第四話:土下座されても、毛並みの手入れの方が大事です
私の経営する「鑑定士の隠れ家カフェ」の前に、場違いな軍勢が現れたのは、穏やかな午後のことでした。
「エルセ! 迎えに来てやったぞ! さあ、すぐに荷物をまとめて王宮へ戻れ!」
馬から降り、傲慢に言い放ったのはエドワード。
……けれど、その姿は見る影もありません。かつての端正な顔立ちは黒い呪いの痣で覆われ、高級なマントからは、隠しきれないドブのような悪臭が漂っています。
私は、フェンリルのフェン様のお腹に顔を埋めていたのを、ゆっくりと引き剥がしました。
「……どなた様でしょうか。うちは予約制なのですが」
「ふざけるな! 婚約者の顔を忘れたか! 国が、王宮が大変なことになっているんだ。お前が毎日やっていた『掃除』とやらをリリアがサボったせいでな!」
後ろに控えていたリリアも、ボロボロのドレスで髪を振り乱しています。
「そうよお姉様! 早くあの汚い呪いを全部吸い取ってちょうだい! 聖女である私にこんな汚れ仕事をさせるなんて、お姉様は本当に性格が悪いですわ!」
私は、思わず小さく吹き出しました。
「サボった……? リリア様、あなたは私の仕事を『誰でもできる遊び』だとおっしゃいましたよね。エドワード様も、私を『不浄で不要な女』だと追い出した。……今の王宮の状態こそが、あなたたちが望んだ『私がいない清潔な国』の結果ではありませんか?」
「くっ……! 言わせておけば! 近衛兵、この女を拘束して連れて行け!」
エドワードの号令で、兵士たちが一斉に踏み込もうとした、その時。
「——我が主に、汚らわしい手を伸ばすか。羽虫ども」
地響きのような唸り声と共に、背後にいたフェン様が立ち上がりました。
伝説の魔獣の放つ圧倒的な威圧感に、兵士たちは腰を抜かし、その場に崩れ落ちます。
「ひっ……!? な、なんだその化け物は……!」
「化け物? 失礼ですね。彼は私の大切なお客様で、ブラッシング仲間です。……ねえ、フェン様?」
フェン様がフンッと鼻息を吹くと、強烈な衝撃波がエドワードたちを襲いました。
「ぎゃああああっ!?」
泥まみれの地面に転がり、必死に命乞いをする王子。その姿は、かつて私を夜会で突き飛ばした時とは正反対の、惨めなものでした。
「ああ、そうだ。お土産に、これを差し上げます」
私は、飲み残しの「鑑定・浄化済み」のハーブ水を、彼らの足元に撒きました。
一瞬だけ呪いが薄らぎ、彼らの表情に希望が宿ります。……けれど。
「今の水で、一分間だけ痛みは消えるでしょう。でも、本質的な呪いを解くには、私の『鑑定』と、十年の歳月をかけた丁寧な解毒が必要です。……一分経ったら、また元の地獄に戻りますが」
「ま、待て! エルセ! 悪かった、私が間違っていた! 婚約破棄は白紙だ、お前を王妃にしてやるから……!」
「お断りします。私、もうこちらの国の第一王子様に『一生、僕のコーヒーだけを淹れてほしい』って、溺愛(拘束)されてますので」
店の奥から、聖王国の第一王子・レオナルド様が、私の腰を抱き寄せるようにして現れました。
彼はエドワードを一瞥し、冷ややかに告げました。
「我が聖王国の恩人を、ゴミ溜めのような国へ連れ戻そうとは。……これは宣戦布告と受け取っても?」
「……ひっ、ひいいいいいっ!」
エドワードたちは、文字通り脱兎のごとく逃げ出して行きました。
一分後、森の向こうから「ぎゃああああ!」という、呪いの痛みが再発した絶叫が聞こえてきましたが……まあ、私の知ったことではありません。
「さて、エルセ。邪魔者が消えたところで、さっきの『溺愛』の続きをしようか」
「レオ様、お客様の前ですよ……!」
フェン様とルナに見守られながら、私は新しい幸せを噛みしめるのでした。




