——警察と先生②
「これは刑事さん、お待たせしました。何やら捜査で私に協力できることがあるとか」
診療が終わるまで院長室で待っていた二人の刑事に、四十代半ばだろう院長は爽やかな笑顔を向ける。
「お忙しいところどうも。まあ協力と申しますか、あなたの患者さんについて二、三うかがいたいことがありまして」
名刺を交換しながら、中年刑事の言葉に院長は顔を曇らせる。
「うちの患者さんに何か問題でも?」
「いえいえ。治療に問題があった訳ではありません。患者さん自身のことで質問したいことがあるんです。この少年をご存知ですね」
ちょっとした医療ミスでさえやり玉に上げられる昨今、最初の笑顔とは打って変って眉をひそめる院長に、刑事はあわてて否定し、一枚の写真を机に置く。
「彼が、どうかしましたか?」
「いえ。例の連続殺人事件、彼の学級担任が犯人だった事件についてクラス全員の調書を作っているのですが、最近までいわゆる引きこもりだった彼に話をうかがったところ、先生のおかげでまた登校できるようになったとか。
青少年犯罪も手がけている我々としても是非お話をうかがいたいと思いまして」
「そうでしたか。私の言葉で彼が立ち直るきっかけにってくれたのなら、それに勝る喜びはありません。
初めて彼に会った時は、このままではいけないと思いましたから」
「どう言ったところがでしょう?」
「あの当時の彼は、とても暗い雰囲気をまとっていました。
両親の話では彼自身必死に頑張ろうともがいていたそうですが、心の奥に簡単には取り除けないトラウマを刷り込まれていて、放っておけば最悪の場合、自殺しかねないほどでしたね。
彼に描かれていたイジメの刺青はご覧になられたと彼から聞いていますが?」
二人の刑事は無言でうなずく。
初めて彼に事情徴集に行った時に見せられた額と頭を思い出す。自分ならあんなものを体に彫り込まれたとしたらとても人前には出たくない。
もし一生消えないとなれば、確かに自殺さえ考えるだろう。
「あの頃の彼は、誰も信じられない、誰も自分を救ってくれない。そんな精神状態にいました。
ですから私は医者として、ただ刺青を消すだけでは本当の治療にならないと考えたんです」
刑事はまたうなずいて院長に続きをうながす。
「彼自身のことで両親に経済的負担をかけていることを知り、本来必要な治療費もいただかないことにして、まず目に見える形で私を信用してもらうことにしました。
それからはゆっくり時間をかけて、人の大切さ、ありがたさを話かけていくうちに次第に彼も心を開いてくれて、私の話に耳を傾けてくれるようになり、初めて出会った時のようなくらい雰囲気は徐々に晴れていったのです。
まあ、おかげで彼が治療に来るたびに赤字になるのですが、それよりも医者としても喜びのほうが勝るので、彼が来てくれるのをいつも楽しみにしていますよ」
院長は本当に嬉しそうな笑顔を見せた直後、刑事たちにすっと真顔を向けた。
「それで、本当に私に聞きたいことは何でしょう?」
「やはり分かりますか」
中年刑事は唇を歪ませて笑った。
「いただいた名刺には捜査一課とあります。凶悪犯罪を主に担当されておられる刑事さんが、イジメを受けていた少年の立ち直る姿を、ただ聞きに来られたとは考えにくいですからね。
私は美容クリニックが専門で、正式に認可されている専門医の先生とは扱いが違うのでしょうけれど、この診療科目で刺青を消す仕事を長年やって、ある程度有名になりますと、いわゆる暴力団に関わった方も来られるんです」
「元捜査四課とも関わりがあるということですか。それなら話は早い。
何の確証もありませんが、はっきり言って我々、と言っても警察の全てではなく、二人だけは一連の事件にあの少年が何か関わっているのではないかと考えているんです。
そこで彼が心を開いている先生なら何かご存知なのではないかと、こうしてうかがった訳です」
「なるほど、そうでしたか……刑事さんならお分かりになるでしょうけれど、人を殺めた人間の持つ雰囲気はどれも重くて暗く、一言で言えば恐いものです。
ここに患者として来られる方の中には、明らかに普通の人にはない雰囲気を持っている方がおられ、お話を聞くと若い頃、ずいぶん昔に人を殺めた経験を持つ方もおられます。
また、それほどのお歳でなくとも、何年か刑務所で厄介になり、暴力団排除条例が厳しくなる関係もあって、出所後すっぱり足を洗うために刺青を消しに来られる方にも会ってきました。
ですけど、あの少年にはその暗さや恐さが感じられません。
あえて言うなら、ここへ通院する前の彼ならば、あくまで自殺するかもしれないという意味での暗さです。しかしこれまで彼を見てきた限り、それはあり得ないというのが私の率直な意見です。
もちろん事件解決のためには何でも協力しますので、必要ならカルテも提出します」
「いえいえ、ですから何もそこまで疑っているのではありません。
あくまで参考にですし、関わりが無い方が我々としても有り難いですから」
「そうですか」
院長はデスクから湯のみを取りすっかり冷めたお茶をすする。
「出来れば彼を疑っているという話は、彼の耳に入らないようお気遣いいただけませんか。
やっと少し人を信じる気持ちが芽生えてきたところなんです。
今また身に覚えのない疑いをかけられていると知ったら、今度こそ取り返しのつかないことになりかねません」
深々と頭を下げる院長に、刑事たちも約束してクリニックを後にした。
「いるんですね、世の中にはあんな誠実な人が」
「まあな。あの院長だからこそあれ程の目にあった少年が不登校をやめて、いまだにイジメの続く学校に行く気になったんだろう。
今回ばかりは俺の勘も鈍ったのかも知れんな」
「そんなことありませんよ。院長だって言ってましたよね。我々が初めて彼と会ったのは、彼がまだ通院する前。自殺するか殺人を犯してもおかしくない時期ですよ」
「まあな。ふん。相手がまだ未成年だというのが悔しいな」
「どうしてです? あそこまではっきり証言されたら、もう関係者の線は薄いでしょう」
「俺が何年刑事やってると思ってるんだ。人を殺した奴なんて腐るほど見てきた。その俺が引っかかると言ってるんだぞ。
これが大人だったら、飲み屋でうまい具合いに意気投合した振りをして馴染みのクラブへ連れ込んで彼女たちに紹介してやれるのに」
「せ、先輩。なに言ってるんです?」
「ホステスってのはなあ、人を見るのが商売なんだ。稼いでいるやつってのは例外なく相手の心を見抜く能力に長けているんだぞ。
お前さん、まさか今まで俺が連れて行ってやったクラブ、ただ遊んでただけだと思ってたんじゃないだろうな?」
「え! す、すいません。ただ飲みに連れて行ってもらっているものとばかり」
「このバカヤロウ。今度から彼女たちによく教えてもらっとけ。お前さんよりずっと人を見る目があるんだ。
どんな相手でも知り合った相手は大事にしとけ、それが巡りめぐって自分に帰ってくることもあるんだからな」
「はあ、でも帰ってこないこともあるんですよね」
若い刑事の答えに、ビシッとデコピンを返して深く吸い込んだ煙を吐き、携帯灰皿に吸い殻を詰めてポケットにしまい込んだ。
リストにはまだ消されていない名前がある。
何としても消させてはならない。しかし、今の状況で上はこれ以上の人員を割いてはくれないだろう。
「厳しいな」
「え? 何ですか先輩」
「何でもない。さっさと出せ」
助手席に深々と座ってシートベルトをつけた刑事は、無意識にくわえていたタバコに気づき、火をつけた。




