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ジェームズ・ナナモと格子の迷宮  作者: まれ みまれ
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(5)直筆の手紙と開けられぬ小包

 栄光寮の新入生歓迎会が、寮生の数の割にはもったいないほどの広さの食堂で、珍しいというか歓迎会以外では目にしないそうだが、皆が寄り添うように行われた。ナナモは寮母であるヌノさんからやはりナナモ・ジェームズと紹介された。一度だけクニツ・ジェームズ・ナナモですと、自分の名前をきちんと名乗ったが、将来医師となるために勉強しているはずなのに、その根幹である人の名前を軽んじているという風ではなかったが、なぜか無頓着というか、クニツというよりはナナモに人としての親しみを持ったということで、ナナモさん、ナナモくん、ナナモと、とにかく、歓迎会が始まってから一度も寮生からクニツとは呼ばれなかった。

 寮母のヌノさんが仕切るという歓迎会の食事は豪華だった。もちろん魔法の世界ではないのでステーキが所狭しと並べられているわけではない。から揚げやポテトサラダなどの若者向きのメニューがいつもより種類も量も多く盛られているという風だ。けれど、明日になればこのような食事が出ることはないということはもはや数日過ごした寮生活でナナモは十分理解している。それでも、ヌノさんが作る食事は、ロンドンのおばや、東京のキリさんの食事のように、何かほっとするような食後感をナナモにもたらしてくれる。

 歓迎会ではナナモは面識のある三回生の小岩の隣の席に着いた。小岩は小学生ではないのだからと、ひとりひとり立ちあがって自己紹介することはないからと、すらっとした高身長で黒縁眼鏡を掛けた六回生の志村さん。バイク好きでスポーツ万能の五回生の河上さん。長髪で音楽と女性をこよなく愛している四回生の真壁さん。そして、東大の医学部を受験し直すからって受験勉強をしているフリをしている二回生の岸くんと、ナナモに歓迎会に参加している寮生の面々を教えてくれた。

「それじゃあ、この寮には僕を含めて六人しかいないんですか?」

 ナナモは少ないとは聞いていたが、これでは学生専用アパートよりも住人がずいぶん少ないかもしれない。

「いや、今夜は参加していないんだけど、卒業して今年国家試験には通ったんだけどそのまま基礎の大学院に進んだから寮から出ない坂井さんと、四回生から五回生に上がれなくて留年したから傷心旅行に出かけてまだ帰ってきていない三条さんと、あと…」

「寮母さんが僕と相部屋になる人がいるって…」

 ナナモは、小岩の説明を遮るようにふと思い出したので呟いた。

「それ本当だったの?僕も聞いたんだけど、冗談だと思っていたから。でも、その人まだ来ていないんだろう」

 ナナモは尋ねられたので、ハイと返事した。

「だったら来ないかもしれないね」

ナナモはそうだろうなと思った。何故なら、ナナモだけが相部屋になるからだ。

「この寮は男性だけなんですか?」

 ナナモは話題を変えようと小岩に尋ねた。小岩はまたもぐもぐと口に料理を運んでいたが、ごくりと飲み込むとほおーっという顔でナナモを見返した。

「男子寮というわけではないし、今やほぼ個室状態だから、少し改築したら女性も入れるようになるとは思うんだけど、資金がね。前に話しただろう。もちろん例外はあるよ」

 小岩は何か含みを込めてナナモに言った。きっと、小岩が以前ナナモに話してくれたことにはもっと深みがあるのだろうと、ナナモは相部屋になった自分こそ例外だと、それ以上について尋ねなかった。

「だったら寮母さんは通いなのですか?」

 寮母は女性である。

「いや、違うよ。寮母さんは、寮の敷地内にあるんだけど、離れに住んでいるんだ。特別なんだよ。だから、そこには風呂もトイレも別にあるんだ」

小岩はサラッと言ったが、ナナモはなぜか武者震いが止まらなかった。

「ただし、噂だけどね」

 小岩はにこりとした。

「噂?」

「だって、誰も寮母さんの離れに行った学生はいないからね」

「どうして?」

「どうしてって、わざわざ行く必要はないし、寮母さんは、たいていは寮に居るから用事があれば、ここで済ませばいいからね」

 小岩は、子供じゃないんだからと言いたげな顔でナナモに言った。

「でもね、その離れに誰かと一緒に住んでいるって…」

 ナナモは思わず「えっ」と、大声を出してしまった。

「噂だけどね」

 小岩はまた意味深に微笑んだ。

 二回生の岸はナナモには興味を示さずここぞとばかりにしきりにごちそうを口に運んでいたが、四回生の真壁が、「小岩君は真面目なんだけど、冗談も好きだから」と、二人の会話に割り込んできた。

 初めてだからなのか、無頓着なのかはわからないが、ナナモのプライベートなことを誰も聞いてこなかったし、皆も自分のプライベートのことを話してこなかった。それでも歓迎会が盛り上がっていたのは、もはや新入生であるナナモのことよりも、六回生の志村が中心となって、医学についての勉強というよりも、医学部でどのように知識を吸収しながら進学していくかのノウハウを皆に講義し出していたからだった。

 寮母のヌノさんが会の終焉を宣言しなければ、きっと延々と続いたかもしれない。それでも、一端終了と決まったら、盛り上がったままミーティングルームになだれ込んで二次会が始まることもなく三々五々皆が自分の部屋に戻って行った。

 ナナモはやはり医学部生だからなのかと、ある意味冷めているなあとは思ったが、いまどきだからと、志村の呟きを誰一人として振り返ることはなかった。

 ナナモはそれでも会に集まった寮生ひとりひとりに、よろしくお願いしますと頭を下げて挨拶した。皆ナナモの丁寧さに一瞬困惑したような表情を見せたが、東大の医学部を再受験するために勉強中だという岸さえ、微笑みでナナモに応えてくれた。

 ナナモは自室に戻る前に、ヌノさんにも挨拶に行った。寮母であるヌノさんは一人で後片付けをしていた。ナナモはキリさんに一度も言ったことはなかったのに、なぜか手伝いましょうかと、ヌノさんに言った。

 ヌノさんは、「ありがとう」や「気にしなくてもいいのよ」とは言わずに、「三百六十五日手伝ってくれるんだったらお願いするわ」と、ナナモの言葉を冗談なのか冗談ではないのかのギリギリのトーンで押し返してきた。それでも、「そのお皿を取ってくれますか」と、一言だけ加えると、「もういいですから、後は私の仕事ですから、ナナモさんは自分の勉強をしてください」と、やんわりとナナモにするべきことを促した。ナナモは一日くらいと思ったが、はっとして、何となくヌノさんの気持ちが伝わって来て、「ありがとうございました。とてもおいしかったです」と、それだけ言うと自分の部屋に戻ろうとした。

「あの…」

 ナナモは踵を返して、テキパキと片づけ作業をしているヌノさんにまた声をかけた。

「何か?」

 もし聞こえていなかったらスルーしようとしていたのに反応があったので、ナナモは聞いた。

「僕の部屋に誰かがこられると話しておられましたが、本当ですか?」

 もう授業は始まっている。それなのに、ナナモの部屋には誰も来ない。もし、来ないのなら、閑散としてきれいにしている部屋の半分に何かを置ける。そんな邪な考えもあってナナモは尋ねた。

「本当ですよ」 

 だったら、いつ、誰が、と、ナナモは続けて聞きたかかったが、ヌノさんからは、もうこれ以上このことについて尋ねてこないでくださいね、というオーラがひしひしと伝わって来た。

 ナナモは仕方なく自分の部屋に戻った。古くて壁は薄いように思えるのに、周りの音が聞こえない。ナナモは日本に戻ってきてから、ある意味ずっと受験生だったので一人きりでいることに慣れてはいる。それでも、暗闇の中、備え付けの勉強机にライトをかざしただけで座っていると、気分が落ち込む。

 ナナモはやっと入学した。気がかりなことが全くないわけではないが、自分が本当に学びたい医学部での大学生活を今の所誰も止めようとはしていない。本来なら小躍りするくらいの気分で居てもいいはずだ。しかし、ロンドンから東京に戻って受験勉強しているうちに、嘗ての消極的な性格に戻ったナナモは、入学して出会った同級生に自分から話しかけようとはしなかった。

 もう再受験はしない。だから、大学生活を楽しめばいいんだ。ナナモはそう思おうとすればするほど、今度はあることが気になる。それは、ナナモが望んだものが手に入ったからこそ、はっきりと目の前にそして脳裏に刻み込まれていく。ナナモはまた二足の草鞋を履かなければならないのだ。そして、それは運命であり、ナナモのもうひとつの使命でもあった。

「アヤベさん…」

 ナナモはあれから全く音信不通になったアヤベに向かって思わず吐息を漏らしていた。

コンコンと、部屋をノックする音がする。

 ナナモは、誰だろう。もしかして、ナナモの声を聞いてくれてアヤベが来てくれたのかもしれないと、慌ててドアを開けた。

 眼の前にはまるで天女のような真っ白な羽衣を着た女性が浮かんでいた。えっ、誰だろうと、ナナモが目をこすりながらもう一度見てみると、そこには寮母であるヌノさんが白い割烹着を着て立っていた。

「本当なら、部屋まで持ってこないのですけど、先ほど、ナナモさんが、本当はクニツ・ジェームズ・ナナモが本名で、コンピューターの誤作動でナナモ・ジェームズと大学に登録されているってお話しされていたものですから…」

 ナナモは、「あ、はい。それは本当です」と慌てて答えた。ヌノさんは、ナナモの返事を本当に聞いていたのかわからないほどの速さでナナモにあるものを差し出してきた。

 ナナモは何だろうと思った。

 ヌノさんは、ナナモの怪訝さを全く意には介さないようで、今度から、クニツもしくはナナモもしくはジェームズのどれかが書かれていたら、ナナモさんの郵便受けに入れるようにしておきますからと言うと、ナナモとそれ以上会話をすることなくさっさと立ち去った。

 郵便物?確かに真っ白な紙に包まれている。よく見ると、本でも入っているのかと思うほどの厚みでA4サイズほどの大きさの小包の上に、手紙だろうか封筒が乗っていた。

 ナナモは本当に郵便物なのだろうかと思ったが、封筒には、栄光寮の住所とともに、クニツ・ナナモ様と書かれてあって、もうひとつの小包には、ジェームズ・ナナモ様と書かれてあった。

ナナモは小包を机の上に置くと、まず封筒の裏を見た。

 誰だろうと思うまもなく、瞳の奥に飛び込んできたのは、東京のある住所の横で輝いている名前だった。

 キタジマソウイチロウ。そう書かれてある。

 ナナモはイチロウのフルネームを声を出して叫んでいた。先ほどまでの杞憂が嘘のように歓喜にかわると、なぜかわからないが思わず一人部屋の中でガッツポーズをしていた。

 ナナモは手で引き裂くように開けようとしたが、イチロウからの初めての手紙を粗末にできないと、逸る気持ちを押さえながら、ハサミで丁寧に端を切って開封した。

 元気かい?

 イチロウからの手紙はパソコンで打ち込んだ文字ではなかった。

 そう言えばナナモはイチロウの文字を始めてみた。達筆とは言えないが、不快に思うような文字ではない。それに男らしくもなかったし、もちろん丸文字でもなかった。少し哀愁のこもった喜劇のように何かほっこりする。そんな感想だ。でもどうしてわざわざ直筆の手紙なんだろうと訝りながらも視線を移した。


 元気かい?

 きっと、なぜ、メールやオンラインじゃないんだって思っているんだろう。でもきっとナナモならすぐわかってくれるんじゃないかって。だって、ナナモと始めて会ったときの事をまだナナモは怒っているだろう。手紙にしたのは電子機器を使ったら、また、ナナモは俺がナナモを仮想世界に連れていくと思っただろうから、あえて書き換えができないような古風な手段を使ったのさ。俺の文字はあまりきれいじゃないけど読めないこともないと思うし、書き損じもあると思うけど、それもなんだか楽しいからね。

 これはナナモに言うと笑うかもしれないけど、コンピューターの世界に一日中いると、どこかでアナログな世界に戻らないと自分自身が今どこに居るのかわからなくなって怖くなることがあるんだ。きっと、別世界の自分と現実の自分の区別がつかなくなるからだと思うんだけど。だから、こうやってナナモに手紙を書くことによって、俺はキタジマソウイチロウなんだって確かめることが出来て妙に落ち着くんだよ。

 きっと、ナナモは仮想世界を創っていたくせにと、俺のことを笑うかもしれないけど、大学生になって初めてそのことが分かったような気がするんだ。でも、だからそのことが嫌だなんて思ったことはないよ。俺は相変わらずVRの世界が好きだしその中でも生きている。でも、こうして手紙を書いている俺もいるしその俺はVRから離れて毎日講義を聞いている。

 ナナモも念願の医学部に合格出来て今楽しんでいるかい?きっと、せっかく入った医学部だけどまだ専門教科は始まっていないから去年と同じことの繰り返しの部分もあるだろう。もしかしたらそのことで却って戸惑っていないかなってちょっと心配しているよ。

 友達は出来たかい? ナナモは積極的な性格じゃないし、俺とは違うどこかもう一つの世界で生きているようにも思えて仕方がないからどうかなあって…。でも焦ることはないと思うんだ。きっと僕達の出会いと同じような奇跡がきっと訪れると思うから。

 ナナモはハーフの事を気にしていたし、俺は羨ましいなんて言ったから、わざとジェームズの名前を省いて宛名を書いたんだ。でも、本当はナナモがハーフであろうとなかろうとどうでもいいんだよ。ナナモはナナモだし、ナナモは言い奴だと思っているから。

 お互いやりたい方向に向かうことが出来たんだ。頑張ろうぜ。俺はいつでも応援しているよ。

それじゃあ。


 ナナモは手紙を読み終えて不思議な気持ちになった。イチロウが現実と仮想世界の二つの世界で生きていると書いていたことに驚いたのだ。ナナモこそが医学部に入学した時から医学部生としてのナナモと、カタスクニで王家の継承者としてのナナモが始まると思っていたのに、現実は医学部生としてのナナモだけで、それもイチロウが書いていた通り、まだ専門的な講義だけというわけではない。

 ナナモは手紙を持ったまましばらく落ち着かなかった。誰もいないはずなのに狭い部屋の中をそわそわと行ったり来たりした。そして、答えにたどり着けないもどかしさの中、アヤベの事を考えていた。

 ナナモは入学が許され授業が始まればアヤベが現れてくれると、ただ指をくわえて待っていたのだ。しかし、罪を負うことになった。だからアヤベは、現れてくれないんだと、勝手に投げやりになっていたのだ。

 でも、イチロウはナナモに手紙を書くことによってもう一つの自分にしっかりと向き合うおうとしている。だったら僕はもう一人の自分と向き合うために何をしたらいいんだろう。

 ナナモはやっとのことで動き回ることを止めて机に腰かけた。右手にはまだイチロウからの手紙を握ったままだったが、その手紙から熱いものが伝わって身体が火照ってくるのに反対に氷に閉じ込められたかのように身動きできなかった。そして、その半透明な空間の中で、心だけはイライラと貧乏ゆすりをしていた。

 ナナモはどれくらい氷の中に居たのだろう。一生懸命何かを探ろうとももがこうとしたのに、固められた空間の中では何も浮かんでこなかった。それでも火照った身体は冷やされていてずいぶん心が落ち着いてきた。すると、それまでのことが嘘のように、あることが小さな炎となってナナモの氷を解かそうとする。

「あの時、僕は何をしたんだっけ?」

 氷が解けて自由になったナナモは独り言を発していた。それは、あのときの事を思い出したからだ。

 ナナモはうんうんと頷きながらその事をはっきりと言葉にする前になぜか机の上を見た。視線の先には先ほど置いた真っ白な小包があった。よく見ると和紙で包まれていたが、住所が消えている。その代わり、ナナモ・ジェームズと書かれていた名前に、オホナモチという文字が付け加えられていた。ナナモはあれだけ力強く握っていたイチロウからの手紙がするりと手元から落ちていくのも知らずに、その小包をすぐに取り上げた。しかし、ナナモは目の前に近づけてもう一度よく見た時にはオホナモチの文字だけは消えていた。

 ナナモは小包を開けようとした。先ほどと同じようにハサミを使おうと思ったが、なぜか継ぎ目が全く見当たらない。もしかしたら、アヤベから送られてきたものかもしれない。ナナモ直感的にそう思った。

 だったら、開けるためにはハサミではなく他に何か方法があるはずだ。

 ナナモは机の上に名前の書かれてある面を向けて立てかけた。そして、おもむろに直立不動で立ち上がると、二礼二拍してから、自らの名前を告げた。しかし、小包はびくともしない。

 そうだろうな。そう簡単には行かないよなと、思いながら、ふと何かに導かれるように部屋を出て、風呂場に向かった。偶然にも誰もいなかったので、ナナモは急いで丸裸になると、頭の先から冷水を被った。夏ではない。ナナモは身体の震えが止まらなかったが、こっそりと周りを伺うと、服も着ないで慌てて自室に戻った。まだ、震えは続いている。しかし、ナナモにはやるべきことがある。ナナモはもう一度、直立不動で立ち、二礼二拍すると、自らの名前を告げた。

 丸裸だったので部屋の電気を消していた。だからなのかもしれないが、一瞬小包が光輝いたように思った。しかし、錯覚なのか、やはり何も起こらなかった。ナナモはそれでもしばらくその小包の前で佇んでいたが、自分でも驚くほど大きなくしゃみとともにその小包はばたんと倒れた。

 イチロウからの手紙の裏にはイチロウの住所と名前が書かれてあった。しかし、小包のどの面にも何も書かれていなかった。

 ナナモは寒さに負けじと気合を入れると、何も書かれていない裏面を向けて立てかけると、もう一度直立不動で立ち、二礼二拍すると、自らの名前を告げた。

 すると今度は薄らであるが、小包が光り輝いた。やはり、これはアヤベから送られてきたものだ。ナナモは、しばらくその小包を眺めていたが、それ以上のことは起こらず、輝きも次第に弱まり、それでも線香花火のように最後に若干強く輝いた後は、もとの真っ白な和紙に戻った。

 ナナモはもう一度同じことをしたが、もはや光り輝くことはなかった。だから、ナナモは電気をつけ、服を着た。ナナモはもう一度大きなくしゃみをしたが、小包は今度はびくともしなかった。

やはり、アヤベからに違いない。もし、カタスクニに必要なものだったら…。

 ナナモは逸る気持ちを必死でこらえながら、小包を開けるには何が必要なのだろうと考えた。もしかしたら…。ナナモはでもそれは遠回りかもしれないが確実な方法のように思えた。


 ナナモは翌朝寮母であるヌノさんに近くに神社はないかと尋ねた。

「大学をはさんで、この寮の丁度反対側に小さな社がありますが、それより今まで気が付かなかったのですか?」

 ナナモはどういうことですかと尋ねた。すると、ヌノさんはナナモをミーティングルームに連れて行った。

「見上げてください」

 ナナモはヌノさんが見上げた方向に視線を合わせた。ナナモはなぜ今まで気が付かなかったのかと不思議だったが、神棚が祀られていた。

「ご存知ですよね」

 ナナモがハーフだから尋ねたのかもしれない。ナナモはもし叔母やルーシーから日本について教えてもらっていなかったらおそらく知らなかっただろうし、「神棚」という言葉も出てこなかっただろう。ただ、実際の神棚を始めて見たので、ハイと答えるとしばらく、見入ってしまっていた。

ナナモの記憶が正しければ、神棚とは、人々が住む家の中にあり、家族が祟りを受けないように、神様の加護に日々感謝し、祈りをささげるために設けられた神聖な場所である。表現が正しいかは別として、神棚は小さな神社であり、そこには八百万の神様の中から選ばれた神様が存在する。それゆえ、神棚の中央には神社の正面のみを模した木製の宮があり、その両脇には榊が立てられ、宮の前には注連縄が張られている。米、塩、酒などのお供えをする家もあるが、その基本は、神社と同じように祭礼のさいには二礼二拍手一礼して神様に参拝することがその家の基本である。

 神棚は必ずヒトビトの目線より高い所に祀られるが、その場所は家々によって異なる。この寮ではミーティングルームにあるので、もしかしたら、この場所が、一番日当たりが良く、一番皆が集まりやすい、寮の中心の場所なのかもしれない。

「でもどうしてこの寮には神棚が祀られているのですか?」

 ナナモは不謹慎かもしれないがひとしきり神棚を眺め、拍手こそしなかったが、丁寧に手を合わせ、感謝の意を込めて一礼したあとに、ヌノさんに尋ねた。

「昔は当たり前に家々に神棚を祀り、カミ様を敬っていたのです」

 ヌノさんは当然とばかりにそう言った。確か、コジキにも書かれていると叔母から聞いたことがある。

「それに、杵築は、ヒノモト中のカミガミがお越しになるところでしょう」

 ヌノさんはさらっと話しを継いだが、ナナモには重い言葉だった。

 そうだ、杵築はオオクニが御座する古の土地だ。きっとそのことは叔母でもルーシーからでもない、誰かからもっと詳しく教えられたはずだ。

 ナナモは誰だったのだろうと思った瞬間頭痛がした。

 そうか、アヤベさんだ。

 ナナモは大きく頷きながらも、今に限っては頭痛も心地よく感じた。

 次の日からナナモは朝六時に起きて神棚に参拝することにした。ヌノさんだけは起きていたが、食堂で忙しく働いているのか、ほとんど合うことはなかった。他の寮生にたまたま廊下ですれ違うことがあっても、ミーティングルームに向かうナナモが参拝しているとは誰も思っていないようだった。

 ただ、ナナモがいつ来てもミーティングルームはきれいに整頓されている。ナナモが初めてここを訪れた時の清々しさは全く変わりなかった。もしかしてヌノさんが、朝早く、真っ先にこの場所を清めているのかもしれないと考えたが、きっと、もしかしてではなく、必ずそうしているのだろうと、神棚があることも含め、ヌノさんとこの寮のことがますます不思議に思えて仕方なかった。

「ねえ、ナナモさん、オオヤシロへ参拝に行ったことがありますか?」

 参拝を始めてから一週間経った頃、身体測定検査でバディーを組むことになったナカタ君が話しかけて来た。ナナモはまだクニツとして正式に登録されていなかったからナナモのままだったので、ナカタ君とは、アイウエオ順で学生番号が決まり、アイウエオ順で実習のメンバーが決まる日本のしきたりで言うと、ひとつしか違わなかった。だから、今まで同じ小さなグループに属することが多かったのだ。ただし、ナカタ君は地元の高校から現役で入学したようで、同級生なのに、二歳年上のナナモに敬語で話しかけて来る。ナナモはロンドンではありえないと思いながら、その歯がゆさに何度か、敬語は止めてくれないかなと、頼んだのだが、ナカタ君は頑として変えなかった。

「いや、ないよ」

 ナナモは当然敬語を使わない。

「じゃあ今度、皆で参拝しませんか?」

 ナカタ君は、ナナモに敬語を使ってくるわりにはナナモと距離をとろうとしない。むしろ、近づこうとしてくる。きっと、ナナモがあまり学校生活を楽しんでいないように思ったのかもしれない。

 確かにナナモはやっと医学部に入学出来たのだから、これから医学を思う存分学ぶんだと、気負っていたが、それほど気分は高揚しなかった。おそらく、大学で始まった医学に関連する授業は、生物学や医学概論程度で、まだ昨年まで通っていた関東西部大学とおなじように一般教養の科目が多くを占めていたからかもしれない。もちろん、受験許可書のことがある。だから余計にそう感じているのかもしれない。とにもかくにも、予期していることが起こらなくて。予期していないことが起りすぎて何かモヤモヤする気分が晴れなかった。

 そう言うナナモのナイーブなところに優しく触れようとしてくれるナカタ君は真面目だし、いいやつなのだろう。けれど、ナナモはなぜかナカタ君が苦手

だった。自分でもわからない。そうだね一緒に行こう、いや地元なんだから案内してくれよと、それだけ言えばいいのに、なぜか言えないでいる。ひよっとして、ナカタ君が苦手なのではなくて、ナカタ君に接するナナモが苦手なのかもしれない。

「またの機会に誘ってくれない?今はそれどころではないんだ」

 嫌な奴だといつかサヨナラを言われるんだろうなと思いながら、ナナモはそう言ってしまっていた。年下のナカタ君の優しさを利用するくらいなら、ナカタ君と行動を共にしない方が良いと思ったからかもしれないし、それとは別にナカタ君とオオヤシロへは行ってはいけないと単純に感じたからかもしれない。

 でもナカタ君のことは気になる。本当は二人で一緒に行きたいんだ。

 ナナモはふと逆の立場で同じような同級生とどこかで会ったような気がした。



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