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あめふらし かかあばあ  作者: 昼咲月見草


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3/4

でいご

 次の日の午後、明日には家に帰るというその日、両親は土産を買いに出かけて行った。

 春斗は昨日の疲れがまだ残っているのか昼食後すぐに眠ってしまっていたため、優斗は両親にはついていかず、おじの家に残った。

 優斗が1人、居間でテレビをつけたままソファに座っていると、昼寝をしていた春斗が起きてきて隣に座った。

「兄ちゃん、テレビ、面白い?」

 番組を見ていたわけではない優斗は、小さく「別に」と返す。

 ブラウン管の中ではどこかの町のそば屋の紹介をしている。

「ふうん。じゃ、他に何かやってるかな」

 春斗は言いながらテーブルの上に置いてあった新聞を手に取った。だがそれは昨日の夕刊で、目的のテレビ欄の確認ができない。

 春斗はつまらなそうに辺りを見回した。

「誰か他の部屋に持って行っちゃったのかな」

 言いながら、新聞の紙面を、というよりは記事についた写真を眺め始めた。

 ぱら、ぱら、と何を見るでもなくめくっていって、その手がぴたりと止まった。


「兄ちゃん、これ見て」

 少しだけ興奮したように熱を帯びた声に、優斗は言われるまま新聞をのぞきこむ。

 そこには、白い花の写真が大きく映し出されていた。


 白いでいご。


 優斗は目をみはる。

 でいごは朱いものだ。

 ぱらぱらと降ってくる、肉厚の花びら。

 その柔らかでなめらかな、すばらしい手ざわりの花びら。女どもがそれを集めて笑っているのを、優斗は毎年バカみたいだと思っている。

 1番いいのを1つだけ持ってるのがいいんじゃないか。

 とびきり朱くて傷のないきれいなそれを探して、優斗は花が咲く時期、学校帰りに公民館へ走った。

 そのでいごに白い花があるのだという。


「兄ちゃん、知ってた?」

「知らなかった」

「ぼくもでいごって赤いんだと思ってたよ。白もあったんだね」

「ああ…」

 優斗がぼそりと返したとき、居間におばが入ってきた。

 すかさず春斗が声をかける。

「おばちゃん!」

「ん?なに?」

「これ!白いでいご!」

「白いでいご?」

 おばが新聞を受け取る。そして驚いたように声を上げた。

「へええ。こんなのもあるんだねえ。」

「おばちゃんも見たことないの!?」

 テーブルに身を乗り出してきいてくる春斗に、おばは笑って答えた。

「初めてだよ。白いでいごなんて聞いたこともない。へえ。こんな事ってあるんだねえ」

 楽しそうなおばの様子に、春斗は顔を輝かせた。

「これ、近く?まだ咲いてるかな」

「そうだねえ。近いけど…見たことはないねえ。ほんとかね、これ」

 怪訝そうに首をひねったおばに、春斗はしつこく場所を確認する。それはこの家からそう遠くない場所にある小さな公園、その前の歩道橋の辺りのようだとおばは言う。

 だが、いつも買い物に行くのにその歩道橋を使うし、ジョギングで公園にも行くが、1度も見た事はないと。

 春斗はそれを聞いて黙って下を向いた。


 おばが夕食の支度をするのに台所へ向かうと、優斗はソファから立ち上がった。

「行こう」

 春斗が優斗を見上げる。

「お兄ちゃん?」

「見に行こう、白いでいご」


 午後をだいぶ過ぎて、夕方が近くなっても外はまだ暑い。優斗は春斗に帽子をかぶせ、一緒に外へ出た。

 公園までの道は知っている。そんなに遠くはない。

 けれど、小さな歩幅と細い足で歩く春斗を急がせるわけにもいかず、優斗はゆっくりと、何度も立ち止まり、振り返りながら進んだ。

「ごめんね、兄ちゃん」

 そういう春斗はわずかに息切れしはじめている。

「怒ってる?」

「怒ってない。もっとゆっくり歩けよ。それで、あと影に入れ」

 うん、とうなずくと春斗は足を早めようと力を入れる。立ち止まって後ろを向いていた優斗は、無言で弟の手を握り、引き止めた。そして驚きに息を呑む。

 それは、とても小さい手だった。

 手全体の大きさが、まるで違う。細くて折れそうな指。こんなに暑い中で冷たい体温。

 何かとてもひやりとしたものが優斗の体を急激に流れて、そして消えた。寒々としたものを心に残して。

「兄ちゃん?」

「ゆっくり…、ゆっくり歩けよ。おれ、疲れてるんだ」

「あ、そっか。兄ちゃん、他の親戚のうちとか行ってたもんね。ごめん」

 春斗は少し立ち止まり、そしてまたゆっくりと歩き出した。

 それはとてもとてもゆっくりで。

 一歩足を出して、下ろす。そしてまた前へ一歩、足を出す。

 一つ一つがとてもゆっくりで、ていねいなのか、慎重なのか、ただ歩くだけのそれになぜそんなにも気を払っているのか理解できないほどゆっくりで。

 でも優斗はそれでも怒らなかった。ただ黙って春斗の手を引いていた。

 一緒にゆっくり、ゆっくりと歩いて、じれったさを時々胸の奥に感じながら、優斗はなぜあんなに自分が驚いたのかを理解した。

 初めてだったからだ。

 春斗と手を繋ぐのが。


 公園までは歩いて10分ほどだ。

 けして遠くはないが、今日はもっと時間がかかっている。

 そして歩道橋の下まで来たときには、春斗はすでに疲れて見えた。

「ちょっと待ってろ、歩道橋の上まで行って見てくるから」

 優斗がそう言うと、春斗は握っていた兄の手をそっと離した。優斗は自由になった手になんだか違和感を感じる。けれど、それが何か分からないまま歩道橋の階段を一つ飛ばしに登っていった。


 階段の途中で、歩道橋の上で、優斗は辺りを見回したがそれらしき白い花は見当たらない。

 公園の中に1本、背の高いでいごの木があったが、それだけだ。それはいつも見ている赤。

 大きな交差点の反対側、そのまた反対側にも渡って探して見たが、そこにもない。優斗はしだいにイライラしはじめた。あの新聞が間違えたのか。それとも、住所を間違えて読んでいたのか。

 もう一周回って見よう、その前に春斗の様子を見ておこう、と階段を降りていくと、春斗がこちらに気付いて嬉しそうに手を振った。

「兄ちゃん!あった、あったよ!」


 優斗が慌ててそばへ行くと、春斗は道路の向こうを指差した。

「あれ、あの白いの」

 そこは歩道橋にまるで被さるようにしてその上を超えていく、自動車用の道路、立体交差。その道路の始まる下の部分。地面と道路が三角の小さな隠れ家を作る、その影の中。

 ほんのわずかな土地に、草が茂っている。

 その中に、背の低い枝が伸びていた。木というより、細い枝。そしてその細い枝先にほんのわずかに白い花が咲いている。

「きっとあれじゃないかな。」

「うん、でいごっぽいな。すごいぞ、春斗。よく見つけたな」

 優斗が言うと、春斗は少し照れたように笑った。

「兄ちゃんが向こう側に行ったとき、見てたら気がついたんだ」

「そっか。ちょっと待ってろ」

 優斗がきょろきょろと左右を見ると、春斗がその服の背をつかむ。

「に、兄ちゃん、どうするの」

「ちょっと行って取ってくる」

「いいよ。危ないよ」

「大丈夫だって。ここからじゃよく見えないだろ」

 しかし春斗は首を振った。

「いいんだ。あるのがわかったから」

「でも」

「ううん、ほんとにいいんだ。」

 静かな春斗の口調に、優斗は弟を見つめる。その口元には微笑みがあった。頬をわずかに紅潮させた、本当に嬉しそうな微笑み。けれどどこかかすかな。

 白い、白い肌。苛立ちに似た何かがこみ上げてきて、優斗は弟から目を逸らした。そして春斗がじっとひたすらに見つめ続けるでいごに目を止める。

 影の中で小さくぼんやりと浮かぶその儚い色に、優斗はなぜか泣きたくなった。

「すごいよね、兄ちゃん。白いんだよ。でいごなのに。おれはじめて見たよ」

 春斗は興奮したように少し早口になった。

「いっぱいいっぱい、いろんなものがあるんだ、きっと。うちの中にないもの、いっぱい」

 それは、打ち上げられたさんごの白いかけら。小さな桜色の貝殻。道ばたの冬のたんぽぽ。家の庭先では見かけない鳥の鳴きまね。木のぼりの先で見る、海と空が交わる青い風。

「でも今日みたいに見たり聞いたりできるから、いいんだ。すごいよね、兄ちゃん」

 突然、春斗が優斗を見上げて大きく笑った。

「こういうの、キセキって言うんだよね」

 その笑顔に、優斗の目から涙がこぼれる。

「兄ちゃん?」

「奇跡だ。奇跡っていうんだ。もっとたくさん、奇跡を探すからな」

「うん!」

「あめふらしも見つける。絶滅した鳥だって見つける。全部、全部、見つける。絶対だ、奇跡なんだ」

「うん!兄ちゃん、すごいや!」

 優斗は春斗の手を握った。小さな、小さな手。道路の下、暗く狭いその影の中で白い花がわずかに揺れた。


 それから、優斗は毎日どこかへ出かけて、いろんなものを拾って帰るようになった。

 大きなシャコ貝の貝がら。港でもらったサメの歯。見たことのない大きな木の実。岬で見つけた小さなセミ。1番きれいな朱いでいごの花びら。

 体が大きくなり始めた優斗は、春斗をおぶっていろいろなところへ行った。

 海や山、町中のいろんなところへ。

 公民館の前ででいごが降るのを一緒に見たり、友だちのうちで夜にしか咲かない大きな花を見たりした。


 そうして周りの友人たちも春斗がいる事に慣れた頃、春斗は優斗が中学へ上がってしばらくして死んだ。

 夏にひどい風邪をひいて、入院して、そのまま帰って来れなかった。


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