〜猫とお化けトンネル~ACT9
「浅井さん、あなたはそうやって私達を騙していたのよ」
佳奈美は、浅井を追い詰めるようにまくしたてた。車の中で私達が話した推理の内容をである。浅井の表情は、変わっていなかったが、やや視線を落とした俯き加減となっていた。
「もしかして浅井さん、あなたはずっとこんな事を繰り返してきたのではないですか」
浅井の様子は、見た目には変わらない。ただ、健吾も私も、この男の様子が少しづつ変わってきている事に気付いていた。
「もしかして、あなただけでなく、浅井さんの一族は、ずっとこんな事をつづけてきたのですか」
佳奈美が更に追い込むように言うと、浅井の体が、ビクンと脈を打つように動いた。そうなのだ、あの時の電話で、私達は驚く事実を知る事となった。
「まさかそうなのか?そういう事なのか」
あの偽のトンネルを捜索している時、健吾は私の言葉にそう呟いていた。事実に気付いて独り言のように呟いていたのだ。
私を抱いている高梨あさ美も、異変には気付いているようであった。この時点では、あさ美には詳しい内容は解っていなかったようだが、直感的に感じとっていたのであろう。
「オマエ、最初から気付いていたのか」
あの時、健吾は私にそう問いかけた。
「気付いていたとは、ここがさっきのトンネルとは別の場所だという事か」
私の答えに健吾はため息をつきながら言う。
「いや、別の場所だと解ってるなら言えよ」
あさ美は、私達のやり取りを聞きながら、混乱した状態のようであった。いい大人の男が猫に本気で話しかけているのだ、当然であろう。この時も、もちろん、私の声は猫の鳴き声でしかないのだから。
「なんだ、お前達も解っていてこの辺を探しているのだと思ってたんだがな」
私もこの時、あさ美に抱かれた状態で、普通に健吾に話しかけていた。そして、いつもの調子で話していた。
「いや、普通わからないだろう」
「私ならすぐにわかったぞ」
「オマエみたいな特種な猫と一緒にするなよ」
このようなやり取りを健吾としていて思う事は、これが猫と人間の違いなのだろうである。ここにいる人間の中で、ここが撮影に使ったトンネルではないと気付いている者はいないようであった。
「じゃあ、やっぱり伊藤さんを誘拐したのは、浅井か」
健吾は、この偽のトンネルに私達を誘導できたのが、浅井陽一だけである事に気付いたのだ。もっとも、私達は犯人が浅井である事に、うすうす気付いていた。それは、推理などの論理的な理由ではなく、私達の能力に起因するのであるが。
「わざわざオレ達を違うトンネルに誘導したって事は、伊藤さんは最初のトンネルにいるって事だな」
そう言った健吾は、考えをまとめながら、独り言のように言っていた。
「それって、咲ちゃんは他の場所にいるって事ですか」
高梨あさ美が、健吾に問いかけていた。私達の会話を聞いて、我慢できずに話しかけたようであった。本当ならば、猫に話しかけている男を訝しく思うところだろうが、伊藤咲の行方の方が気になったのだろう。あさ美も、余裕がないのだ。
「プルルル」
その時、健吾のスマホが鳴った。このトンネル付近は、電波が悪いらしい。殆んどが圏外の状態であった。実際、撮影中は殆んどスマホが使えない状態だったらしい。
そのため、警察への連絡ができず、スタッフの一部を山のふもとまで、降ろす必要があったのだ。ここでスマホが通じたのは、撮影したトンネルとは別の場所だったからかもしれない。いや、もしかしたら、トンネルが私達を導いたのかもしれない。
「やっと繋がった」
スマホの向こうからは、女性の声が聞こえてきていた。少し焦っているようにも聞こえる。私は声を聞いて、声の主が立花凛子であると気付いた。もちろん、健吾はスマホをスピーカーにしている訳ではない。猫の耳なら、通常のスマホからの声でも聞き取る事ができる。
そして、スマホから聞こえる声が、本人の声と違っている事も聞き分ける事ができる。何でも、スマホから聞こえる声は、本人の声をそのまま届けているのではなく、似た声に変換しているらしい。
猫である私は、この違いを聞き分ける事ができるが、この声が立花凛子がスマホに電話をかけてきた時の声だと知っていた。
「よかった、無事だったんですね」
電話の向こうで、更に凛子が言う。どうやら、少し落ち着いたようである。
「ありがとうございます。大丈夫です。何かわかったんですか」
健吾も凛子をなだめるように、答えていた。そして、凛子は浅井陽一について話始めた。
「実は、浅井陽一という人物についてなのですが…」
この時に聞いた内容は、凛子の仮説交じりではあるが、驚くべきものであった。
浅井の何かが変わりつつあるのを私と健吾は感じている。健吾は、俗に言う戦闘態勢に入っている。何時どのような事がおきても反応できるように、まるで猫が獲物に飛びつく時のように、身体を縮めている。
「何なんだ!!オマエ達は」
浅井陽一は、大声で叫んでいた。今までの浅井の印象とは大きく違った反応に、私達の推理で追い詰めているように見えた秋山佳奈美が驚きの表情をみせている。いや、佳奈美だけでなく、ここにいる人間は、皆困惑の表情を見せていた。
「私達がずっと続けてきた儀式の邪魔をしやがって」
そう叫ぶ浅井の表情は、まるで獣のようであった。大きく歪んだ顔は、恐らく普通に生活していれば、一生見る事のない表情だと言えただろう。
「私達の崇高な志しがわからないのか」
浅井は、そう叫びながら大きく首を振っている。
「何を言ってるの」
佳奈美が困惑した表情で呟く。
「ふざけた事を言わないで」
あまりにも常識から外れた事がおきた時、人間は思考が止まる事がある。この時の佳奈美もそうなのだろう。あまりにも普通ではない浅井の反応に、このような言葉しか出てこなかったようである。
「うるさい、うるさい、うるさい」
そう叫びながら、浅井は近くにある用具置き場となっている小さな小屋に走り出そうとした。
「えっ」
私を抱いている高梨あさ美が声を漏らす。それは、隣に立っていた健吾が跳ね上がるように飛び出したからだ。一気に浅井との距離を詰めていき、右掌で浅井の側頭部を打っていた。
厳密には押し飛ばすような打ち方である。走り出した浅井は、横から押し飛ばされる形となり、態勢を崩しながら吹き飛んでいた。
たしか、「箭疾歩」とかいう技である。相手との距離を一気に詰める事が出来る技のはずだ。健吾曰く、短距離走の選手のスタートダッシュに近い技だそうだが、初速のスピードを出すためには、秘訣があるそうだ。
確か、「八歩蟷螂拳」とかいう武術の技のはずだ。なんでも、健吾が学んだ武術の先代で、この技が得意な人物がいたらしい。そのため、八極拳と八卦掌という武術が得意な健吾だが、このような技も使えるのだ。もっとも、先代程の動きができる訳ではないようであるが。
「クソ、クソ、クソ、クソ」
健吾に吹き飛ばされた浅井は、地面に転がりながら叫んでいた。
「よかった、咲ちゃんは無事よ」
浅井が地面に飛ばされ、健吾に取り押さえるられている間に、佳奈美が用具小屋を調べると、気を失った伊藤咲を見つけて、叫んでいた。
「よかった」
そう言いながら、高梨あさ美は膝から崩れるように座り込んだ。張り詰めていた緊張が解けたのだろう。私を抱いている腕が緩んだのに合わせて、私は地面に下り立ち、浅井の方に視線を移していた。この時、私は感じとっていたのだ。アレが動き出すと。




