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『深夜の映画館』

作者: 小川敦人

『深夜の映画館』


昨夜、眠れないでいたとき、衛星放送でたまたま小津安二郎の『秋刀魚の味』が放送していた。私は『東京物語』は見ていた。白黒の世界と何気ない演出をよく覚えていた。


時計は午前二時を過ぎていた。明日──いや、もう今日には病院への定期検診がある。七十二歳になった今でも現役で仕事を続けているが、最近は夜中に目が覚めることが多くなった。ベッドから起き上がり、リビングのソファに移ると、リモコンを手に取った。何かしら気を紛らわせるものでもないかと、チャンネルを適当に回していたとき、画面に映し出されたのは、見覚えのある畳の部屋だった。


ローアングルのカメラが捉える、静謐な日本家屋の室内。そして聞こえてくる、あの独特の間を持った会話。小津安二郎の世界だった。『秋刀魚の味』と画面の隅に小さく表示されている。


私は『東京物語』で小津作品に初めて触れたのが、もう五十年以上前のことだった。大学生の頃、映画サークルの先輩に勧められて、まだ恋人だった三津子と一緒に映画館に足を運んだ。最初は正直、退屈だと思った。何も起こらない。事件もない。ただ、家族がいて、日常があって、時間が過ぎていく。しかし、見終わった後に残る、言いようのない余韻があった。それは今でも、鮮明に覚えている。


『秋刀魚の味』は、小津の遺作だということを、番組の冒頭で知った。笠智衆演じる平山周平が、娘の路子を嫁がせる物語。私はソファに身を沈め、その物語に静かに引き込まれていった。


平山周平は、妻を亡くした初老の男性だった。三人の子どもと暮らしているが、特に娘の路子は家事を一手に引い受け、父の世話を焼いている。しかし周囲の人々は、そろそろ路子を嫁がせるべきだと言う。平山は最初、その話を避けていた。娘がいなくなれば、自分は一人になってしまう。


その心境が、なぜか私の胸に深く刺さった。


私は妻の三津子を十五年前に癌で亡くした。一男一女を授かったが、長男の彰は東京で家庭を持ち、長女の亜希子は市内に嫁いでいる。このマンションで一人暮らしを続けて十五年になる。子どもたちはそれぞれ月に一度は顔を見せてくれるが、それでも日々の暮らしは静かなものだった。


最近、亜希子が言った言葉を思い出した。


「お父さん、いい加減お仕事辞めて、のんびりしたらどうですか」


もう七十二歳になるのに、まだ現役で働いている私を心配してのことだった。確かに、同世代の友人たちはとうに引退している。しかし、仕事を辞めてしまったら、一体何をして過ごせばいいのだろう。家にいる時間が長くなるほど、三津子がいない現実が重くのしかかってくる。


画面の中で、平山は戦友たちと再会している。その中に、娘を手放すことができずにいる男がいた。娘は三十を過ぎているのに、父親が結婚を許さない。その結果、娘は嫁き遅れてしまい、父親自身も孤独を深めている。それを見た平山は、自分もそうなりかけていることに気づく。


私は、その場面で胸が詰まった。子どもたちの心配をよそに、仕事にしがみついている自分の姿が重なった。亜希子の提案に対して、私が心のどこかで抵抗を感じていたのは、結局のところ、一人でいることへの恐れが原因だったのではないか。子どもたちの幸せよりも、自分の寂しさを紛らわそうとしていたのではないか。


小津の映画には、派手な展開はない。しかし、その静かな描写の中に、人生の真実が隠されている。平山が最終的に路子の結婚を後押しするのは、愛情の深さゆえだった。本当に愛しているからこそ、手放す。それが親の役割なのだと、平山は理解した。そして私も、画面を通してその真理に触れた。


映画の中盤で印象的だったのは、平山が旧教え子と再会する場面だった。その教え子は、今では中年になり、家庭を持っている。平山は自分の教師時代を懐かしく思い出しながらも、時代の変化を感じている。高度経済成長期の波に乗り、社会は急速に変わっていく。かつての価値観が通用しなくなっていく中で、平山のような「旧い日本」の男性は、静かに取り残されていく。


私も似たようなことを日々感じている。デジタル化の波についていこうと必死になるが、若い同僚たちの方が圧倒的に適応が早い。パソコンの操作一つとっても、孫世代の方がはるかに上手だった。時代についていけない自分を感じる瞬間が、最近特に増えている。平山のように、静かに時代に取り残されていく感覚。それは決して激しい絶望ではなく、むしろ穏やかな諦念に近いものだった。


子どもたちとの会話でも、そんな感覚を覚えることがある。彰は東京でIT関係の仕事をしており、亜希子の夫も若い世代だ。彼らが交わす会話についていけないことが多くなった。スマートフォンのアプリの話、新しいサービスの話。私が説明を求めても、彼らにとってはあまりにも当たり前すぎて、どう説明していいかわからないようだった。そんな時、私は平山のような、時代から少し遅れた父親の気持ちを理解できる気がした。


しかし、小津が描くのは単なる悲哀ではない。その中にある、静かな受容の精神だった。変化を受け入れ、それでも生きていく。派手な抵抗をするのではなく、自然の流れに身を任せる。それが小津の登場人物たちに共通する姿勢だった。


映画のクライマックスで、路子は結婚し、家を出ていく。平山は一人残される。最後の場面で、彼は「ひとりになると、日が長うなるねえ……」とつぶやく。その言葉には、深い寂しさが込められているが、同時に、それを受け入れる強さも感じられた。


私は、その場面を見ながら、三津子を失った十五年前の自分を思い出した。葬儀が終わり、子どもたちがそれぞれの生活に戻った後、このマンションで一人になった時の感覚。まさに平山と同じような言葉を口にしたかもしれない。そして今もなお、その寂しさは続いている。しかし、それは必ずしも不幸なことではないのかもしれない。三津子との思い出を大切にしながら、残された時間を静かに過ごすことにも、意味があるのかもしれない。


小津の映画に登場する脇役たちの、ユーモラスな会話も印象に残った。平山の同僚や友人たちが交わす、他愛もない日常の会話。それらは物語の本筋とは直接関係ないが、人生の豊かさを表現している。重要な出来事だけが人生ではない。何気ない会話、些細な出来事、それらもまた人生の大切な一部なのだと、小津は静かに語りかけているようだった。


私の日常も、そんな何気ない瞬間で満ちている。職場での同僚との雑談、近所のコンビニでの店員との短い会話、通院時に待合室で隣に座った見知らぬ人との何気ない会話。それらはすべて、私の人生を形作っている小さなピースだった。平山のように、それらを大切にしながら生きていくことの意味を、私は映画を通して理解した。


深夜の静寂の中で、私は小津安二郎の最後のメッセージを受け取った気がした。人生には、派手な出来事や劇的な展開ばかりが重要なのではない。むしろ、日常の小さな積み重ね、家族との何気ない時間、そして時にはその別れさえも、すべてが人生の尊い一部なのだと。


映画が終わると、私は深い満足感に包まれていた。眠れない夜が、思いがけず貴重な時間となった。明日の検診のことを考えると少し憂鬱だったが、今はそれさえも人生の一部として受け入れることができそうな気がした。


亜希子の引退の勧めについても、考えが変わった。もう少し子どもたちの声に耳を傾けてみよう。確かに、いつまでも現役にこだわる必要はないのかもしれない。平山のように、自然な流れに身を任せることも大切だ。残された時間を、もっと穏やかに過ごしてもいいのかもしれない。


三津子がいない寂しさは消えることはないだろう。しかし、それもまた私の人生の一部だ。彼女との思い出を胸に、残された日々を大切に生きていこう。子どもたちには心配をかけているが、彼らもそれぞれの人生を歩んでいる。私は私なりに、この年齢なりの生き方を見つけていけばいい。


小津安二郎は、観客に明確な答えを与える作家ではない。むしろ、静かな問いかけを残す。『秋刀魚の味』もまた、「あなたなら、どう生きるか?」という問いを私に投げかけた。そして私は、その問いに対する自分なりの答えを見つけることができた。


時計を見ると、もう午前四時になっていた。夜明けまでそれほど時間はない。私はソファから立ち上がり、ベッドに戻った。今度は、静かな眠りが私を迎えてくれそうな気がした。


枕に頭を預けながら、私は平山周平の最後の言葉をもう一度思い出した。「ひとりになると、日が長うなるねえ……」。その言葉の中にある、寂しさと受容の複雑な感情を、私は十五年前から理解している。しかし今夜、それを恐れる必要はないのだと気づいた。人生の自然な流れとして、静かに受け入れればいい。


小津安二郎の遺作は、深夜の私に大切なことを教えてくれた。家族の愛情、時代の変化、そして人生の余白の美しさ。すべてが、穏やかな映像の中に込められていた。


私は目を閉じ、静かな眠りの中へと落ちていった。明日──今日からは、少し違った視点で世界を見ることができそうな気がした。小津安二郎の最後の贈り物を胸に抱いて。そして、三津子への思いと、子どもたちへの愛情を込めて。

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