第15話 絶望の朝ヨガ
翌朝。
イーゼルベルグ伯爵家の廊下に、ありえない光景が生まれていた。
「きゃあ!エ、エレノア様!?」
使用人が驚いて足を止めたその先――
エレノアが、床に敷かれた布の上で仰向けに倒れていた。
「……私…空腹……生きてますか……」
「エレノア様、始めますよ」
にこやかな声の主は、ユーリアだった。
◇ ◇ ◇
「では、朝の準備運動から始めましょう」
「じゅ、準備……?」
「朝ヨガです」
エレノアは、ゆっくり顔を覆った。
「……朝から……?」
「はい、朝が一番効きます」
容赦はないユーリアは淡々と布の上に座り、ポーズ見本を見せる。
「まずは深呼吸。肋骨を意識して。吸ってー、吐いてー」
エレノアも恐る恐る真似をする。
「……こ、これならできますわ」
「いいですね、エレノア様。では次」
にっこりするユーリアは足を前に伸ばす。
「前屈です」
◇ ◇ ◇
――五秒後。
「……っ!? ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
エレノアの悲鳴が、廊下に響いた。
「お腹が……! お腹が邪魔ですわ!!」
「いいえ、背骨から前に倒すイメージです」
「背骨!?」
「今まで使っていなかった筋肉が、驚いて悲鳴を上げますので慎重に」
その言葉通りすぐに伸ばせる限界を迎えたエレノアは、
ぷるぷる震えながら必死に前屈している。
「こ、これは、拷問ではないのですか!?」
「いいえ、違います。健康への第一歩です」
年配の侍女が、壁際でグッと手を握りしめている。
「エ、エレノア様…………!」
◇ ◇ ◇
「もう限界ですわ……」
「では、気分転換に、軽く歩きましょうか」
体を軽くほぐしながら立ち上がったユーリア。
「庭を一周しましょう」
エレノアの顔が、凍りついた。
「……うちのお庭、王都でも有数の広さ、なのですが……」
「そうですね」
無慈悲に笑うユーリア。
「なので、ゆっくりでいいです」
「……ユーリア先生、あ、あ、悪魔ですわ……!」
◇ ◇ ◇
庭を歩くエレノア。
「……ぜぇ……はぁ……」
「呼吸、止めないでください」
「はい……はぁ……」
エレノアは、ちょうど庭の半分ほど、木立ちを出たあたりで立ち止まり、空を見上げた。
朝の太陽は、キラキラと輝いている。
「……朝の空ってこんなにも綺麗なのですね……」
「あら、良いところに気づきましたね。余裕が出てきましたか」
「いっいえ、余裕、というよりも、現実逃避ですわ……」
その後も汗だくになりながら早足で必死にユーリアの後をついてくるエレノアは
汗で伯爵令嬢あるまじきありさまだったが、その表情はとても晴れやかだった。
◇ ◇ ◇
「本日の運動は終わりです、よく頑張られました」
庭を本当に一周し玄関口に帰ってきたユーリアとエレノア。
エレノアは、エントランスの階段にフラフラとへたり込んだ。
「……なんとか辿り、着きました……」
「ええ、素晴らしいです」
座り込んだエレノアにユーリアは言葉をかける。
「途中でやめることなく最後までたどり着きましたもの。素晴らしいですよ」
エレノアは、驚いたように顔を上げた。
「……本当ですか?」
「はい」
ユーリアは、真剣な目で頷いた。
エレノアの表情が、少しだけ緩んだ。
◇ ◇ ◇
エレノアは、天を仰いだ。
「これからずっと……お菓子一回のために……これを」
我に返ったエレノアが絶望的な表情でぼそっと呟く。
「十分な動機ですよ、エレノア様。モチベーションは大事なのです」
「そうですか……」
ユーリアも、エレノアの言葉に明日もやろうという意志が見えて嬉しくなった。
「……不思議ですわね」
エレノアは、小さく笑った。
「すごく、疲れているのに……」
胸に手を当てる。
「私、自分のことがちょっと、誇らしいんですの」
ユーリアは、静かに頷いた。
こうして、
伯爵令嬢の“変わりたい朝”が始まった。




