第13話 ブタと呼ばれた伯爵令嬢
ユーリアは室内に二人を招き入れた。
明らかに貴族にふさわしい椅子ではないが、休憩用のチェアに座ってもらう。
椅子に腰かけたエレノアは、背筋を正したまま俯いていた。
帽子とベールを外したその姿に、ユーリアは一瞬、言葉を失う。
(……なるほど)
ふっくら、というよりは、はっきりとした肥満体。
ドレスは体を包みきれず、胸元と腹部に無理な突っ張りと不必要な皺を作っている。
両手の拳をぎゅっと握りしめているエレノアを付き添った年配の侍女は心配そうに見ている。
「……無理に、話さなくていいですよ」
ユーリアがそう言うと、エレノアは小さく首を振った。
「いいえ。今日は、そのために来ましたのですから」
そう言って、ゆっくり顔を上げる。
脂肪に埋もれた緑色の瞳は、強く揺れていた。
「私は……社交界で、“ブタ伯爵令嬢”、と呼ばれています」
淡々とした口調。むしろ取り乱さないように感情を排除しているのか。
「今年17歳になるのですが、婚約の話は一度も、来たことがありません」
その言葉に、ユーリアの胸がきゅっと縮む。
「舞踏会では、壁際が定位置です。親族以外の男性からダンスに誘われたことも、ありません」
唇を噛みしめるエレノア。
「……最初は、気にしないようにしていました。
家族は優しいですし、生活に困ることもありませんから」
沈黙。
「でも」
震えた声。
「幼い頃から仕えてくれていた年近い侍女が、先日、結婚したんです」
隣に立つ年配の侍女が、そっと目を伏せる。
「幸せそうでした。本当に、眩しいくらいに」
エレノアは、胸の前で手を握りしめた。
「……私も、そうなりたいと思いました、でも、今の私には難しいこともわかっていました。
だからこちらに、来たのです」
その言葉は、小さいけれど、はっきりしていた。
「お力を貸していただけないでしょうか」
ユーリアは、黙って聞いている。
「きれいになって……生まれ変わって、
今まで、私を笑ってきた人たちを見返したい。そして」
幸せになった侍女を思い浮かべたのか、エレノアは悲し気に微笑んで言った。
「……素敵な殿方と結婚、したいんです」
しん、と教室が静まる。
ユーリアは、深く息を吸った。
エレノアの願いは、一見浅く見えるが、そうではない。
ずっと抱えていたものを変えたいと、相当の気持ちがあったはずだ。
これはおそらく一時の感情でも、逃避でもないだろう。
その望みのために、わざわざこんな庶民のところまで来たのだから。
つまり、このお嬢様は本気なのだ。
「エレノア様」
ユーリアは、はっきりと呼びかけた。
「一つ、確認させてください」
エレノアが、緊張した面持ちで顔を上げる。
「運動は、楽じゃありません。
食事も、今まで通りではいられないでしょう。
結果が出るまで、時間もかかります」
一つずつ、区切るように告げる。
「それでも、続けられますか?」
一瞬の沈黙の後、エレノアは力強く頷いた。
「はい、続けます」
迷いは見えなかった。
「私は……変わりたいんです」
意志を宿した緑色の瞳は小さく強く輝いた。
◇ ◇ ◇
「わかりました」
ユーリアは、微笑んだ。
「ただし、ここでは無理です」
「……え?」
「まずは生活習慣、食事、環境の見直しから行います」
指を折りながら続ける。
「だけど私は貴族じゃありませんし、エレノア様の普段の生活が想像できません」
少しだけ、言いにくそうにユーリアが提案する。
「なので……私が、あなたの屋敷へ行きます」
エレノアの目が、大きく見開かれた。
「幸いにもここは私の生徒たちがクラスを受け持ってくれています」
「で、ですが……」
「エレノア様、私、覚悟を決めた人には、本気で向き合いたいのです」
一瞬の後。年配の侍女もうなずいているのを見て、
エレノアは、深く、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は、少し泣きそうだった。
◇ ◇ ◇
エレノアが帰ったあと。
教室に一人残されたユーリアは、天井を見上げる。
正直、不安がないわけじゃない。
でも。
(あの目、覚悟を決めていたけど、見捨てられたらどうしようと揺れていた。
放っておけるわけないわ)
ユーリアは、静かに拳を握った。
次は――
イーゼルベルグ伯爵家だ。




