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ラーメン

作者: blue_almond

女生徒インスパイア。


「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ(太宰治『二十世紀旗手』)」



 もう三十年以上通っている行きつけのラーメン屋さん。壁の至るところに張られている色とりどりの張り紙には“私語禁止。”と書かれています。にもかかわらず、店内はむしろ他のラーメン屋さんよりもうるさいくらい。その後にこう続いています。“但し、他のラーメン店の話のみ許可とする。”


 店を一人で切り盛りする店長の、情報収集も兼ねた遊び心たっぷりのそのルール。お客さんと一緒になって盛り上がっていることも少なくありません。他のラーメン屋さんはおろか、この店以外で外食すらしたことのない私。しかもこの店のメニューは「ラーメン」ただひとつ。そんな私も今やすっかりラーメン通(笑)。

 自ずと聞く側に回ります。もともと話すより聞くのが大好き。


 でも時々、会話の内容がさっぱりわからなくなることがあります。


 最初の頃こそ少し戸惑いましたが、話している人も聞いている人もこれまで通り楽しそう。そうでなくともここのラーメンしか知らない私です。今ではあまり気にしなくなりました。



 二年前のことです。私に初めて彼氏ができました。付き合い始めて間もない頃の誕生日。どちらの誕生日だったかはよく覚えていません。舞い上がっていた私は、この行きつけのラーメン屋さんに彼氏を連れて行きました。誰かと外食したのは後にも先にもこの一回限りです。


 席につき、ほどなく差し出されたふたつのラーメン。

 彼氏の口には合うでしょうか。私と似て物静かな彼氏です。無言もあまり気になりません。


 ラーメンに箸をつける彼を盗み見る私はきっといたずらっ子のような笑みを浮かべていたことでしょう。しかし彼氏はいつまで経っても箸をグルグル。その時ひとりの常連さんに話しかけられました。だんだんわからなくなってきた。彼氏の「ズズズッ」とスープをすするわざとらしいほど大きな音を皮切りに、その常連さんは会釈して店を出て行きました。


 彼氏はスープを一気に飲み干すと、なんと私のラーメンも一気に「ズズズッ」。まだ一口も食べていません!きっとおなかがすいていたのでしょう。あっという間に飲み干すと、私の腕を掴んで足早に店を出てしまいました。少し痛い。なんだか怒っているみたい。


 引っ張られていた腕が乱暴に振り払われたのは駅に着いた頃。

 彼氏は振り返りもせず言いました。


「あんなのラーメンじゃない。」


 初めての彼氏。初めての二人での外食。初めて二人で迎える誕生日。

 人生最高の日になるはずでした。私の唯一の憩いの場ともいえるラーメン屋さん。涙が出そう。あんなに一気に飲み干していたのに。ふとあのスープをすする大きな音が思い出されて、なんだか怒りが沸いてきました。まだ付き合って間もないからわからなかったけど、ちょっと感じが悪すぎます。

 100年の恋も一気に冷めるとはこのことでしょう。無言でその場を立ち去りました。それから彼とは会っていません。懲りずに一人あのラーメン屋さんに行ったのは一カ月も経ってから。さすがの私も気が引けていました。でも今日はどうしても食べたい。


 久し振りのラーメン屋さん。変わらず迎えてくれる店長の笑顔に照れ笑いを返してふと見ると、なんとメニューが変わっています!「ラーメン」とだけ書いてあったメニュー版には「つけ麺」の文字。見たことも聞いたこともありません。

 先ほどまでの少しの不安もどこへやら。その新しいメニューをわくわくしながら待っていた私に明るく話しかけてくれたのはあの時の常連さんでした。すぐにまたよくわからなくなってしまいましたが、変わらず楽しそうに話してくれる常連さんがなんだかありがたくて、なんだか涙が出てきそう。


 店内が一際にぎやかになりました。どうやらみんな常連さんと同じような会話で盛り上がっているようです。よくわからない飛び交う会話は、まるで音楽のよう。


 そのメロディーに浸っていた私の元に、遂に新メニューが運ばれました。

 少し細身のそのどんぶりは、まるで小さなラーメンみたい。ひと回り大きな太っちょのどんぶりは空っぽです。


 どうやって食べるんだろう⋯? そう思って周りを見回しましたが、食べている人は一人もいません。中途半端な時間です。みんな食後の団らん中。


 もしかしたらみんなが話している、ほそ、やら、ふと、やら言っていたのは、もしかしてこのどんぶりのことだろうか。


 よくわからないのでそのまま食べました。ラーメンより少し濃くて美味しい。


 暖かい笑顔に包まれながら店を出ると、いつのまにか空はまっくら。ラーメンどんぶりみたいな月がひとつ浮かんでいます。なんだかまたおなかが空いてきちゃった。



 それが最後です。北海道に転勤になった私。夜のすすきのを歩いていても、ついついあのラーメン屋さんの看板を探してしまいます。何色だっただろう⋯その時上から聞こえた「あぶない!」という声。上を見上げると目の前には大きな満月。



 今日も太っちょのどんぶりは空っぽです。なんとなくひっくり返してみると、なんだか底のところが赤黒く汚れている。


 小さなラーメンの中で底を洗い、一気に飲み干します。次のメニューが楽しみです。

虚無。

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