同類と思われるぞ」
「自分は先輩の刑事としての誇りに惹かれたんです。
出世もしたいですが、誇りに思えない仕事をしたくはありません」
言い切る若い刑事を見ながら、タバコが山盛りになった灰皿に押し付けて「バカだな」とつぶやきながらも口元は嬉しそうだった。
休憩から二ヶ月が経ったある日、事態は急転直下した。
僕にとってもまったく予想外のことで、正直あせったと同時に、偶然の恐ろしさに身震いしたほどだ。
警察が毒鍋殺人事件と呼ぶ捜査で、鑑識によってあいつらの一人が着ていた服、リサイクルブティックに放置したシャツからルミノール反応、つまり血痕が発見された。
もちろんそれは僕の血ではなく、僕がマンション前で頸動脈をナイフで欠き切った五人目のやつの血だ。
そもそも僕は最初から痕跡を残さないように血が飛ぶのを極力おさえていたし、何より女が「部屋が汚れるのは嫌だ」と言い張ったおかげで大小便はトイレで出来たし、精液もティッシュごと回収できた。
さらにそいつが着ていたシャツから、備品倉庫に使われた金属片と同じ成分の金属粉が発見されたことで、五人目と先輩の二つの事件に、こいつと一緒に死んだ二人が何らかの関係があるのではと判断されたんだ。
そりゃあ僕はあのシャツを着て工場地域を歩いたんだ。金属粉が付着する可能性はあった。
だけどまさか、あのリサイクルブティックでシャツを買ったのがあいつだったなんて、こればかりは想像だにしなかった。
状況証拠に追い打ちをかけたのは、シャツを着ていたやつの死因が主に青酸カリを飲んだことで、あとの二人は毒鍋を食べたことによるもの。
実は三人は共犯だったが、「主犯」であるシャツのやつが二人を口封じのために殺害し、自身も自殺したのではないか。
女の胎内からも二人の体液が多く採取されていることと、付けていた首輪から女が逃げられないようにしたのではないか。
また、青酸カリはイジメをしていた本当の主犯格のあいつが病院から盗み出したのではとの疑いから、やつを問い詰めたところ「あったかもしれない」と答えたが、すでに廃院しているため資料はなく、真相は闇に消えたものの入手経路に一応の筋が通ったため、警察はシャツのやつを二つの事件の主犯として結論付けた。
さらに現場の室内で見つかった人工の毛髪と思われるものは、女が密かに趣味にしていたコスプレのウイッグに極めて似ているため、鑑識の対象外となったらしい。
僕をキモイなどと罵っていた女自身にコスプレなんてオタク趣味があったことはどうでもいい。
ただ、あの時すべて回収できなかった髪に疑いの目がかけられなかったことに胸をなでおろした。
だけど、どうやらただラッキーと楽観できるものではなく、警察内部にはどうしてもこの毒鍋殺人事件を早期に解決しなければならない事情があったようだ。
これでひとまず二つの捜査本部は解散。
僕に疑いの目を向けられることはなくなった。
そう、やっと最終段階へと移れるんだ。