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あめふらし かかあばあ  作者: 昼咲月見草


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4/4

あめふらし かかあばあ

 日射しがジリジリとアスファルトを焦がし、セミの声と熱風が吹き付ける。

 ただただ熱い、島のそんな午後。

 何十年と経っても何も変わらない、観光とは無縁の、何もない故郷の午後だ。

 優斗は妻の葉月と娘の明音を連れて車で海へ向かっていた。

 絶滅したと言われている鳥を探しに毎年帰省しているが、今日は退屈に耐えきれなくなった妻と娘にねだられて急遽、海へ行く事になったのだ。


 海へ向かう道は強い日射しにさらされて白く、車の中でなければ気の狂うような熱さだ。

 今日は加えて風もなく、セミの声さえ聞こえない、熱さに全てが死に絶えたような静かな午後。

 せめてキビ畑の中を走る道であれば目にも優しく、風が見えるだけでも気分が違うのだろうが、優斗たちが今車を走らせているのは背の低いたばこ畑の中だった。

 生命を主張するような強い緑と花々はなく、たばこ畑のその上で広がる真っ青な空。そして畑の間をまっすぐに続く道。

 暑い夏の午後、地元の人間は外へは出ずに家の中で過ごす。

 たまに外出している事があっても、大抵は黒々とした涼しい影の中で座っている。そして雲を待つ。

 みんな理解しているのだ。この日射しの下では、生き物は生存を脅かされるという事を。

「わざわざこの暑い中、海に行きたいとはなあ」

「暑いから行くんだよ」

 ため息混じりの優斗の言葉に、娘の明音は笑いながら軽く答える。中学生の娘の前では、父親の威厳などかけらも存在しない。こうやって機嫌良くいてくれるだけでホッとするとは、我ながら情けないと優斗は思った。

「お父さんは働き過ぎよ。ちょっとくらい遊ばないと」

 妻がにこにこと助手席で優斗を見たが、彼からすれば山でのフィールドワークは趣味みたいなものだし、たまに家にいるときくらいはゆっくり昼寝でもさせてほしい。こうやって車の運転手として駆り出されるのではなく。

「海、人いっぱいいるかなあ」

 すでに膨らました浮き輪を抱えて、明音が後部座席から身を乗り出してくる。

「どうかしら。空いてるといいわね」

 妻の葉月は海のない県の出身だ。優斗は東京の大学へ進学して鳥類学者になった。葉月とは知り合いに紹介され、結婚。もうずっと東京で暮らしている。娘の明音は東京生まれの東京育ちのため、2人とも優斗の実家に来るのを観光にでも来ているかのように受け止めているふしがあった。


 道は平坦に、まっすぐに続いている。

 建物などなく、ずっと畑の中の道を進んでいくと、十字路に差し掛かった辺りで明音が何かに気付いて声を上げた。

「お父さん、止めて」

 優斗は背後にも周囲にも、何もない事を確認しながら急がずブレーキを踏んだ。

 明音が無言で車の外へ出て小走りに元来た道を戻る。

 優斗は葉月と顔を一瞬見合わせて、それからゆっくりとドアを開けた。蒸し暑い。

 日射しの熱さだけでなく、アスファルトの照り返しの熱だけでなく、地面から上がってくるむわりとした水蒸気の温度が不快さを増していた。

「明音?何かあったのか?」

 明音は十字路のところで立っている。

 そしてこちらを見て、どこか頼りなげに答えた。

「あそこ、女の子がいる。こっちに手を振ってるの。だから知り合いかなって思ったんだけど。ほら」

 明音が視線で示した方を優斗は見やる。ぽつり、と水滴が頬に当たった。


 畑の間をまっすぐに続く道の向こう。ゆらゆらと陽炎のようにゆらめくその向こうに、人影が見えた。

 ぽつり、ぽつりと水滴がいくつも顔や体に当たり、道路を濡らすことなく蒸発していく。

 肌を焦がすような強い太陽の日射しを感じながら、優斗は頭の端の方で、天気雨が降っているのだと考えた。

 雨粒がその数を増やす。そして、さあああ、と音をたてるようになるまでに時間はかからなかった。

 ゆらめく蒸気の向こう。日差しに輝く雨の向こう。

 春斗が笑って手を振っていた。死んだときの、10歳の姿のままで。


 これは幻なのだ、と優斗は冷静に理解していた。

 柔らかな雨に濡れながら、自分は幻を見ているのだと、あれはあめふらしなのだと理解していた。

「あの子、なんであんなかっこしてるんだろう」

 ぼそりと明音が呟く。それに答えたのは葉月だ。

「あんな格好?」

「昔の、すごく昔の子供が着てるみたいな着物。浴衣っていうか、そういう感じの」

 葉月は困ったように首をひねる。

「子どもって、どこにいるの?」

「まっすぐ前、道の真ん中にいるじゃん。ほらそこ」

 苛立ったような明音の言葉に、葉月は真剣な様子で答えた。

「お母さんには子どもは見えないわ。あれは子どもじゃなくて、お年寄りよ」

「え?」

「お年寄り…。おばあちゃん、そうね、お母さんのおばあちゃんに似てる…」

 そうして声を詰まらせた。

「うそ…」

 明音は呆然と道の向こうをもう1度見やる。そして小さく呟いた。

「子どもだよ、おばあちゃんじゃないよ…」

 優斗はゆっくりと明音に近づく。

「あれは、あめふらしだ」

「お父さん?」

「天気雨の日に、道の向こうに見える幻だ。あめふらしと言うんだ。死んでしまった、会いたい人の姿を見せてくれる」

 優斗が明音の隣に並ぶと、明音は父親を無言のまま見上げた。

「明音には何が見える?」

「女の子。おかっぱ頭で、昔の着物を着てる」

「そうか。だから『あめわらし』なのかもしれないな。」

 明音は身近な人物の死に触れた事がない。彼女の会いたい誰かはみな生きている。

「あめわらし…。お父さん、前に見たことあるの?」

「いや、ないよ。初めてだ…」

 優斗は春斗の死後、絶滅した鳥を探して山へばかり行っていた。だから、天気雨に降られるのは大体山の中でだった。

 あめふらしの存在を、優斗は信じていなかった。4年生のあの夏でさえ、正体を暴くような感覚でいたのだ。だから、彼は弟との約束を果たすために鳥類学者になった。いつか絶対あの鳥を見つけるのだと。

「春斗、ごめんな…。あの鳥、まだ見つからないんだ…」

 ぽつりと呟いた優斗に答えるように、春斗は両手を大きく振った。

 そしてくるりと向きを変えて、道の向こうへと走って行く。

「あ…!」

 葉月があとを追いかけようと一歩前へ踏み出す。それに優斗は声をかけた。

「追いかけても追いつけないよ。誰も追いつけた人はいないんだ」

 走って、走って、そして天気雨の終わりと一緒に消えた幻を探して泣くのだ。そうやっていつしか、夏にあめふらしに会えるのを待つようになる。それは死なないで欲しいと、後を追わないで欲しいという誰かの祈りから生まれたものなのかもしれない。

 少なくとも優斗の母は、春斗が死んだ後、しばらく様子がおかしくなりはしたが、死ななかった。

 あれは、あの様子がおかしかったのは、ひょっとしたらあめふらしを追って泣いていたのかもしれない。

 優斗が山に入って鳥を探していたように、母は道に出てあめふらしを探していたのか。今では夏になるとよく縁側で何か手仕事をしているが、あれは天気雨を待っているのか。

 両側にたばこ畑が続く、田舎の道。

 悲しみを癒すように、さあさあと雨が降る。

 春斗は生きていた頃には1度も見せた事のない元気な様子で手を振りながら走って行く。気のせいか、その笑顔までが生前よりも健やかで、とても嬉しそうだった。優斗はその事に胸が痛む。

 春斗の姿が小さくなり、陽炎の向こうに消える頃、天気雨はいつのまにかやんでいた。


 熱さに絶えていたセミの声が戻る。

 アスファルトは黒く湿って熱を取り戻そうと日射しを強欲に取り込み始める。

 たばこの葉の間からうずらが顔を出した。

 優斗は雨に濡れた顔を両手で何度か強くこすり、無言で妻と娘を促して車へと戻っていく。乗り込もうとドアを開けたその時、山のほうから聞き覚えのない鳥の声が聞こえた。

 それはどこか悲しい響きで、優斗はそれを振り払うように体を運転席に滑りこませてドアを閉めた。


 車は夏の道を、海へと向かって走り出す。

 風は少しだけ熱さを柔らげ、アスファルトは乾いて元の色を取り戻しつつあった。


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