57話 北方の守護部隊
エムルシャの意図とは裏腹に、ベイスーン沼地の異変の情報はシルヴェスタ北方の町べルナローズを拠点とする北方面軍にも届いていた。 ベイスーン観測隊からの報告に、北方面軍隊長ルイスベルは眉間にしわを寄せる。
「…… 晴れることのない怨念が晴れた…… か? 」
「分かりません。 ですが、紫の霧がドーナツ状に晴れていっていると、山頂観測員からの報告です 」
「ご苦労。 観測員には引き続き警戒せよと伝えなさい 」
顎に手を当てて考え込むルイスベルに変わって、副隊長のハミルが観測員を下がらせる。
「あの毒沼は大戦時のものだと聞いております。 なぜ今更…… 」
「決まっているだろう、恐らく奴の仕業だ 」
「また奴ですか…… 」
腕を組み、背もたれに体を預けるルイスベルは大きなため息を吐く。
「だろう? 奴は最近、西方面軍に追われてルーツ山脈を越えた筈だ。 今まで変化がなかったユグリアに異変が起きたとなれば、奴が絡んでいるのは間違いない 」
「ですが、奴個人の力では毒沼をどうにか出来るとは思えません。 もしかすると、魔王が与している可能性も…… 」
「あるだろうな 」
『やれやれ』とルイスベルは呟いて腰を上げる。
「警戒体制を取っておけ。 今夜にでも先発隊をオルゲニスタへ向かわせる。 人選はお前に任せた 」
「隊長はどうされるのです? 」
「場合によっては、中央からの援軍も必要になってくるだろうからな。 王にお伺いを立ててくる 」
そう言ってルイスベルは隊長室を出ていった。 残されたハミルも軽くため息をつき、ルイスベルの後を追う。 向かった先は駐屯地の外ではなく、敷地内の円形の聖堂。 三階程の高さのこの建物内に王城と繋がる転送ゲートがあるのだ。
聖堂の中央の床には一段高くなった六芒星の台座があり、その横には真っ黒な石で出来た台形のパネルが設置されている。
「カーラーン王城へ 」
ルイスベルは転送係の魔導士にそう告げると、六芒星の台座に足を踏み入れた。
「お気をつけて 」
「ああ。 留守を頼んだ 」
二人の言葉に、魔導士は卵を模した紋章入りのクリスタルを台座に嵌め込む。 すると、六芒星から光の帯が立ち上り、彼は光に溶けて消えていったのだった。
隊長を見送ったハミルは、そのまま小隊長の詰所へと足を運んだ。 ドアを開けると、トランプを構えて難しい顔をしている屈強な男が3人と、余裕の表情の女が1人。
「おや、どうしました? 副隊長殿 」
紅一点の魔導剣士隊隊長のリセリアが、振り返ってハミルに笑顔を見せる。
「仕事だよみんな。 いつでも出陣できるようにしておいて 」
ハミルの言葉に、4人の顔が遊びモードから兵士の顔になった。
「オルゲニスタ南部のベイスーン沼地の毒霧が晴れてきているそうだ。 ユグリアの魔族の動向に警戒しなさいと、隊長が言うものでね 」
「では、全軍でオルゲニスタに向かうのですね? 」
そう言って立ち上がったバンダナを巻いたトゲトゲ頭の軽騎士長のアーバンに、ハミルは『イヤイヤ』と苦笑いする。
「ここを空にする訳にはいかないよ。 先発隊を組織するのだけど、エンデヴァルドを相手にしたい人はいるかい? 」
アーバンを始め、他の3人が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あの腐れ勇者ですか? 」
リセリアが心から嫌そうな顔でハミルに問う。 ハミルが先発隊の概要を各小隊長に話すと、アーバンやリセリア、重歩兵隊長のガフェインや後方支援隊長のエルファスは、一様に下を向いて手を上げることはなかった。
「仕方ないね…… 僕が決めようか 」
腰に手を当ててため息をついたハミルに、アーバンが『待ってください!』と慌てて叫ぶ。
「お前ら、これで決めようじゃないか! 」
アーバンは手にしていたトランプのカードをテーブルに叩きつける。
「あっ! やっぱりお前がジョーカー持ってやがったんだな!? 」
「負けてるからって仕切り直しするのは汚いですよアーバン! 」
やいのやいの始まった小隊長の様子に、ハミルは再び大きなため息をつくのだった。
待つこと10分。 ババ抜きで負けたのは感情が顔に出やすいアーバンだった。 最後までアーバンと競っていたリセリアは、『よしっ!』と拳を握りしめて勝利を喜ぶ。
「それじゃあ、アーバンとリセリアに決まりだね。 今夜中にオルゲニスタへ着くように 」
『よろしく』と手を上げて部屋を出ていこうとするハミルに、リセリアが八の字に眉を下げて食い下がる。
「えー! アタシもですかー!? 」
「2部隊出すつもりだったからね 」
糸目でニコッと笑う彼にリセリアはガックリと肩を落とし、ガフェインとエルファスは彼女の肩を叩く。
「何も奴と一戦交える訳ではないだろう? 」
「そうですよ。 あくまで先発…… アーバンもいることですし、万が一の時は僕達も駆け付けますから 」
「まとまったようだね。 それじゃ改めてよろしく 」
長いマントを翻して部屋を出ていくハミルに、3人は右腕を水平に構えて敬礼を示す。 アーバンだけは天井を見上げて、真っ白に燃え尽きていたのだった。