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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

東の国の魔女は、聖女と間違われ追放された挙句、変な騎士に付きまとわれてます


――そもそもがおかしな話だった。



フォルスト大陸には四つの国があり、東西南北助け合って暮らしてきた。

そりゃあ昔は侵略だの略奪だの戦争だの色々あったが、ここ300年はそんなこともなく平和一辺倒である。

私が暮らすのは東の国――テレット帝国で、 武力に秀でた国だ。

諸外国からは果物や家畜などの食物を頂く代わりに、それぞれ騎士団を派遣して魔物から国を守っているらしい。


そんな東の国のいっちばん端っこ、滅多に人の寄り付かない"魔の森"で東の国の魔女として長い間静かに暮らしていた――のだが。




「聖女アリステラ……いや、"偽者聖女"といったた方が正しいか!」


おかしい。

絶対におかしい。


「この一年間、俺たちを騙した挙句、真の聖女を害そうとするとは……見損なったぞ、アリステラ!」


……いや、私は最初から聖女などと名乗っていない。

過去を捏造するのはやめて欲しいところだが、今は何を言っても無駄であろう。

目の前でわぁわぁと騒ぐ子供 ―名前はなんだったか……覚えていない― を見つめ、こっそりとため息を落とす。

こそりと周りを見渡せば、好奇心に満ち溢れた野次馬たち。

そりゃあそうだ、こんな派手なパーティーのさなかで断罪劇など、いい笑いものだ。

しかも、名目上は私、アリステラの誕生日パーティーである。

二度目のため息を何とか押し殺そうとしていれば、男の後ろからひょこりと顔を出す女が。


「……ア、アリステラ様、ごめんなさい……!でも、やっていいことと悪いことがあって、貴女がした事はやってはいけない事だと思うの……!!」


騒ぐ子供のすぐ後ろで泣きそうになっている子供 ―こちらも名前は覚えていない― を見て、もう1つため息。

やってられないとはこのことだ。

金髪碧眼のオウジサマと、黒い髪に黒い瞳のセイジョサマ。

美男美女な2人は今、国民たちの憧れの的なのだとお節介なメイドが教えてくれた。


「……アリステラ、魔の森に捨てられたお前を拾ってやった恩を忘れたのか!!」

「今なら、みんなも許してくれます!アリステラ様、どうか、どうか謝罪を……!!」


……その魔の森が、私の住処なのだが。



"聖女"

それは百年に一度、この大陸のどこかに誕生する浄化の力をもった乙女のことだ。

四つの国には石碑があり、それが魔物を弱らせる結界を作っている。

だが、時間が経つにつれ石碑には魔物たちの邪悪な怨念が溜まり、やがて壊れてしまう。

それを浄化し、結界を維持する……というのが聖女の役割らしい。

私もこれまでに3人ほど会ったことがあるが、どの聖女も心優しく平等で、そして豊富な知識を持ち合わせ、国のために生き国のために死んでいった。

そんな生き方の聖女を賞賛する訳ではないが、尊敬していた。

私には到底そんな真似できない。


さて、話を戻すが、そんな百年に一度誕生する聖女が今回は見つからなかったらしい。

前任の聖女が天に昇ってから五年、焦りに焦ったこの国の王は何故か私に目をつけた。

城下町に買い物をしようと森を出たところで国王率いる神官共に拉致され、聖女として働けと命じられた訳だ。

そして目の前で騒ぐオウジサマと20人ほどの騎士を連れ、1年かけて4カ国を回り浄化もどきを行ってきた――のだが。


私たちが帰り着く1ヶ月ほど前に、異世界から本物の聖女を召喚することに成功していたらしい。



「お前がハルカに毒を盛ろうとした証拠は揃っている!これまでの行った嫌がらせの数々もな!!さぁ、今なら魔の森への追放で許してやる、とっとと白状しろ!!」

「フィルタン様……!!」


それはただの帰宅だ。

というか、彼女の存在を知ったのは今である。

見知らぬ子供に対して、嫌がらせなどするわけが無いし、殺人などもっての外だ。

元々このオウジサマ、私に対していい感情を持っていなかったし、これ幸いにと計画したのだろう――あまりにも稚拙だが。


「……私は、何もしていません」

「まだ言うか!証拠は揃っていると言っただろう!!」

「ちなみにその証拠って……」

「ハルカがそう言っているんだ。それにお前が嫌がらせをしているのを見た者もいる。毒を盛れと指示されたというメイドの証言だってあるんだぞ!」

「……」


どうだ!言い逃れできないだろう!

そんな隠しきれない気持ちが顔から溢れ出ている。

私を追い詰めていると勘違いし興奮しているフィルタンサマと、そんな男をキラキラとした笑顔で見つめるハルカサマ。

とんだ茶番だ、付き合ってられない。


「……お言葉ですが、まずその"誰かが言った"だの"誰かが見た"だのは証拠として不十分です」

「きっ……さまぁ!この俺を愚弄する気か!」

「いえ別に、事実を述べているだけです。……それで、私が仮に今、私ではなくそこのメイドが自主的に毒を持っているのを見た……と言えば、これも証拠になるのでしょうか」

「そんなのは証拠にならん!お前の嘘に決まっているだろう!」


あぁ、お話にならない。

まるで幼い子供と話しているような気分になってくるが、むしろ孤児院にいる子供たちの方が余程利口だ。


「では、なぜハルカサマの言葉は証拠になり、私の言葉は証拠にならないのでしょうか」

「お前が偽者の聖女だからだ!」

「…………」


なんだか頭が痛くなってきた。

これ以上は話していても無駄というものだ。

そもそも私は聖女ではなく魔女なので、聖女が持っているという浄化の力なんて1ミリも持っていない。

追放されたところで私は家に帰れるだけだし、聖女というお役目からも解放される。

遠い昔に借りた恩もあったため、少しは聖女の代わりとして働いてやろうかとも思っていたが……こうなってしまっては恩を返す義理もない。

これ幸いにと、私は追放される方向にシフトチェンジすることにした。


「……では、私はハルカサマを害そうとした罪により、魔の森へと向かいます」

「んなっ!!……いきなりどうした、何が狙いなんだ!!」

「狙いも何も……この国にとってとても大切な聖女サマを傷つけようとした私はお役御免ですよね?」

「アリステラ様……きっと強がってるのね……。でも、素直に謝ってくれれば追放はされません!」


真の聖女だなんだと言うが、とんだ性悪女じゃないか。

私を跪かせ、そして無様に謝罪をして命乞いをする所が見たくてしょうがないのだろう。

震えて怖がるのを隠すように俯いてはいるが、醜く歪んだ口元がちらりと覗いている。

聖女として皆に愛され崇められているのが気に入らなかったのか、あのボンクラ王子の婚約者候補として名前が上がっているのが気に入らなかったのか……なんでもいいが、こんな下らない茶番に付き合っている義理はない。


「それでは、私はここで失礼します。……あぁそうだ、私を魔の森から引きずり出した男……ジェルファでしたか、その男は今どこに」

「父……国王は今、国際会議のために隣国へ赴いている!それよりお前、言葉遣いがなってな」

「ではジェルファにこう伝えてください。……誇り高き東の国の魔女を愚弄した罪は重い、と」

「まっ……!!お前何を言っている、魔女とはなんのことだ!!」

「それでは」

「おい、まて……っ!!」



私をすぐに捕まえられるようにしておいたのだろう、周りには衛兵が控えていたが、私にとってそんなものは障害でもなんでもない。

指を鳴らせば、足元に陣が広がり光が溢れ出す。

走り出してきたフィルタンサマと衛兵が私を掴もうとした所で――。





――――――――――――――――――――





さて、こうして魔女の代理聖女業務は終わりを迎えたのだが――。


「なぜお前がここにいる?」

「あは、アリスさんに会いたくて来ちゃった」


一難去ってまた一難、私はなぜか変な男に絡まれていた。

どうせ長い人生だ、ひとつの経験として思い出にしたところで、このへらへらとした軟派な男が近くに住み着き始めたのだ。

長い銀色の髪をひとつに括り、空を写し取ったかのような瞳をとろけさせるこの男を、見たことはある。

話したことも、ある。

だがしかし、ここまでストーカーされるような覚えは、ない。


「来ちゃった、じゃない。おい勝手に座るな。とっととあのボンクラ王子の元へ帰れ」

「嫌だなぁ、僕はもう騎士は辞めたって言ったじゃないですか、僕はここでアリスさんと農業をしてのんびり暮らすんです」

「承諾した覚えは無い」

「王宮にいた時の喋り方もいいけど、素の喋り方ももなかなかいい……」

「か・え・れ」


この男、軟派で阿呆で話が通じないとんでもない奴であるが、ついこの間まで王宮騎士団として働いていた聖女付きの騎士である。

もう一度言おう。

聖女付きの、騎士である。

どれだけ外見がチャラチャラしてようが、正真正銘の騎士なのだ。


「お前は聖女付きの騎士だろう。早く帰ってあの真の聖女とやらの子守りをしてやれ」

「嫌ですよ、僕は聖女付きの騎士なんて辞めたんです。アリスさんになら喜んで跪きますけどね」

「いらん」


ウィンクのつもりだろうか、下手くそに両目をばちりと閉じた男を一瞥する。

そもそもなんでここにいるんだ、こいつは。

魔の森とはその名の通り、魔物がうようよいるような危険な場所だ。

腕試しと称して入り込んできた馬鹿どもは、一瞬で人間だったものに成り果て、そして魔の森の養分となる。

ここまで無事に辿り着ける者など、ほんのひと握りだ。

……素直に認めるのは癪だが、こいつの腕前は本当に優れているのだろう。


「え、なになに、そんなに見つめられると照れちゃうんですけど……あ、惚れちゃった?」

「だまれ、うるさい」


前言撤回、きっとマグレに違いない。


「それより私にはやらなきゃいけないことがあるんだ。邪魔をするならとっとと出ていけ。……それに、この森が危ないことは知っているだろう」

「あぁ、城下町に薬を卸してるんでしたっけ。僕も何か手伝いましょうか?」

「……薬品作りに自信あるのか?」

「まさか!剣の腕には自信あるけど、そっちに関してはズブの素人ですよ」


決めた、もうこいつのことは無視しよう。

線の細い美青年 ――これは本人談だ―― が大口を開けて豪快に笑っている姿から目を離して、薬品作りに集中する。

私の作る薬品は主に病気を治すものだ。

材料は薬草や魔物素材だが、スパイスとして魔女の力をほんの少しだけ入れるのだ。

だから人間が作るものより効果が強く、私にしか作れないものなので需要も高い。

作れば作るだけ私は儲かるし、城下町を始めこの国の人々はあらゆる病から身を守ることができる、つまり一石二鳥。

こんな阿呆のために使う時間は無いのである。


「さーてと、今日もアリスさんに会えたし、そろそろ帰ろうかな」

「そのまま王宮まで帰れ」

「つれないなぁ……そんな所も素敵ですけどね。じゃあアリスさん、体調には気をつけて」

「……ふん」


私が本格的に薬品作りに集中し始めたのを見て、男は伸びをして立ち上がる。

わざわざ毎日邪魔しに来るくせに、あっさりと帰っていく子の男がほんとうに不思議でならない。

空気感を悟るのが上手いのも腹が立つ。

ひらりと手を振って出ていく男を横目に見送り、再び手元に目を落とす。


「……本当になんなんだ、あの男は」


全くもって、信用ならない。




それからも男は毎日やって来た。

私なんかの顔を見てもつまらないだろうに、時には街で買ったという綺麗なアクセサリーや、美味しそうなお菓子を手に持ってやって来るのだ。

アクセサリーなんぞは私には似合わないから要らないと言っているのだが、どうやら男には通じていないようだ。

今日も、使うことの無いアクセサリーがまた増える。


「そういえば、アリスさん」

「……なんだ」

「僕の家、なんか豪華になってたんですけど、何か知ってます?」

「………………知らん」

「それに魔物が全然寄り付かなくなったんです。バリアでも張ってあるのかと思うくらい、ある一定の距離でピタリと」

「………………………………」


なんだ、その顔は、にやにやするな。

思わず眉を顰めて見せるが、男の顔は緩みっぱなしだ。

美青年と言われているんじゃないのか、おい、そんなだらしない顔でいいのか。


「アリスさん、ひょっとして……魔法、使ってくれましたよね?」

「……私は知らん」


冷たく突っぱねても、男の顔が引き締まることは無い。

しかし、確かに男の家を改造したのは私だ。

家の周りに結界を張ったのも。

……勘違いしないで欲しいのだが、決して男に絆されたわけじゃない。

ではなぜそんなことをしたのかと言われれば……。


「はぁ〜、僕のことを少しでも考えてくれてたって事ですよね……もう死んでもいい……」

「か……んちがいするな!お前がとんでもない阿呆だからだ!!」

「とんでもない阿呆って、ひどいですね」

「言葉通りだ、この阿呆め!」


この阿呆、本当にとんでもなく救いようのないド阿呆だったのだ。



――思い出すのは3日前のことだ。

男が魔の森に住み着き始めてから3週間ほど経ち、良くも悪くも私が新たな生活に慣れ始めた頃。

薬品に必要な魔物素材が無くなってしまったため、採集に出掛けた時だ。

近くで採れるものもまとめて採ってしまおうと魔の森をうろうろしていたのだが、その時にちょうど見つけてしまったのだ……男の住処を!


「……なんだこれは」


ありえない。

阿呆だ阿呆だとは思っていたが、ここまで阿呆だとは思わなかった。

目の前にあるのは小さなテントひとつで、周りには魔物が嫌がる薬品が置いてあるだけ。

あの男がどこに住んでいるかなど興味も無かったため聞いたことすらなかったが、よく考えてみればこんな短期間で家を建てれるはずがない。

だからと言って……これは……。


「まさかこんな所に住んでいるとは……!」


魔物よけの薬品を作ったのは私だから効果は保証するが、全部の魔物が避けてくれるとは限らないのだ。

レベルの高い魔物ほど簡単に強行突破できてしまう、魔の森に住み着く魔物なら余計にだ。

今はどこかに出かけて居ないみたいだが、あまりにも不用心すぎる。


「……仕方ない」


ここは良い採集場所なので、私もたまに足を運ぶのだ。

その時に知り合いだったモノが転がっているのは気分が悪い。

だから、だ。

決してあの男のためではなく、自分のために。

私は男のテントを簡単な小屋に作り替え、結界を施した。




「帰ってきたらテントが無くなっててかわいいお家が建ってたから、僕驚いちゃいました」

「テントなんぞで暮らす馬鹿がどこにいる!ここは魔の森なんだ、いつ死んでもおかしくなかったんだぞ」

「……」

「な、なんだ、その気味の悪い顔は……」


いつものように窓際の椅子に座った男は、頬杖をついてこちらを見つめていた。

目尻がとろんと垂れて、まるで慈しむようなその顔は……。


「僕は、大好きなアリスさんとこうして毎日会えるだけで幸せなんです。だからいつ死んでも――あぁ、違いました。僕こう見えて強いんですよ!」


だから魔物なんて滅多打ちです、だなんて力こぶを作る。

言いかけた言葉が気にならないでもないが……生憎とそこまで深く踏み込めるような仲ではない。

私を口説き落とそうとするような言葉を吐くくせに、一線を引いて踏み込ませることをしない、こいつそういう男なのだ。





魔の森に戻ってきてから3ヶ月が経った。

男も相変わらず毎日顔を出しては、くだらない話をして帰っていく。

変わったことと言えば、男がアクセサリーを持って来なくなり、代わりにハンカチや小物など、日常生活で使えそうな物を持ってくるようになったくらいか。

そういえば、騎士団を辞めて、生活していく金があるのかと尋ねてみたことがある。

――いや、なんだかくだらないことを言っていた気がするので、思い出さないでおこう。


「アリスさーん!」

「なんだ、騒々しい」


噂をすればなんとやら。

扉を勢いよく開け放った声の主は、大きな足音を立ててこちらに詰め寄ってきた。

いつもは垂れている目尻を釣り上げて、形の良い唇をわなわなと震えさせている。


「ねぇ、こないだ男の人と街でデートしてましたよね!?誰なんですかあの男!」

「……は?」

「とぼけても無駄ですよ、僕はちゃーんとこの目で見たんですから!」


誰なんですか、と言われても。

答えるまで逃がすつもりがないらしく、じりじりと詰め寄られてしまう。

やがて私の背中は壁に当たり、とうとう逃げ場を失った。

真剣な目で至近距離から見下ろされ、なんだか無性に居心地が悪い。


「……こないだとは、いつの事だ」

「一昨日ですよ、いたでしょう、街に!」

「一昨日か……金物屋の店主か?いや、店先で少し話しただけだしな。それとも薬屋……はあいつは男なのか女なのか分からんから除外だな。八百屋か、それとも……」

「わー!わー!聞きたくない!!それ以上何も言わないで!!」

「なんなんだ……」


お前から聞いてきたんだろう、まったく。

男の包囲から逃げ出すために記憶を探ってみたが、特に思い当たる人物もいなかったし……こいつの見間違いじゃないのか。

怒ったような表情から一転、男はしょんもりとした表情を浮かべ、のろのろと私の前から退いた。

どよんとした空気を纏っているような気もするが、まあどうでもいいか。


「アリスさんって……やっぱり人気者なんですね……」

「人気者ではないと思うが……。昔から住んでいるからな、顔なじみは多い」

「か……金物屋の店主も?薬屋も?八百屋の誰かさんも?もしかしたらアリスさんのことが好きなのかも……うわぁん!!」

「…………」


こいつはもうだめだ。

なんだか相手をするのがめんどくさくなったので、放置することに決めた。

男が前に持ってきたフルーツで創ったタルトと、お気に入りの紅茶を準備して男の前に置く。

まぁ、フルーツをくれたのには感謝しているからな、他意はない。

自分の分も用意して男の向かいに座れば、顔を伏せていた男がちらりと目線をあげる。


「……これ、僕が持ってきたやつですか?」

「そうだ。……甘いものは嫌いだったか?」

「いいえ、あんまりにも宝石みたいで綺麗だったので、驚いて……」

「……そうか」


先程までのどんよりした空気が嘘のように、子供のように目をキラキラさせてタルトを見つめている。

魔女として暮らしてきた間も、聖女の代理をしていた時も、こうして誰かとテーブルを囲むことなどなかったので、未だになれることはない。

……だが、良いものだな、とは思うようになった。


「さぁ、さっさと食べて王宮へ戻れ、聖女付き騎士サマ」

「だぁかぁらぁ、もう辞めたんですってば!アリスさんったらいじわるだなぁ」

「……ふん」


男は怒ったふりをして言ってみせるが、何が楽しいのかその口元は緩んでいる。

目はタルトに釘付けだし、その様子を見るとやはりまだ子供なのだなぁと思う。


……人間とは比べ物にならないほどの命を持った私から見れば、この国に生きる人間たちは皆等しく、慈しむべき子供なのだ――。


「聖女といえば。アリスさん知ってます?」

「何をだ?……異世界の聖女が実は浄化の力を持っていなかったことか?オウジサマのやらかしが国王にバレて王位継承権を剥奪されそうになっていることか?あとは……」

「全部知ってるじゃないですか!もー!」


そりゃそうだ。

カラスの目は私の目になるし、ネズミの耳は私の耳になる。

直接行かなくたって情報を得る方法などいくらでもあるのだ。

悔しそうに地団駄を踏む男を一瞥し、タルトを平らげる。


「はぁ、僕はいつになったらアリスさんの役に立てるのかなぁ」

「……そうだな、すぐに出来ることがひとつある」

「え!?」

「今すぐここから出て王宮に帰ることだ」

「……」


男の口からタルトが零れるまで、あと――。





魔の森へ帰ってきてから半年ほど経ったある日のこと。

ふと、家の周りに変な空気を感じた。

なんだか少し淀んでいるような、気分が少し悪くなるような、そんな感じだ。

時刻は17時を少し過ぎた頃……そういえば今日は男の姿を見ていない。

この半年間、1日も欠かさず来ていた男が来なかったことに、なんとも言えない違和感を感じてしまう。


――がたん。


「……」


違和感の招待を追いかけようとしたところで、もの音が耳に入る。

……これは、まさか。


「――アリステラ!やっと見つけたぞ!!」


なぜ、この男が、ここに。


「お前のせいで散々な目にあったんだ!ハルカは浄化の力なんて持っていなかった!俺を騙していたんだ、あの悪女め……!!俺だってお前を勝手に追放したのがバレて、継承権を剥奪されそうなんだ!!それどころか、このままいけば……くっ!」


ノックもなしに乗り込んできたのは、半年前まで嫌という程顔を合わせていた相手……フィルタンだった。

この国の第一王子で、しかし王子とは思えぬほどに浅はかで愚か。

そんなこの国のオウジサマが、見るも無惨な姿になってそこに立ちはだかっていた。


「……アリステラ、お前には悪い事をした。俺の事を愛してくれていたというのに、悪女に洗脳されてお前をこんなところに追放してしまった」

「……はぁ」

「辛い目に合わせてしまってすまない。……だが、これからはまた裕福な暮らしをさせると約束しよう!だから俺と一緒に王宮に」

「帰れ」


艶やかだった金色の髪はボサボサで、あの阿呆と同じ色をしているのに全く美しく見えない青の双眸は血走り、こちらを睨みつけている。

服だって生地の良い高価なものだろうに、びりびりに破けて目も当てられない。

わたしの言葉に大きく目を見開いたオウジサマは、さらに目を血走らせてこちらに詰めよろうとした。


「……お前!俺が誰だか分かっているだろう!?こうやって下手にでてやってるんだ、お前は大人しく俺に従えばいいんだよ!!」

「……はぁ」


半年も経ったというのに、全く成長していないじゃないか。

自分悪くないんだと喚く男に気分が悪くなり、強制的に追い出そうと指を擦り合わせる。


――その瞬間。


「まて!……アリステラ、この男がどうなってもいいのか?」

「……っ」

「やはりか!お前の恋人か?」

「……馬鹿言うな、こいつはただの隣人だ」


外に控えていたらしい騎士が床に投げ捨てたのは、この半年間、ずっとそばに居た男だった。

オウジサマなんかよりもずっと傷つき、目を開けることなく倒れ伏している。


「……殺したのか」

「いいや、生きている。だがこの先どうなるかは分からないがなぁ!」

「何をした」

「簡単なことだ。うちには優れた研究者がいてな……こんな薬を作ってくれたんだ……!」

「……なんだ、それは」


フィルタンが顔の前に掲げたのは、小さな瓶に入った紫色の液体だった。

あまりにも毒々しい色合いをしており、嫌な気配を感じる。


「これは魔物を狂化させる薬だ!魔物の血を濃縮させ、特殊な薬品と混ぜることでできるんだとさ。……これを魔物に打ち込めば、どうなると思う?」

「……」

「あっという間に自我を失い、狂うんだ!動くもの全てを食らいつくし、自分が死ぬまで何かを殺し続けるんだ!」

「なんてものを……」


なにが優れた研究者だ、とんだイカレ野郎じゃないか。

ただでさえ危険な魔物を凶暴化させて、魔の森以外に被害が広がるとは思わなかったのだろうか。


「……ま、こいつが殺してしまったけどな」


――こいつこそ、本当に狂ってしまったのではないか。

ぼろぼろになった男をこつんと蹴飛ばし、次いで頭を踏みにじる。

憎悪に歪んだ顔が、あまりにも醜かった。


「ここに来るまでに俺の騎士たちもだいぶ失ってしまった……だが、お前がいる」

「……」

「なあ、こいつを助けたいだろ?恋人なんだろ?……なぁ」

「……私に、何をしろと?」

「俺と一緒に王宮に来い!そしてもう一度、その魔女の力とやらで浄化を手伝うんだ!!」


私が聖女の真似事をしていたのは、過去に恩があったからだ。

こんなやつの私利私欲のために利用されるなんて、私のプライドが許さない……しかし。

ぐったりと横たわる男に目を落とす。

私なんかの後を追って来てしまったせいで、こんなことになった。

王宮で聖女付き騎士を続けていれば、将来だって安定していただろうし、歳若いお似合いの恋人だって出来ただろう。

――私はこれまでも、これからも、こいつの想いに答えてやる気なぞない。

ない……が、こいつの居ない日常は、少しだけ寂しいと思う。


「……分かった。だが、一つ条件がある」

「ふん……良いだろう、聞いてやる」


横たわる男の目が、私を捉えた気がした。




――――――――――――――――――――




「なあ魔女、お前はなぜあんな所に住んでたんだ?」

「……」

「……俺の質問には3秒で答えろ!」

「ぐっ……うぅ……!!……生まれた時から、あの森にいました。遠い遠い昔から、そう決まっています」

「そうか」


私が再び王宮に連れ戻されてから、どれだけ経っただろうか。

まだ3日程のような気もするし、もう3年経っているような気もする。

普段私は王宮の地下に閉じ込められているため、だんだんと日付け感覚を失ってしまった。

地下牢ともとれるこの場所は、魔女の力を封じ込める不思議な力が籠っているらしい……遠い過去に記された忌まわしい記録を思い出して、げんなりする。

いつの時代だって魔女の力は、あの王族共に利用されてしまうのか。


「さあ、今日も働いてもらうぞ、魔女!」

「うぐぅっ!!……かしこ、まりまし、た……」


私の心臓に埋め込まれた、"従属の石"が私を苦しめる。


それは、私自身の手で作り出した、私を苦しめるものだった。




――王宮に連れてこられた私が気づいたことが、ひとつ。

食事が、かなり簡素になっている。

私に与えられるものは野菜くずや小さなパン1切れなので比較にはならないが、食堂の前を通ったときや、オウジサマのお付としてパーティーに連れ出されたとき。

前の王宮とは比べ物にならないほど食事の質が落ちていた。


そして、再び大陸各地をまわるようになってから、気付いたことがひとつ。

魔物の被害が増えている。


そもそも私がやっていたことは聖女の真似事であり、聖女の浄化の力を持っている訳では無い。

元々ある結界の上から新たな結界を展開することで、魔物の被害から守っていたにすぎないのだ。

しかし、王宮を出たあの日、私が私の結界を消したのと同時に――聖女たちが守ってきた結界も、効果を失ったらしい。


それにより郊外の街は壊滅状態、しかし避難する先も無く魔物に怯えて暮らしているという。

そして紛い物とはいえ、結界を張れる力を持った魔女を逃がしたフィルタンは、かなり重い罰を与えられるところだったという。

王位継承権どころか、生命さえも危うい状態だと。

正直、フィルタンの自業自得であるし、私にとってはどうでもいいのだ。



「やれ」

「……かしこまりました」


地下牢から連れ出されたのは、王宮の庭だった。

呪文を唱えて指をパチンと鳴らせば、王宮を囲むように空がきらきらと輝き出す。


「今日も無事張れたようだな。では、次はティリアの街に向かうぞ」

「かしこまりました」


満足気に頷くフィルタンに、怒りが込上げる。

この男はこうして、毎日のように結界を張らせるのだ。

国外に出る前にも、帰ってきた時にも、かならずこうして張り直させる。

その自分たちだけの絶対的安全を確保しているところが……本当に腹立たしい。

しかし、私には今大陸全体が人質にとられているようなものだ、迂闊に反発などできない。


フィルタンの後に続いて、馬車に乗り込む。

そしてまた、指を鳴らす。

移動の間、私たちの間に会話はほとんど無い。

フィルタンは手持ち無沙汰に窓の外を眺めているし、私はあるひとつの事をずっと考えている。


……あの男は、元気だろうか。

怪我は治っただろうか。

私のことを気にしているだろうか。


どうしようもなく救いようのないど阿呆であったが、それでも私の愛しい子供に変わりは無いのだ。

守るべき、この国の子供……。


あのだらしの無い笑顔を思い浮かべたところで、外が騒がしくなるのを感じた。

怒鳴る御者の声と、ガシャガシャと擦れる甲冑の音。

剣と剣がぶつかるような、耳が痛くなる音もした気がする。


「……あいつは!」


外を眺めていたフィルタンが大声をあげる。

どうやら知っている顔がいたらしい。

私には関係の無い事なのだが、なぜだか胸のざわつきを覚え、顔を持ち上げる。


「……っ!!」

「なんてことだ!やはりあそこで殺しておくべきだったか!!」


目の前を、空色が通り過ぎる。

高く結い上げた銀糸がはらりと舞い、思わずそれに目を奪われるが、次の瞬間馬車がたりと大きく揺れる。


「――アリスさんっ!扉開けます、離れてて!」

「くそ!させるか!!」


フィルタンが体ごと扉を押さえ込もうとするが、抵抗虚しく扉がこじ開けられてしまう。

大きな音とともに根元ごと外れた扉は、フィルタンを巻き込んで内側に倒れ込む。


「……おま、えは……なぜここに……わぁっ!」

「ごめん、ごめんね、アリスさん、僕が迂闊でした、苦しませてごめんなさい」


目が会った瞬間、体を抱え込まれる。

そのまま素早く外に連れ出された私は、男の腕の中で呆然とするしかなかった。

初めて触れるはずの体温なのに、なぜだか酷く安心してしまう。


「……アリスさんが無事で、本当によかった……!」


骨が軋む音がして、息ができないほど強く抱きしめられる。

それでも、抵抗する気になんてなれずに、大人しく腕の中に収まった。


「……お前!何故ここにいるんだ!」

「僕の宝物を取り返しに来ただけです、フィルタン様。……あとは、そうですね、相当痛いものを貰ったんで、そのお返しに」


最後に強く力を込めた男が私を解放し、そして腰に刺された剣に手を伸ばす。

曇りひとつない美しい剣を抜き去れば、一瞬で空気が変わったのがわかった。

……魂が、震える。


「……ま、魔女!この男をどうにかしろ!俺を守るんだ!!」

「うっ!!……ぐう、ぅ……!!」


男の気迫に後ずさったらフィルタンが、目を血走らせながらこちらに向かって叫んでくる。

心臓が酷く痛む。

普段だったら命令に背く気など起きないのに、今日は……男の空色がこちらを気遣うように寄越される。


――大丈夫、私は大切な子供を傷つけない。


私は魔法で作り出した剣を、自分の胸に差し込む。

男の目が大きく開かれるが心配することは無い、魔女はそう簡単に死なないんだ。

開いた傷口に指を突っ込み、指先に触れた硬いものをそのまま引っ張り出す。

赤色に、禍々しく輝くそれは、私の心臓を縛る従属の石だった。


「……フィルタン、一度ならず二度までも魔女を愚弄するとは」


込められた魔力を覆い尽くすほどの魔力を流し込めば、従属の石はいとも容易く弾け飛んで、そして消えた。

これで、あとひとつ。


「……ま、魔女、本当にいいのか!?俺の手元には今、狂化の薬があるんだぞ!増量にも成功している、被害を考えれば、お前には何も出来ないだろう!?」


そんな事知っている。

カラスの目は私の目に、ネズミの耳は私の耳に。

ただ閉じ込められているだけの悲劇のヒロインなんか御免だ。

私には戦うための力がある。

――そして、守りたいものがある。

守りたいものができてしまった。


私は、誇り高き東の国の魔女だ。


大切なものを守る為ならば、なんだってして見せよう。


「何も知らない憐れな子供に教えてやろう。魔女というのは薬も作れるし、結界も張れる。……だがな、それ以上にできることはたくさんあるんだ」


例えば……魔物に命令する、とか。


フィルタンの顔が急速に青ざめていく。

それを見て少しすっきりする私も、存外根が悪いと自嘲する。


「私があとひとつ指を鳴らせば、先程張った王宮の結界を壊すことが出来る」


この短期間で荒れてしまった親指と中指を見せつけるように擦り合わせれば、青ざめたフィルタンが王宮から離れるように逃げ出していく。

焦っているせいか何度か躓いて、そして無様に顔面から地面に突っ込む。


「……ふふっ、あはははっ!!」

「あ、アリスさん……?」

「ほんとうに馬鹿だなぁ、魔物なんぞに命令できるわけないだろう、ははっ」


私を支配したと勘違いしていたあのオウジサマの、なんと無様なことか。

晴れ晴れとした気分の中、私の笑い声だけが響き渡る。

御者と一部の騎士は気を失っているようだし、剣を構えていた残りの騎士たちは慌ててオウジサマを追いかけていく。


「……はぁ、久しぶりにこんなに笑った」

「なーんか釈然としないけど、アリスさんが嬉しそうだから……まぁいいか」

「ほら、阿呆面をするな、悪かった」


剣をしまいこんだ男も、いつものように目尻を垂れさせうれしそうに微笑む。

あぁ、なんだか胸があたたかい。

私は不思議な気持ちのまま、男の傷だらけの手を握った。


「……帰ろうか、デルタ。私たちの森へ」

「アリスさん……えっ!?あれ、なまえ……え!?」

「なんだ、騒々しいな。ほら口を閉じろ、舌を噛みたくなければな」


転移魔法を展開しようとして……ふと王宮を振り返る。

長年、魔女という生き物を苦しめてきた場所だ。

私個人の恨みもあるが、まぁこの位は許されるだろう。

ぱちん、とひとつ。

不思議そうな顔をするデルタに向けて、微笑みを向けてもうひとつ。

途端に真っ赤に染まった顔を見て、思わず笑いが漏れてしまった。


あぁ、今日はなんだかいい気分だ。





――――――――――――――――――――




「ねえ、アリスさん」

「なんだ?」

「あの時、僕に何したんですか?」

「あの時……とは」

「ほらあれですよ、あの……フィルタン様がここに来た時」

「あぁ、お前がぼろぼろにやられたときか」


薬品づくりの手をとめ、からかうように振り返ればちょっと!などという声が飛んでくる。

あの姿を見られたのが相当恥ずかしかったらしい。


「はは、冗談だ。……まぁ、あの時のことは忘れろ。悪いとは思ってる」

「なーんか魔法を掛けられたことはわかるんですけど、特になんにも変化ないんですよね」


そりゃそうだ。

今はまだ気づくはずない、そう、今はまだ。

正直に言えば、後悔はしている。

あの時かけた魔法は、私だけでなく、この男の人生まで簡単に変えてしまうものだったのだ。

しかし、私には分かってしまった。

……この目の前で阿呆面を晒す男が、近いうちに死んでしまうことを。


「……アリスさん、なんかありました?一瞬だけ寂しそうな顔してたけど」

「なんで一瞬で分かるんだ……騎士よりも占い師のほうが向いているんじゃないか?」

「もー!すぐそうやってはぐらかす!そろそろ教えてくださいよ!!」


あの事件から1ヶ月。

私たちは元の生活に戻り、私は薬品作りを、男は魔物を狩ることで生計を立てている。

魔物の素材の中には、高価なものがたまにあるのだ。

結界をどうしたのかと言えば、私が新たに結界を張るための道具を作り出した。

結界の力を込めた石を、4つの国にあるそれぞれの石碑に埋め込み、それを中心に結界が展開される。

あとは定期的に魔力を込めに行けばいいだけだ。


「……じゃあ話を変えるか。王宮の近くであったあの日、最後に何か魔法かけてましたよね?あれは何を?」

「ちょっとした呪いをかけておいた」

「のろい?そんなことまで出来るんですか」

「あぁ、本当に簡単なものだがな」


今頃、王族のミナサマには楽しんでもらえている頃だろうか。

その姿を思い浮かべて、こっそりと笑う。


「……ちなみに、どんなものか聞いても?」

「あぁいいぞ。……悪夢さ、悪いことをすれば悪い夢を見る。悪さをする度にどんどん悪夢が長くなっていって、それでも自分の過ちに気づけなければ……二度と目覚めることはないかもな」


心の奥底に眠る恐怖を、寝ている間少しだけ意識下に入れてやる魔法だ。

いい事をすればそのうち悪夢は消え去る、ほんとうにちょっとした悪戯のようなもの。

なぜって、悪さをしなければいいだけの話なのだから。


「あとは1日ごとに毛根が死滅していく呪いもかけておいた。次に会う時が楽しみだ」

「……えげつな〜」


デルタは顔を少し引き攣らせ、しかし私の顔を見てまた幸せそうに笑った。

こいつも大概性格が悪い。


「それで、お前はいつまでここにいるんだ?」

「え!?なんかいい感じだったじゃないですか!これからは2人でめくるめく愛情に溢れた毎日を――痛い!何するんですか!」

「いや、普通に気持ち悪いぞ、お前」


でろんでろんに溶けた顔を、絶対に他の奴には見せられない。

こいつの無いに等しい人望がさらになくなってしまう。

形のいい頭を軽く叩けば、ちょっと怒ったように、それでもやっぱりちょっと嬉しそうに口をとがらせた。

……だが、そうだな。

そろそろ私も覚悟を決めなければいけないな。


「……お前は、なぜ私のところに来る?」

「そりゃ、アリスさんのこと好きだから!」

「臆面もなくよく言えるな……では、なぜ、その……私のことが……」

「あれ、言ったことありませんでしたっけ?」


デルタの正面に座り、話を聞く体勢を整える。

それを見届けたデルタは一度にっこりと笑い、そして歌うように話し始めた。


「僕が、アリスさんに会ったのは、騎士になるよりずっと前……まだ僕が10歳にもなっていない時でした。アリスさんは覚えてないと思うけど、僕が住んでいた街で大きな火事が起こったんです。街全体を焼き尽くすほどの大きな火事で、僕は家の中で一人、焼き尽くされるのを待っていたんです」

「……街、火事……ケルタの街か!」

「覚えてくれてたんですね、嬉しいな。……それで、僕の両親は僕を守るために、落ちてきた屋瓦礫の下敷きになったんです。どうしたらいいか分からなくて、いっそのこと両親と共に死のうとしたところで……あなたが現れた」


ケルタの街のことはよく覚えている。

近年稀に見るおおきな火事で、あっという間に街ひとつが焼けて消えてしまった。

とても悲惨な事故だったし、あの光景は今でも目に焼き付いている。

あそこに、デルタが……。


「僕を見つけたアリスさんは、優しく僕を抱えて、そこから連れ出してくれたんです。生きててよかったと。両親が守った生命を、自分が守れてよかったと言ってくれたんです」

「……お前の両親は、救えなかったんじゃないか」

「僕の心は救われました。あなたは街に雨をふらせ、火事をとめてくれた。確かに、街は消えて無くなったけど……あなたが泣いてくれた」


テーブルの上に投げ出していた手を、強く握られる。

少し汗ばんでいるのは、辛い過去を思い出しているからだろう。


「それからです。僕は、ずっとずっと年上の、心の綺麗な誇り高い魔女に恋をしてるんです」

「……」

「あれ、照れてます?……かわいい」

「……うるさいぞ」


男が、あまりにもまっすぐにこちらを見つめるから。

愛おしくて仕方がないだんて、そんな顔でこちらを見つめるから。

そんなキザなやつにこちらが恥ずかしくなってしまっただけだ。


「……誰にも言ったことはないが、私はもうすぐで500歳になる。私から見ればお前は子供だ」

「知ってます」

「私の人生の中で、人間の寿命はあっという間なんだ」

「はい」

「……私は、二度と大切な人を失いたくない。だか

ら」

「え!?アリスさん……昔、恋人がいたんですか!?」


デルタが愕然とした表紙を浮かべて、がたんと大きな音を立て立ち上がる。

大きく開いた目はなぜか潤んでいて、まるで今にも泣き出しそうな――。


「まて、まて!そうではない!……そうではなくてだな、その……一度、座れ」

「……」


なんだこいつは、まるで子犬みたいじゃないか。

ちらちらとこちらを見るデルタに、暖かな気持ちが胸に溢れた。

……これは、きっと。


「私には友人がいたんだ、3人ほどな。魔女の私を受け入れ、話し相手になってくれた。……大切だった。大好きだった。だが、死んでしまった」


時代は違えど、その3人は私を友人として扱ってくれた。

昔は魔女として忌み嫌われていた私を、受け入れてくれたのだ。

まるで、生まれ変わって毎回会いに来ているのではないかと疑うほどに、よく似た奴らだった。

……そういえば、何となくだが、こいつもよく似ている気がするな。


「あっという間だ。気付かぬうちに年老いて、あっけなく死んでいく」


座り直したデルタの、真剣な空色が私を捕える。

まるで、一言も聴き逃したくないというように。


「……私はきっと、おまえが好きなんだと思う。気が遠くなるくらいに年の離れたお前に、どうしようもない程に心惹かれている」


デルタの頬がかすかに染まる。

こういう姿は子供のようで、存外悪くない。


「だからこそ、お前が死んでいくのに、耐えられないだろう」


ぽろり。

ついにデルタの瞳が決壊して、そこから空がこぼれ落ちていく。

純粋に、あぁ、綺麗だと思った。

もったいないと。

だから手を伸ばして空をすくいとろうとすれば、そのまま手を捕まれ、逆に絡め取られてしまった。


「……僕は、それでも、あなたと生きたい……」


本当に小さな、小さな呟きだった。

風のざわめきに隠れてしまいそうな、そんな声だ。

しかし私の耳にはしっかりと届いて、そしてまた心を暖かくした。


「すき、大好きなんです……あなたのことが、何よりも大切だ……」


こぼれ落ちる涙と共に、ぽろぽろと零れる愛おしい言葉たち。

それを受け取る度に私の心に暖かさが募り、そして、愛情で溢れかえる。


「あなたに、僕の力は必要ないかもしれない……それでも、僕に守らせて欲しいんです……」


一度手を揺らす。

離せ、という意思が伝わったらしく、強く手を握られ、そして開放される。

そのまま静かに立ち上がって、男の目の前に立った私は。


「……お前は私の愛しい子供に変わりない。だが、そうだな……お前は特に愛おしいと思う」


普段だったらこんな恥ずかしいことなど言えやしないが、今はとにかく、この愛おしい子供を守ってやりたいと思った。

たったひとりぼっちになってしまったこの子供の、心に触れたいと思った。

そっとまあるい頭を包み込めば、男は一度大きく肩を揺らし、そして控えめに腕を回してくる。


「……お前さえ良ければ、共に生きてはくれないか」

「……っ!」

「デルタ、お前が好きだ」

「ぼ、くは、愛してますけどね……」


鼻声の男の、なんと可愛らしいことか。

ちらりとこちらを覗いた双眸が、甘く蕩けて零れ落ちそうだ。

思わずそれの吸い寄せられて、目尻にキスをひとつ。

驚いて、さらに蕩けそうな顔をした男に胸が高鳴り、唇にもうひとつ。


「……さぁ、そろそろ泣きやめ。私は強い男が好きだ」

「言われなくたって!……でも、はぁ……幸せすぎてどうにかなりそう。ね、アリスさん、もう1回」

「ん……っ、こら、いたずら小僧め」

「やっと、初恋が叶ったんです。いたいけな子供のお願い……聞いてくれますよね?」

「何がいたいけだ、んっ……ふふ、こんなませた子供がいてたまるか……んぅ」


この世界に生まれ落ちて400年と少し。

今まで恋愛ごとには興味など無かったが、これはなかなか……街ゆく恋人たちが幸せそうな理由がわかってしまった。

何度か唇を押し付け合えば、やがて温度がぴったり重なり、そのまま溶けてひとつになってしまいそうだ。

デルタは口付けという行為が気に入ったのか、飽きることなく何度も押し付けてくる。

可愛くて、どうしようもないな。


「んっ……デルタ、こら、悪い子にはおしおきするぞ」

「んふふ、出来るもんならしてみてくださいよ……反撃されてもいいのなら、ね」

「……あぁ、なんだか悪い男に捕まってしまったみたいだ。降参だ、私の負け」

「はぁ〜、ほんとうに幸せだ……もう死んでもいい」


困ったことを言う悪い子供の頭に軽く拳骨を落とす。

なんてことを言ってくれるんだ、この男は。

どうやら私は意外と執念深い性格みたいで、二度とデルタを手放せる気がしなかった。

目の前で死なせるなんて、以ての外だ。


「ご飯にしよう、デルタ。美味しい肉を買ってきたんだ」

「デザートは?アリスさん?」

「ばっ、馬鹿言うな!お前が買ってきたフルーツだ」


照れてるの?可愛い、だなんて。

こいつはいったいどこまで甘くなってしまうのか。

2人で歩んでいく先はきっと、少しの不安と、大きな期待と、測りきれないほどの愛情で溢れかえるんだろう。


ご飯の用意をしようと、デルタの腕から逃れ出て一歩、私は大切なことを思い出した。

もうこうなってしまったんだ、伝えておかねばならないだろう。


「……なぁ、デルタ。お前は私と、一生共に居てくれると言ったな」

「もちろん、今更何言ってるんですか?残り70年くらいですけど、ぜーんぶ使い切ってもアリスさんのそばに居ます」

「100歳まで生きるつもりなんだな……」


割と長生きしてくれるらしい。

そのことを嬉しく思いながらも、小さく息をつく。

……嫌われることは無いだろうが、どうだろうか、もしかしたら気持ち悪がられるかもしれない。


「……お前に、もし、あと300年ほどの寿命が増えたとしたら、どうする」

「え!300年か、そんなにもアリスさんと一緒にいたら、僕ほんとうに駄目になりそうだ……幸せすぎて来世は酷い人生になるかも」

「そ、そうか……。その、だな、驚かないで聞いて欲しいのだが……」


あまりにも幸せそうな顔をするから。

だから、もしかしたら、喜んでくれるかもしれないと思ってしまった。

微睡んだ空気を少し吸い込んで、思い切って口を開く。



お前に、私の寿命を半分捧げたんだ。


だから、残りの300年ほど……私が死ぬその時まで、一緒に生きてはくれないか。



「……っ!!」



あぁ、また、空が零れ落ちた。

何度も頷くその姿に、胸が大きく震えて……。


私も存外、この行為を気に入っているらしい。

愛おしい男にひとつ口付けを落として、そして。




きっと私も、来世は酷い人生になるかもしれないな。

――だがそれでも、この幸せを守り続けていこう。


書いてたら思ったより長くなりました。

誤字脱字などありましたら、報告してくださると有難いです!

書いていて楽しかったので、そのうち連載で書きたいです。



2/4 誤字脱字報告ありがとうございました。訂正いたしました。

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