第五話:天国と地獄の境界線
「……あ、熱い、痛い……! 誰か、誰か助けて……!」
かつての栄華が嘘のように、腐臭漂う王宮の地下牢。そこには、ボロ布を纏い、泥水を啜りながら、ひたすら壁の「呪い」を素手で削り取るエドワードとリリアの姿がありました。
エルセがいなくなったあの日から、王国の呪毒は加速度的に膨れ上がりました。
今や王宮の柱一本に至るまで呪念が染み込み、触れるだけで火傷のような激痛が走ります。
かつて彼女を「不浄」と呼んだ彼らは、今や自分たちが「不浄そのもの」となり、終わりのない清掃刑を命じられたのです。
「エドワード様……もう指が動きませんわ……。エルセお姉様に、謝れば……きっと……」
「黙れ……! あいつが、あいつが最初からもっと分かりやすく説明していれば……!」
八つ当たりを繰り返す二人の元へ、時折届くのは隣国からの「号外」でした。
そこには、世界を揺るがすような幸福なニュースが躍っています。
『伝説の鑑定士エルセ様、聖王国の王妃に即位。列席した伝説の魔獣たちが、その歌声で国中を浄化したという奇跡』
魔法の水晶板に映し出されるエルセは、かつての陰気な面影など微塵もありません。
光り輝くドレスを纏い、隣には彼女を宝物のように抱き寄せるレオナルド王子の姿。
そして彼女の膝の上では、真っ白でふわふわなフェンリルと、誇らしげなルナがくつろいでいます。
「……あ。あああああ……っ!」
エドワードが絶望の叫びを上げました。
そこに映るエルセの指先には、彼が「偽物だ」と笑って捨てた国宝の首飾りが、彼女の浄化によって真の輝きを取り戻し、太陽よりも眩しく光り輝いていたからです。
一方、聖王国の王宮テラス。
私は、淹れたてのコーヒーの香りに包まれながら、穏やかな午後を過ごしていました。
「エルセ、またそんなに仕事をして。今日は公務を休みにして、森へピクニックに行こうと言っただろう?」
レオ様が後ろから私を包み込み、耳元で甘く囁きます。
王妃になった今でも、私の「鑑定」の力は、国中の不浄を払うために使われています。けれど、以前と違うのは、その後に必ず温かな抱擁と、美味しいお菓子が待っていること。
「ふふ、ごめんなさい。でも、フェン様たちが『ブラッシングの予約が詰まっている』って催促するものですから」
『グルル……(主よ、次は私の番だ)』
大きな銀色の狼が、私の足元に頭を擦り寄せてきます。
かつて、孤独に呪いと戦っていた私に、こんな日が来るなんて想像もしていませんでした。
「……ねえ、エルセ。君がこの国に来てくれて、僕は本当に幸せだ。君が守ってくれたこの景色を、今度は僕が一生をかけて守らせてほしい」
レオ様の手が、私の手に重なります。
その温もりは、どんな強力な浄化魔法よりも、私の心を深く、優しく癒やしてくれました。
「はい、レオ様。……私も、今が一番幸せです」
遠く離れた祖国がどうなっているか、もう今の私には分かりません。
ただ、目の前にある美味しいコーヒーと、愛する家族、そして最高に「もふもふ」な友人たちがいれば、それで十分。
私の新しい物語は、まだ始まったばかりなのですから。




