75話 転送の先で
「どこだ、ここは…… 」
マリアとルイスベルが転移魔法から出た先は、急斜面に木々がまばらに立つ岩場の山中だった。 気温は低く、あまり防寒がない二人の装備では震えが来るほど寒い。
「寒いな 」
「…… 方角的にはルーツ山脈のどこかでしょうか。 スレンダン様の耄碌も相当キてますね 」
チッと舌打ちをし、腕を抱いて寒さを堪えるマリア。 ルイスベルを急かした時に力んだスレンダンは、転送先のユグリアの座標を飛び越えて旧魔王城の奥の山中にしてしまったのだった。
「君は転送魔法は使えないのか? 」
「ダークエルフは便利グッズじゃありません。 それ、勇者サマも同じ事聞かれました 」
プイっと背を向ける彼女に、ルイスベルは苦笑いを一つ。
「では下るしかあるまい。 いずれユグリアかアベイルに行き着くだろう 」
おもむろに背中の真っ白なマントを外したルイスベルは、背中を向けて縮こまっているマリアの肩にかけて岩場の斜面を下り出した。
「…… ありがとうございます…… 」
エンデヴァルドとはまた違った気の遣い方をする彼に、マリアは少し戸惑う。
「でもちょっと待ってください。 単に山を下ったからと言って、村や町に辿り着く保証はありません 」
マリアの言葉に、彼は周囲を見渡して目を細める。 木々の間から見える範囲には集落や町は見えず、下って行こうとした平野は、うっそうと茂る緑の森が広がっていた。
「確かに…… 」
彼が知る限り、シルヴェスタ王国にはこのように見える地形は存在しない。 あるとすれば東の街ウェルシーダの南に広がるゼータの樹海だが、ウェルシーダ周辺から北は平地でその先に王都カーラーンが見える筈だった。
「では登ろう。 幸い、山頂は直ぐそこのようだ 」
躊躇することなく登り始めるルイスベルに続いて、マリアもその背中をゆっくりとついて行く。 やがて辿り着いたなだらかな岩場の山頂は、360度見渡せる周囲で一番高い場所だった。
「あれがユグリアでしょうか…… だとしたら、あれは…… 」
マリアが指差した先は、向かって左側の盆地の中心。 仄かに光を帯びているその場所から少し右手に、灯台のような光が小さく見えた。
「間違いなく人の手が入ったものだな。 これはありがたい 」
ルイスベルの顔が綻んだその時、目の前を白い粒がひらひらと舞い降りてきたのだった。
「白の悪魔…… 」
マリアはその一粒を手の平で受け止め、溶けていく様子を見届けた後に空を見上げる。 薄暗い雲の中からゆっくりと落ちてくる大粒の雪は、やがてルーツ山の頂からユグリア地方を白一色に染めていく。
「急ごうマリア。 日が落ちてしまえば、蟲も沸いてくるだろう 」
彼の言葉にマリアは素直に頷き、二人は明かりの見える方向へと下り始めるのだった。
一方エンデヴァルドとジールは、無事レオンが眠るアイテールの大樹の前に無事降り立っていた。 冬を前に満開を迎えたアイテールは半分を散らせ、墓標として建てられていたレオンの剣の周りを白く彩っていた。
「…… レオンが使っていた剣ですか? 」
「ああ、オレが買い与えた 」
ジールは墓標の前に跪き、じっとその細身の剣を見つめる。
「剣技の飲み込みはすげぇ早い男だった。 おまけにすばしっこくてな、もう何年かすれば、軍の剣豪にも負けねぇ腕になっていたかもしれねぇ 」
「…… 臆病で甘えん坊で、いつも私の後をついて離れない子でした。 両親が死に、この子は私が育てなきゃと決意して、生活する為に私は軍に入りました。 生活費は全て弟に渡し、住む場所も与えたんですが…… いつまでも守られているのは嫌だったんでしょう、大ゲンカしてしまいまして。 連絡が取れなくなってそれっきりでした。 次に会えた時には、どんな子になっているのかと思ってましたが…… 」
「…… すまねぇ 」
墓標の前に跪くジールの背中に、エンデヴァルドは頭を下げる。 彼女はおもむろに立ち上がって振り向き、彼の前に立って頭を下げた。
「貴様がレオンを殺したのではないのでしょう? 仇は取ってくれたのでしょう? 」
「そうだが、お前の言った通りこの男が武器を持つきっかけを作ったのはオレだ 」
ジールはややしばらくエンデヴァルドを睨み付け、フッと目を逸らして首を振った。
「不愉快ですが、貴様に憧れて剣を握ったのはレオンです。 自らの意思で戦い、セレスを守ることができ、師に弔ってもらえた…… きっと満足してるんじゃないでしょうか。 魔族には亡骸すら拾って貰えない者が大勢いますから 」
ジールはエンデヴァルドに向けて、初めてフワッと笑顔を向けた。
「ありがとうございました。 こんな状況でここに来れて、私も満足です 」
「…… 満足なんかすんな。 全ての者が平等とはいかねぇが、魔族が虐げられることのない…… せめて飴玉事件以前の立場でいられるようになってから満足しろ 」
「…… そんなこと、本当に出来ると思っているんですか? 」
睨むことはなく笑顔のままのジールに、エンデヴァルドは真正面から見つめた。
「出来るんじゃなくてやるんだよ。 その為にオレはここにいる。 その為にセレスを国王にする。 その為にオレはこの姿になったんだろうからな 」
「傲慢ですね。 たかが魔王ひとりに何が出来るんですか 」
「なんだお前! オレを疑ってるのか!? 」
「軍でも手を焼くほど悪名高い『腐れ勇者』ですからね。 そんなんだから干されるんですよ 」
「うるせー。 やるっていったらやるんだよ! ったく、マリアがもう一人増えたみたいだぜ 」
「あのダークエルフと一緒にされるのは心外です。 私は…… 」
反論しようとしたジールの頭を、彼女とさして変わらない背丈のエンデヴァルドは下を向かせるようにワシャワシャと撫で回した。
「任せとけ。 必ずお前が素直に笑える国にしてやる 」
「…… はい…… 」
押さえつけられて俯いたジールの頬には、一筋の涙が伝っていたのだった。
「そんじゃ行くぞ 」
エンデヴァルドは再度頭をワシャワシャすると、レオンの墓標に背を向けて歩き出す。
「どこへ? 」
「決まってるだろ、メゾットで馬車を拾うんだよ。 ユグリアまで歩きなんて冗談じゃねぇ 」
「…… お金なんて持ってませんよ? 」
ピタッと動きの止まった彼の肩が震える。
「んだとぉ!! 」
エンデヴァルドの吠え声に、花が残っているアイテールの大樹の枝はレオンが笑っているかのように風に揺れるのだった。