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癒した手が人を殺すと知ったので、聖騎士団を辞めて辺境で薬屋を始めました  作者: 蒼月よる


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第5話 辺境の薬師

 朝の灰枝は、思っていたより静かだった。

 冒険者たちは夜明け前に発つか、昼まで寝ているかのどちらかで、通りに人影は少ない。代わりに、食堂の煙突から白い煙が上がり、道具屋の主人が店先に品物を並べ始めている。朝の支度の音だけが、通りに響いていた。

 宿を出て、ギルドの方角へ歩く。

 昨日ナタリアに聞いた話を思い出していた。軟膏の需要が絶えないということ。冒険者は怪我をする商売だから、消耗品としての薬はいつでも売れる。


 ギルドの前に着くと、掲示板の前に冒険者が二人いた。

 朝一番で依頼を確認しているのだろう。板に貼られた紙を見上げて、何か話し合っている。

 私は掲示板の隣の壁際に立って、鞄を開けた。

 昨日卸した分とは別に、少量だけ手元に残しておいた軟膏と鎮痛剤がある。ギルドに卸す以外に、直接冒険者に売ることもできるとナタリアが教えてくれた。個人間の取引はギルドの管轄外だから、値付けは自由だという。

 とはいえ、看板も台もない。私はただ鞄を開けて、壁際に立っているだけだ。

 売れるかどうかなど分からなかった。


 最初に声をかけてきたのは、掲示板を見ていた冒険者の片方だった。

 三十代くらいの男で、革鎧の上から腕に包帯を巻いている。包帯が少し汚れていて、巻き方も雑だった。

「あんた、薬師か?」

「はい。軟膏と鎮痛剤がありますが、お入り用ですか」

「軟膏、いくらだ」

「銅貨六です」

 ギルドの買取価格が銅貨五だったから、直売なら少し上乗せしてもいい。それでもギルドの小売値より安いはずだ。

 男は少し考えてから、頷いた。

「一つくれ。——ついでに、これ見てくれねえか」

 そう言って、包帯を巻いた腕を差し出した。

 私は軟膏を渡してから、包帯をほどいた。


 傷は、蒼牙狼に引っかかれたもののようだった。

 三本の爪痕が前腕に走っている。傷自体は浅いが、赤く腫れていた。化膿しかけている。

「蒼牙狼ですか」

「ああ。三日前にやられた。大したことねえと思ったんだが」

「蒼牙狼の爪には微量の魔素が残っていることがあります。普通の傷より腫れやすいんです。この軟膏を塗れば腫れは引きますが、まず傷口を洗い直してください。清潔な水で、できれば蒼苔を通した濾過水で」

 私は鞄から小さな布袋を出した。中に蒼苔のかけらが入っている。

「これを水に浸して絞ると、簡易の洗浄水になります。よかったらどうぞ」

「……ああ。助かる。これはいくらだ」

「それはおまけです」

 男は少し驚いた顔をしたが、素直に受け取った。

「親切な薬師だな。灰枝には薬房がねえから、いつもデルガまで買いに行ってたんだ」

「そうなんですか」

「ああ。ここらの冒険者はみんな、自分で軟膏を塗って気合で治してるよ。ちゃんと見てくれる薬師がいるってのは、ありがてえ」

 男は包帯を巻き直しながら立ち去った。銅貨六が手元に残った。


 その男が仲間に声をかけたのか、午前のうちにもう三人が来た。

 二人目は若い女の冒険者で、膝の打撲に鎮痛剤を買っていった。銅貨四。

 三人目は年配の男で、手荒れがひどかった。素材の加工で獣脂に触れ続けているせいだ。軟膏を一つと、手荒れ用に蒼苔の粉末を少し分けた。銅貨七。

 その男は軟膏を受け取りながら、ぼやいた。

「最近、聖都のほうから回ってくる薬の質が落ちたんだよな。前は効いてた軟膏がなんか効かねえ。こっちのほうがよっぽどいいわ」

 胸の奥が小さく跳ねた。けれど表情には出さなかった。「そうなんですか」とだけ答えて、蒼苔の粉末を包んだ。男は気にする様子もなく、銅貨を置いて去っていった。

 四人目は——少し、驚いた。

 大柄な男で、鉄牌を首から下げていた。銅牌より上のランクだ。右の肩を庇うようにして歩いてきた。

「薬師がいるって聞いた。肩を見てくれ」

 革鎧の肩当てを外すと、肩の関節周りに内出血の痕があった。打撲ではない。筋を傷めている。

「これは、重いものを振り続けた負傷ですね。戦斧か何かを」

「大斧だ。よく分かるな」

「傷の付き方で分かります。筋が伸びた状態で負荷がかかって、微細な断裂が起きています。鎮痛剤で痛みは抑えられますが、本当に治すには二、三日安静にする必要があります」

 私は鞄から鎮痛剤の包みを出しながら、肩の周りを指で軽く押さえた。硬くなっている箇所を探り当て、そこに軟膏を薄く塗る。

「ここが一番硬くなっています。軟膏を塗ったら、温めた布を当てて血の巡りを良くしてください。魔石コンロで布を温めれば十分です」

「……詳しいな」

 男が私を見た。目が少し鋭くなっている。

「これ、都の薬師レベルだぞ。辺境にこんな腕の薬師がいるのか」

 心臓が、少し跳ねた。

「都には行ったことがありませんが」

 嘘ではない。都に行ったことはない。聖騎士団の駐屯地は都の外にあった。

「ただ、師匠の教えが良かったので」

 それも嘘ではない。聖騎士団の薬師長は確かに腕が良かった。治す技術だけは、本物だった。

 男はしばらく私の顔を見ていたが、やがて肩を回して感触を確かめ、頷いた。

「確かに楽になった。——鎮痛剤と軟膏で銅貨いくらだ」

「銅貨十で」

「安すぎるだろ。まあいい、ありがたく買わせてもらう」

 男は銅貨を置いて、肩当てを付け直しながら歩いていった。


 昼前に手持ちの薬がほとんどなくなった。

 売り上げは銅貨二十七。昨日のギルドでの卸しと合わせると、二日間で銅貨百一になった。銀貨一枚に届く額だ。

 こんなに売れるとは思わなかった。

 冒険者は怪我と隣り合わせの仕事をしている。だが灰枝には薬房がない。ギルドが備蓄している薬はあるが、冒険者一人ひとりの怪我に合わせて処方してくれる薬師はいなかった。

 需要があるのに供給がない。だから私が壁際に立っているだけで、人が来る。

 それは薬師としては当然のことだ。怪我をしている人がいるなら、薬を出す。傷を見て、適切な処置を伝える。聖騎士団でも辺境でも、やることは変わらない。

 ただ——ここでは、治った人がそのまま暮らしていく。依頼をこなして、報酬を得て、食堂で飯を食う。暮らすために治る。

 それが、嬉しかった。


 昼過ぎにギルドに顔を出すと、ナタリアが受付にいた。

「あ、フィオナさん。朝から冒険者さんに薬売ってたって聞きましたよ」

「もう伝わってるんですか」

「灰枝は狭いですから。——肩の治療をしてもらった鉄牌のヨルさんが、えらく感心してました」

「ヨルさん、ですか」

「ええ。大斧使いの。この辺りでは腕の立つ冒険者です。あの人が褒めるのは珍しいんですよ」

 ナタリアは帳簿に目を戻しながら、少し声を落とした。

「辺境の薬師さん、って呼ばれてましたよ。今朝、ギルドの中で」

「辺境の薬師」

「はい。良い呼び名じゃないですか」

 ナタリアが笑った。仕事中の丁寧な笑みとは少し違う、個人としての笑顔だった。

「実はね、私も昔ちょっとだけ薬草をかじったことがあるの。全然ダメだったんだけど」

「え、そうなんですか」

 思わず目を丸くした。ナタリアは受付台に頬杖をついて、少し照れたように笑った。

「だからフィオナさんの調合を見ると、ちょっと羨ましいんだよね」

 ナタリアがふと、受付台の上に置いた私の手に目を落とした。

「いい手だね、職人の手」

 乳鉢を擦り続けてできた胼胝たこ。指先の小さな傷跡。薬草の色素が染みついた爪の際。お世辞にもきれいとは言えない手だ。

 けれど、ナタリアの声には嘘がなかった。

 少しだけ胸の奥が熱くなった。この手を「いい手」と言ってくれた人は、初めてだった。


「次に来るときは、もう少し軟膏を多めに持ってきてもらえると助かります。あ、鎮痛剤もです。ギルドの在庫としても買い取りたいので」

「わかりました。次は——半月後くらいになると思います。調合に時間がかかるので」

「半月後ですね。待ってます」

 ナタリアが手を振った。私も小さく手を振り返して、ギルドを出た。


 灰枝を発ったのは、午後の早い時間だった。

 帰り道は来た道をそのまま戻る。樹海の縁沿いに南へ。

 鞄の中身が変わっていた。

 来るときは蒼苔と薬草と軟膏が入っていた。帰りは銅貨と塩と蜂蜜が入っている。重さはそう変わらないのに、鞄の手触りが違って感じる。

 行商人の気持ちが、少し分かった気がした。


 一日目の野営は、来るときと同じ沢のそばだった。

 火を起こし、蒼苔のスープを作る。蜂蜜の壺を開けて、指先に少しだけ取って舐めた。甘い。花の香りがする甘さだ。

 これで蒼実の砂糖漬けを作ったら、おいしいだろう。

 薬草茶に入れてもいい。苦い薬草茶に蜂蜜を一さじ加えれば、子供でも飲みやすくなる。集落の子供に出したら喜ぶかもしれない。

 そんなことを考えながら、スープを啜った。

 体は疲れていた。二日間で往復四日分の道を歩き、慣れない商売をした。足の裏が痛い。肩も凝っている。

 けれど、頭の中は忙しかった。

 次に灰枝に行くときは何を持っていこう。軟膏はもっと作ろう。鎮痛剤も需要がある。蒼苔の乾燥品も評判が良かったから、品質を維持したまま量を増やしたい。

 それから、あの大斧使いの鉄牌——ヨルさんの肩は大丈夫だろうか。安静にしてくれているといいのだけれど、冒険者という生き物は怪我を軽く見る傾向がある。次に会ったとき、経過を確認しよう。

 いつの間にか、次のことを考えている。

 聖騎士団を辞めた日、私は何も考えられなかった。ただ逃げるだけだった。明日のことなど分からなかった。

 今は違う。半月後のことを考えている。一ヶ月後のことを考えている。

 それは、ここで暮らしていく気持ちがあるということだ。


 二日目の昼過ぎ、見慣れた灰色の屋根が見えた。

 集落だ。

 坂を下りて、集落の入り口に足を踏み入れる。夕刻にはまだ早い時間で、畑に人の姿があった。

 声をかけられた。

「おう、帰ったか」

 畑の脇に立っていた男——最初の日に私を見咎めた、あの畑の男だった。鍬を持ったまま、こちらに目を向けている。

「ただいま戻りました」

「イルダ婆さんが待ってるぞ。塩は買えたかって聞いてた」

「はい。買えました」

「そうか」

 男はそれだけ言って、また畑に向き直った。素っ気ない。けれど、あの声は確かに私の帰りを知っていて、私に向けられたものだった。

 通りを歩いていくと、鍛冶場の前で別の住人が顔を上げた。

「薬師さん、おかえり」

 その一言に、足が止まった。

 おかえり。

 ——おかえり、か。

 聖騎士団では、任務から戻っても誰もそう言わなかった。帰還の報告をして、書類を出して、次の任務の準備に入る。それだけだった。「おかえり」は任務の言葉にはなかった。

「……ただいま」

 自分の声が少しかすれていたのは、疲れのせいだと思うことにした。

 通りの奥、私の家——ゴルドの家だった場所に向かって歩く。窓際に並べた乾燥棚が見える。出発前に干しておいた薬草が、いい具合に乾いているはずだ。

 戸を開けて、鞄を下ろす。

 棚に並んだ調合道具が、薄い光の中で待っていた。乳鉢、乳棒、小刀、布袋、量り皿。出発前と同じ位置に、同じように並んでいる。

 塩の袋を棚の端に置き、蜂蜜の壺をその隣に置いた。銅貨は布袋に入れて、棚の奥にしまう。

 窓を開けると、樹海の縁から湿った風が流れ込んできた。蒼い葉の匂い。苔と土の匂い。この匂いを嗅ぐと、帰ってきたという実感が湧く。

 ——ここが、私の場所だ。

 まだそう言い切る自信はない。けれど、「おかえり」と言ってもらえる場所で、やるべき仕事があって、次に行く場所がある。

 それだけで十分だと、今は思えた。


 夕暮れの光が窓から差し込んでいる。

 明日は朝から蒼苔を採りに行こう。軟膏の仕込みもしなければ。蜂蜜を使った蒼実の砂糖漬けも試したい。

 やることはたくさんある。

 私は調合道具の並んだ棚を見て、小さく息をついた。

 集落に帰ったら、マーラの子供の顔色を見ておこう。この季節、子供は熱を出しやすい。

 疲れていたが、心は軽かった。


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