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私は聖女ですが、聖人君子ではありません。

作者: Lemuria

 


 復讐心がないと言えば、嘘になる。


 だけど、私は聖女だ。

 この国の規範、模範になるべき存在である以上、私情で動くことは許されない。

 心の中では何を考えていたとしても、私の一挙手一投足は聖女でなければならない。


 だからこれから行うことは、聖女としての正当な務め。ただそれだけ。


 祝福も。断罪も。説教も。


 すべて聖女である私の役目だ。


 その結果、目の前のふたりがどんな結末を迎えたとしても、それは決して私の個人的な感情によるものなんかじゃない。


 結局は、自分たちの行いが招いた結果にすぎないのだ。



 目の前のこの女……ミレイユは私の妹だ。

 人生で手にする額以上のお金をすでに使い切った愚かな女。


 私が聖女として神託を受けたのは、十歳のときだった。

 なんで私だったかなんてわからない。

 どこかの誰かのお偉いさんの都合なんだろう。


 家族は大喜びしてたし、私に断る選択肢なんて無かった。聖女を輩出するなんて名誉なことだ。家の地位も権力も大幅に増した。


 割を食うのは私だけ。


 その意味を最もよく理解していたのが妹だ。


 聖女とは、清貧と慈愛の象徴だ。他人に無償で施し、どんな人間相手でも慈悲と愛情を持って接しなければならない。

 聖女になったからには、私は相応の振る舞いを求められる。


 聖女の理想像。


 そこにつけ込んだ妹は、決まっていつも同じ言葉を口にした。


 お姉ちゃん、それちょうだい。聖女ってみんなを幸せにする人なんでしょ?


 私は断れなかった。


 断ってはいけなかった。


 ずっと大事にしていた人形も、誕生日に母にもらった髪飾りも、宝物の絵本までも、妹の手に渡っていった。


 不作が続き、食べるものが少ないときでさえ、妹は言った。


 お姉ちゃん、お腹空いたの。だから私にちょうだい。聖女なら、困ってる人を助けるはずだよね?


 そういえば私が断ることができないのを妹はわかっていた。そうして私の食べ物は妹に持っていかれてしまう。


 聖女であっても、私は普通の人間だ。


 食べなければ生きてはいけない。


 井戸水で腹を膨らませ、木の皮を剥いで口にし、飢えをしのいだ。


 痩せ細り、まともに歩くことさえできなくなった私。


 それを見て妹は、私が聖女じゃなくてよかったぁ、と言った。

 それを聞いた時、私の中では妹はもう家族ではなくなったのだ。


 大きくなってからも妹は変わらない。むしろ、悪質さを増していった。


 信者からの献品である金品、宝石は、妹がすべて取り上げた。

 それらは賭場に持ち込まれ、一晩で庶民の年収以上の財産が消えた。

 舞踏会のたびに新しいドレスを誂え、豪華な料理と酒を並べ、楽師を呼んでは夜明けまで騒いだ。

 取り巻きには金貨や飾り物をばらまき、馬車まで買い与えていたという。


 そして、とうとう妹は私の婚約者に狙いを定めた。


 その妹の色目にまんまと乗ったこの愚かな男が、私の元婚約者、第一王子ルシアンだ。


 聖女に認定されてから程なくして、私はルシアンと婚約させられた。

 理由は単純。

 聖女の肩書きとその後見である神殿の力は、王としての立場を固めるのに十分なものだからだ。

 そのためルシアンとの付き合い自体は長かったのだが、妹がすり寄った途端、あっという間に婚約を一方的に破棄された。


 だが正直なところ、この男に未練も執着もない。

 元よりあまり興味を持っていなかった。


 この男は、自尊心と劣等感のかたまりだった。


 特段光るものもない凡庸な男だったし、弟の第二王子の方が遥かに優れた人物として皆に認められていた。そんな弟と比べられたルシアンは、第一王子という立場だけが、拠り所だった。

 だが、この国で聖女という立場は、国王に匹敵するほどの権力を持つ。


 つまり、聖女である私は、第一王子であるルシアンよりも立場は上だった。


 それがよほど気に入らなかったのだろう。

 ことあるごとに私に絡み、文句をつけてきた。


 権力を振りかざしている、だの、愛想がない、だの、一緒にいても面白くない、だの。


 だけど、別にそれはどうでも良い。

 私が許せないのは、妹に乗り換えるときにルシアンから言われたセリフだ。


 真実の愛を見つけた。


 手垢のついたセリフだが、真実の愛を認定するのは聖女としての重要な仕事だ。


 私がその言葉を口にできるようになるまでに、どれほどの努力と苦労を重ねたか、この男に分かるはずがない。

 真実の愛を認め、聖女として祝福を行うには、神殿から与えられる厳しい修行を行わなければならない。

 それを乗り越えられたものだけが、祝福を行う資格を得られる。


 私は長く辛い修行を積んできたのだ。


 とはいえ修行をしたところで、別に何が真実の愛なのかなんて分かるわけではない。


 要するに、修行を積み試練を乗り越えた聖女が、真実の愛と認定する、というのが重要なのだ。


 それなのに、こんなろくに努力もしたことない男が。妹に色目を使われただけで有頂天になっただけの男が。

「真実の愛」などと口にしていること自体がとにかく腹立たしい。

 せめて二十四時間の祈祷と三日間の断食、真冬の滝行ぐらい終えてから言え。


 そんな道端に落ちていたちょっと綺麗な小石程度の、安っぽい真実の愛を、私に祝福しろと言ってくる。


 仮にも元婚約者にだ。

 それも一方的に婚約を破棄した相手にだ。


 正気を疑った。

 だがルシアンが言うには、私がまだ彼を愛しているから、応援するのは当然なんだそうだ。何を勘違いしているのか、自分が王になるとも思い込んでいる。


 おめでたい頭を通り越してどうかしている。

 酒に酔ってるわけでないなら、多分病気なんじゃないだろうか。


 このような愚かな男と女が相手であっても、私は聖女だ。

 決して私怨で動くわけにはいかない。


 だからこそ――聖女として、真実の愛が本物かどうか試させてもらう。


 そうして、第一王子ルシアンと聖女の妹ミレイユの結婚式が始まった。



 結婚の儀では、聖女が定型の問いを行う。

 お互いを愛していますか、と。


 返ってくる答えは決まっている。


 二人はそろってはいと答えた。

 当然だ。ここでいいえと言うはずがない。

 今やっているのは結婚式なのだ。


 本来であればここで私は祝福をする。真実の愛と認め、祝福を行いますと宣言し、祈りを捧げるのだ。


 だが今回は違う。


 この結婚式はこれから全く別のものへと変わる。


 過去の清算。


 自分勝手の代償。


 向かい合うべき罪。



 断罪式の始まりだ。


 私は妹に告げた。


 公爵家および国庫の金を横領したという訴えと証拠があること。

 処罰として、使い込んだ分を借金として返済する義務を負うこと。

 そして爵位を剥奪され、平民に落とされることを。


 可能な限り声の抑揚を落とす。

 誰ひとり聞き逃すことがないように。

 この場にいる全員に、確実に届くように。


 私は妹をまっすぐに見据える。

 妹の顔が崩れたあの瞬間は、生涯忘れられないだろう。


 胸のすく思いがした。


 爽快感が体をめぐる。


 積年の苛立ちが消化されていく感じがする。


 でもそれを表に出してはいけない。それをした瞬間、私は聖女失格になる。


 私はただ、仕事として、冷静に、公正に、判断を下しているだけ。


 妹はそんなの知らない、聞いていないと叫び喚き立てる。


 ルシアンの方は、それが妹に対してすることか!よくそれで聖女なんて名乗れたな!恥を知れ!とか言っている。


 聖女だからこそ身内に甘くなんてできないこともわからない愚かな男。まあ甘くする気なんてさらさらないけど。


 でもここからが本番だ。


 この勘違い男に、聖女である私に向かって軽々しく真実の愛などと口にしたことを後悔させないといけない。

 あなた程度に見つかるはずのないものだと、その事実を突きつけて、頭の芯に刻み込むのだ。


 私は聖女の慈悲として、妹が平民落ちになったとしても婚姻そのものは有効としても良いことを告げる。


 だけど、私が祝福を授けたのならば、その後何があろうとも婚約の解消も離婚もできない。


 一心同体となり、どんな時でも苦難を共にし、生涯を歩むことになる。


 つまり。


 一緒に平民となり、生涯をかけて借金を返し続けると誓えるなら、真実の愛と認めて祝福しましょう。


 ルシアンにそう選択を迫った。


 真実の愛を見つけたのならば当然できる。

 できないわけがない。

 できないはずがないのだ。


 だがルシアンはそれを聞いて顔を青ざめさせる。

 妹の方をまるで汚物でも見るような目で見る。


 ああ、やっぱりそうだ。

 その表情を見て、私はあくまで心の中だけで嘲笑した。


 妹は……もう妹じゃなくなるか。ミレイユは縋り付くような目でルシアンの方を見ている。


 だけど思った通り、ルシアンはそれを拒絶した。

 こんな犯罪者だなんて知らなかった、結婚は取りやめだ、と叫んでいる。


 知らなかったはずないのに。

 国庫の金を使い込むなんてルシアンの協力なしにできるわけない。


 結局は、保身のため、ミレイユに全部押し付けて自分は無関係を決め込むつもりなのだ。


 それだけじゃない。

 あろうことか私に、ミレイユに誑かされた目が覚めたからやり直そうとか言ってくる。

 私がはいと言うとでも思っているのだろうか。


 思いっきり貶してやりたいところを我慢して、無視をするに留める。


 そうして私は最後の仕上げに入る。


 ルシアンに対しての断罪だ。


 神殿と公爵家に対し大変な不義理を働いたため、廃嫡し、平民に落とすことを王が判断したと。


 そして私は第二王子の伴侶になることが決まっていることを。


 愛か保身かを選択させるためあえて最後にしていたのだが、そもそもルシアンの平民落ちは決定事項だった。

 結婚を取りやめたからって未来は何も変わらない。


 ただ保身よりもミレイユを選んでいれば、二人で生きていく道もあったということだけだ。


 膝をつき愕然としているルシアンに向かって、聖女として説教を与える。


 真実の愛とは見つけるものではなく育むものです。

 そうやって真実の愛の種を捨ててしまっているあなたには、祝福が降りることはないでしょう。


 厳しい修行の中で、私が唯一掴めたそれらしい答えだ。こんなどうしようもない男にかける言葉としてはもったいないのだが、どうせ理解もできないだろう。


 案の定、ルシアンは怒り狂って私に飛びかかってくるが、その前に私の護衛騎士に取り押さえられてる。

 馬鹿な男。

 罪状がひとつ、余計に増えただけだ。



 私は聖女だ。一挙手一投足は聖女でなければならない。

 姿勢を崩さず、表情を変えず、視線も前を向いている。

 これは決して私の個人的な感情で起こしたものではない。


 だから大丈夫。


 ちゃんと聖女だ。聖女をやれている。


 だけど私の心だけは私のものだ。

 誰にも見られることもないし、聖女という役柄なんかに明け渡す気もない。

 私に唯一残された自由なのだから。 


 だからこそ。


 地面で伏しているルシアンと、泣き喚き取り乱しているミレイユを見て、胸の奥だけで小さく呟く。



 ざまぁみろ。




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― 新着の感想 ―
これはいいざまぁ。 でも聖女がこの国から搾取されてるのは変わらないんですよね……人の心に欲望がある限り、第二第三の妹が現れそう。というか全国民がうっすらと妹やアホ王子(元)と同じことをしているのでは?
心のなかでならどんな罵詈雑言も残酷な拷問もオッケーなので、心ゆくまま罵倒してやってくださいな。心の中の殺人罪は裁けないので問題ない! 真実の愛を認めろと言いながらそれを簡単に捨てる人たちにかける情はな…
この辺は王様のお仕事ではなかろうか(国庫横領と王子廃嫡)
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