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〜猫とバラバラ殺人~ACT9

サヤカの住む雑居ビルの屋上は、誰でも上がれる状態であった。居住している人間が使えるというより、単純に屋上に向かう扉のカギが壊れていて、出入りが自由の状態であるだけであるが。


「なんで!!なんで!!なんで!!なんで!!イーーーーー!!」

屋上の扉を開けた正面にサヤカは立っている。意味のわからない言葉を呟きながら、焦点の合わない虚ろな目を私達に向けていた。その時、あたりの雰囲気が一気に変わった。この変化は、私や健吾のような特殊な力を持つものでなくても感じられる程であった。


「何?これ」

私達の後ろについてきていた凛子は、その変化に声をあげた。その凛子の声に触発されたのか、サヤカの体から黒いモヤが吹き出す。そして、その黒いモヤは、人の形を作りはじめた。


「あれは何?あれが悪霊?」

それを見た凛子が独言のように呟く。人間の形を作りはじめたモヤは、汚れた深い緑色の服と同じ色の帽子を被った形をとりはじめた。


後から聞いた話であるが、この服は軍服というらしい。旧日本軍が着ていた服だという。この人間の形をしたものは、身長がサヤカの倍はあり、両腕は異様に長く焼けただれていた。人間の形をとっているが、肌は黒く、目は赤く異様な大きさである。


「立花さんにも見えるって事は、そうとう念が強いな」

健吾は、下半身がサヤカと重なった状態の、人間の形をした悪霊を見ながら言った。


「イーーーーー!!」

その時、悪霊からなのか、サヤカからなのか出どころのわからない声が響き渡り、それと同時に悪霊は強い圧力を放った。それは、あたかも人を吹き飛ばす強風のようである。


「キャッ!!」

そう声を短く出しながら、凛子は尻もちをついて倒れていた。


「ノウマクサマンダバサラダンセンダマカロシャダソバタヤウンタラタカンマン」

健吾は、倒れた凛子の前に踏み出し、両手の指を胸の前で絡めながら、真言を唱えはじめていた。


「フドウ!!」

何度か真言を唱えた後、健吾は叫んだ。健吾の叫びと同時に、炎をまとった人型ヒトガタの存在が健吾の前に現れた。その人型ヒトガタは、少し地面から浮いた状態で、漂っている。その姿は、やや痩せ型の男が、黒いコートを着ているようにも見える。左腕には、縄のように長い炎が巻きつき、右の手首には、炎の塊がまとわりつく。


「源之助!彼女を頼む!」

そう叫んだ健吾は、私に背中を向けて立っている。腰をやや落とし、やや左半身を前に押し出した状態だ。そして、健吾の前には、フドウと呼ばれる存在が立っている。


このフドウという存在が、どういう存在なのかは、よくわからない。健吾がいうには、一般的にいう霊などと言われるものは、人間世界の物理的なものとは違ったもので構成されているという。


これにより形作られた体を、霊体などと言うらしい。また、人間などの霊体は、複数の種類が存在し、それが重なり合って一つの霊体を作り出しているのだという。これらの種類には、アストラル体やエーテル体などという名前で呼ばれる事もある。


このフドウという存在は、健吾の複数ある霊体の一部が剥がれるように表に出たものではないか?と考えているようである。この健吾の説明も、キリスト教系の神学や、神智学という学問の知識からの仮説に過ぎない。本当のところは、私にも健吾自身にもわかっていないのだ。


ただ、霊的な存在である事は確かで、同じく霊的な存在である悪霊に、直接干渉する事ができる。つまり、物理的な肉体では、触れる事ができない悪霊を、直接攻撃する事ができる、という事である。


ちなみに、このフドウというネーミングは、仏教の不動明王からきている。健吾がこのフドウを呼び出す時に、不動明王の真言を唱え、両手の指を絡めるようにして、不動明王の印を結ぶのはそのためである。


ただ、別に不動明王という仏から力を得ている訳ではない。ただ、このような行動をとる事で、フドウという存在を呼び出しやすくなるのだという。つまり、スポーツ選手がよくするルーティンのようなものだろう。


不動明王の真言と印を選択したのは、フドウという存在の見た目に、不動明王の特徴が感じられるからであろう。


もっとも、本当のところはわからない。私や健吾が気づかないだけで、不動明王という仏が力を貸しているのかもしれない。どのような存在であったとしても、このフドウという存在は、このような場合に有効な手段である。


また、このフドウを呼び出した際、健吾自身の意識は、本人に残っている。ただ、フドウにも意識が繋がっている感覚があるという。ゲームで自分のアバターを操っている感覚に近いが、フドウ自体とも意識と感覚が繋がっているような状態である。


「ガキン!!」

私がそんな事を考えていると、激しい音が鳴り響いた。サヤカと重なって立っている軍服の悪霊の左腕が、フドウへと伸びたのだ。フドウは、この異様に長く伸びた左腕を、自身の右腕ではたき落とした。その時に発した音は、まるで金属同士がぶつかり合う音であった。


しかし、この音は、ここにいる私達以外には、誰にも聞こえていない。周りを見回せば、普通の何気ない光景が流れている。道を挟んで向かい側にあるマンションでは、いつもと変わらない日常が繰り広げられている。


少し前にサヤカの奇声とともに、この辺りの雰囲気は変わった。それは、このビルの屋上だけである。この場所は、一種の霊的な力に包まれた状態となっている。そのため、普段では霊的なものを見る事ができない凛子にも、軍服の悪霊やフドウを見る事ができるのだろう。


確か、このような場所を結界というのではなかったか?私は、普段あまり意識しない人間の言葉を思い出していた。


健吾の前に立つ、フドウは、まるで舞踊でも踊っているように、動きまわる。円を描くように、時には、メビウスを描くようにステップを打つ。


健吾も、こんな動きをする事がある。確か、八卦掌という武術の歩法であったはずだ。健吾は、複数の武術を習得している。中でも、八極拳という、一般的には威力に特化していると言われる武術と、八卦掌と呼ばれる、歩法フットワークに特化した柔的な武術が得意らしい。


フドウのこの動きは、八卦掌の歩法と動きである。まるで、女性がしなやかに動き周りながら舞っているような動きである。


「源之助!」

フドウの動きを眺めている私に、凛子はそう叫びながら、私を抱え上げ、距離をとろうとする。この場所に居続ける事に危険を感じたのだろう。少し離れた所まで、私を抱いたまま来た凛子は、さらに後ずさりをした。そうしながらも、凛子の視線は健吾とフドウを見つめ続けている。


凛子が落としたバッグから、スマホが顔を見せているが、凛子は気付いていないようだ。ライターである凛子は、本当なら写真や動画を撮る状況のはずだと私は思う。そんな事を考えながら、少し震えた体で、抱きかかえる凛子の腕の中で、楽しそうに尻尾を振りながら


「ニャー!」

凛子には、そんな鳴き声にしか聞こえないだろう声を出してみた。


「ガキン!」

また、同じような金属音が鳴り響く。サヤカと重なるように立つ軍服の悪霊が、左腕を長く伸ばし、フドウに襲いかかる。


フドウは、左手の指先を伸ばした状態で、掌を縦に向け指先から突き出した。指先を突き出したフドウの左腕は、軍服の悪霊の左腕と接触した刹那、そのままコスリ入るように、悪霊の腕をそらしながら、指先を悪霊の顔に突き出しつつ間合いを詰めていく。


八卦掌の穿掌という技のはずだ。おそらく、八極拳の捨身法という技術を上乗せして運用しているのだろう。


間合いを詰めたフドウは、そのまま左手を柔らかく変化させ、軍服の悪霊の腕の付け根、肩下を掌で抑える。更に悪霊の横に、右足を一歩踏み込みながら、悪霊の左脇腹であろう部位に拳を打ち込んだ。


八極拳の「欄捶」という技のはずだ。


悪霊の左脇腹らしき場所は、ちょうどサヤカの頭のすぐ上である。軍服の悪霊は、フドウの拳を受け大きく吹き飛んだ。それと同時に、悪霊が離れたサヤカは、まるで糸を切られたマリオットのように、倒れ込んだ。


「フドウ!」

健吾が叫ぶのと同時に、サヤカから大きく離れ、吹き飛んでいた悪霊に、フドウは左手を向けた。フドウの左腕に巻きついていた長く伸びた炎は、意思を持つ縄のように伸び、悪霊に絡みつく。


同時に高く掲げ上げたフドウの右手には、手首にまとわり付いていた炎が形を変え、炎の剣となり握られていた。そのままフドウは、炎の縄によって身動きできなくなっている悪霊に、炎の剣を振り下ろし、悪霊を真っ二つに斬り裂いた。


「キーン」

私達がいる屋上全体に響く音と共に、今まで屋上を覆っていた結界が、ゆっくりと崩壊していく。フドウの炎の剣によって斬り裂かれ、炎に焼かれた悪霊は、青白く光る玉に形を変えていた。俗に言う人魂というものだ。柔らかく静かな光を放ち、それは消滅していった。もうそこには、フドウが悲しそうに立つだけである。


「消えた?倒したのですか?成仏したって事ですか?」

凛子は、私を抱き抱えながら混乱したように、いくつもの質問をなげかけていた。


「わかりません」

健吾が凛子の方を見ながら、そう言うのと同時に、フドウの姿もゆっくり消えていった。そこには、気を失った女と猫を抱いた女、そして悲しそうに立つ男だけが残っていた。




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