89話 ユグリアの危機
エンデヴァルドがカーラーン王城への転送ゲートを潜ったと同じ頃、ユグリアには西方面軍の手が伸びようとしていた。
マルクスが愛しのヘレンを救出すべく、崩落したルーツ山の道を強引に復旧させたのだ。 岩を切り崩し、谷を土砂で埋めて、不安定ではあるが行軍出来る道がやっと開通した。 が、無理を強いて作られたが故に、谷に落ちる者や崩れた岩盤に生き埋めになった者は少なくなく、蟲の脅威もあってマルクスの部隊は半数に減っていたのだった。
だが 彼は行軍を諦めない。 先陣を切って進む彼の脳裏には、助けを求めるヘレンの泣き顔が映し出されているのだ。
「待っていろヘレン! すぐに行く! 」
こうなってはもう彼は止まらない。 『西方面軍の静』は今や、ゲッペルよりも『動』となってしまっていた。
一方ユグリアでは、行軍を開始した西方面軍の動きを察知したベアウルフのグリフが、急ぎベースキャンプを離れてフォーレイアのモーリスの元に走った。 状況を聞いたモーリスは麓町イグニスから村人を避難させ、フォーレイアを防衛拠点として陣を組む。
「軍の目的は恐らくユグリアの殲滅だ。 いいかお前ら、気合いを入れて生き残れ! 」
武器を手にした村人達を前に、モーリスは檄を飛ばす。 戦慣れしていない彼らを戦いに駆り出すのはモーリスも憚られたが、彼らの力を頼らなければ数で押されてしまう。 だが彼の心配を余所に、村人達は『この地は自分達で守る』と、魔族も人間族も立ち上がったのだった。
故にモーリスは皆に『生き残れ』と告げた。
「ユグリアは大事だが、生きていればどこでも暮らしていける! 坊ちゃんもきっとそう望んでいるからな! 」
武器はまともなものは少なく、大半が斧や鍬などの農機具。 それでも村人達は武器を高く掲げ、モーリスを前に一致団結するのだった。
少し遅れて西方面軍の侵攻を聞いたリュウ達は、すぐに兵士を揃えてフォーレイアへ迎撃に向かう準備をしていた。
「…… エンデヴァルドを追ってきたのか? 」
セレスと話の最中だったルイスベルは眉をひそめ、西方面軍の侵攻に疑問を抱く。
「彼を理由に、与するユグリア地方の掃討をしたいらしいです。 確か半月前にゲッペルさんがそんなことを言っていました 」
リュウはドラゴニクスを鞘から半分抜き、その亀裂だらけの刀身を見つめた後、鞘に納めて腰に据える。
「リュウ様、その剣ではまともに戦えません。 ここに残って、我々にお任せください 」
心配でたまらないヘレンが深く頭を下げて懇願するが、リュウは微笑んで首を横に振った。
「そうはいきません。 皆、このユグリアを守ろうと戦うのです…… 僕だけ守られているのは違うと思うんです 」
「ですが! 」
「ルイスベルさん、一つお願いをしていいですか? 」
食い下がるヘレンに構わず、リュウはルイスベルを真っ直ぐに見つめた。 彼は頷くことはせず、リュウの次の言葉を待つ。
「この館にメイド達を残していきます。 万一ここに西方面軍が来た場合、彼女達を守ってもらえませんか? 」
「…… その前に、貴殿にはやるべきことがあるだろう? 」
「え? 」
「心意気は立派なものだが、全力を出し切れない状態で戦地に行っても荷物になるだけだ。 先ずは俺を退けた、その傷だらけの剣を修理するべきではないのか? 」
真っ当なことを言われてリュウは言葉に詰まる。
「ウェルシーダのフリューゲルを訪ねろ。 魔王由来の剣とあらば、あの男も文句は言うまい 」
「しかしそれでは時間がかかってしまいます! 」
「貴殿の望みは聞こう。 安心して形見の剣を復活させてくるがいい。 エレンに立ち寄り、賢者殿の力を借りれば早い。 若しくはベルナローズの転送ゲートでウェルシーダに飛べばいい 」
ルイスベルは立ち上がり、飲みかけのグラスを空ける。
「セレス、諜報の速足を手配してもらいたい 」
「いいけど、なにをするつもり? 」
「俺の部下を呼び寄せる。 西方面軍を抑えるには、それ相応の用意がいるだろう? 」
セレスはその言葉を聞いてフワッと微笑んだ。 彼はユグリアの為に北方面軍の力を貸してくれると言うのだから、これほど心強いものはない。
「いいのかしら? 下手をすれば北方面軍まで反逆者扱いよ? 」
「構わぬ。 反逆者を捕らえる為の行軍ならまだしも、この地一帯を掃討するのは解せぬ。 陛下がそのような勅令を発したとは思えぬのだ。 何か裏がある…… 恐らく 」
「勇者一族、かしら? 」
ルイスベルはニヤリと口元を吊り上げ、ゆっくりと確かに、一つ頷いた。
「よく情勢を把握している…… 次期国王と言うだけの器だな 」
「やめてよ。 彼と付き合っていると、他の勇者一族の素行が目立つだけよ 」
「エンデヴァルドか…… 奴もこれを見越して行動していたのかもしれん 」
「どうだか。 あの人は気の向くまま、好き勝手やっているようにしか見えないわ 」
申し訳なさそうに笑うセレスに、ルイスベルは『やれやれ』とため息をつくが、その表情は穏やかだった。
「その代わりと言ってはなんだが…… 」
今度はルイスベルが申し訳なさそうに口を開くと、セレスは言葉を遮って頷く。
「わかっているわ。 レストリクションの解除方は必ず見つけるから 」
「感謝する 」
ルイスベルが右手を差し出すと、セレスは柔らかく微笑んでその手を取るのだった。
ルイスベルは呼び出した諜報部にガフェインとエルファス宛の手紙を託し、自らはリゲルの書斎に飾られていたユグリア地方の地図を前に思案していた。
「なんだか凄い事になってきましたね 」
グランとレテ、エルの3人は開け放たれたドアの影から彼の様子を窺う。 セレスとマリアは壁際で、館の守護を預かるブルムとレクスとの作戦会議を見守る。
リュウとヘレンは諜報部と共に急ぎベルナローズへ向かい、フォーレイアからはハンナも合流してドラゴニクスの修理へと向かった。
「まさかルイスベル隊長が協力してくれるとは思いませんでした 」
馬を駆りながらヘレンは神妙な面持ちでリュウに話しかける。 リュウよりも先に口を開いたのはハンナだった。
「彼、ずっと軍の在り方を模索していたみたいよ。 北方面の守備は部下に任せて、不在が多かったみたいだから 」
「へぇ…… 」
「諜報部隊はなんでも知っているのだな…… 恐ろしい 」
ハンナは『筒抜けよ』とケラケラ笑う。 緊張感もほどほどに、順調に街道を進んでいた彼らの向かいから、急を知らせる諜報部隊のイリスが血相を変えて走って来るのが見えた。 途端にハンナの顔色が変わる。
「どうしたのイリス! 」
「ハンナさん! ベルナローズでエンデヴァルドが! 」
イリスは勢い余って彼らを通り過ぎる。 彼らも慌てて馬を止めてイリスに駆け寄った 。
「落ち着いて説明して! 」
息も絶え絶えに報告するイリス。 ハンナが常備していた水筒を手渡してイリスを落ち着かせる。
「はい! エンデヴァルドが北方面駐屯地内で暴れたようです! 転送ゲートは閉鎖されて、駐屯地内はパニックで! 」
「はあ!? なんでそんな事になってるの! 」
「わかりません! 今エミッサが駐屯地に潜入してますが 」
会話を聞いていたヘレンが憤慨して馬に跨がる。
「あの腐れ勇者! ルイスベル殿が協力して下さるという矢先に、何をしでかしてくれる! 」
「ちょっ! ヘレンさん! 」
リュウの制止を聞かずにヘレンは馬を飛ばす。
「行きましょうハンナさん。 彼が暴れるのは理由あってのこと! 誤解を解かねばなりません! 」
エンデヴァルドを心底信じるリュウに、ハンナは呆気に取られつつも力強く頷く。
「イリス、私達諜報の役目は正確な情報を上層に届けること。 一度ベルナローズに戻り、詳細をユグリアに持ち帰るわよ! 」
「はい! 申し訳ありません! 」
士気を高めたイリスに二人は快く頷き、遠くに見えるヘレンの後ろ姿を追うのだった。