50話 ベイスーンの悪魔
ルーツ山脈を封鎖した次の日、麓町イグニスはベアウルフ達の情報でパニックになっていた。
「道が封鎖されただと!? 」
「向こうとの流通がなくなってしまうじゃないか! どうやって生きて行けと言うんだ! 」
「いや、食料は自給自足でなんとかなるわ。 それよりも魔王様よ! 『失われた御力』! 」
町の中央広場に集まった魔族達は、ベアウルフ達を囲んで騒ぎ立てる。
「あの力は魔王ガラハールが途絶えさせたと聞いていたのに…… ということはリゲル様が我々を騙していたのか! 」
怒りをあらわにする魔族に、ベアウルフ達が『落ち着け』と必死に声を掛けていた。
「力を使っていたのは、あの悪名高いエンデヴァルドの方だ。 リュウ様の体を乗っ取って力を手に入れ、峠道を…… 」
「いや、乗っ取られたとは言ってなかったぞ? リュウ様はエンデヴァルドだから使えたとかなんとか…… 」
「待て待て、よく考えればそれこそが奴の策略だったんでは? 」
ベアウルフ達の話はエスカレートしていき、やがて『エンデヴァルドが魔王リュウをたぶらかした』という結論に至った。
「リュウ様可哀想…… 」
「あのお優しいリュウ様が武器を握るなんてあり得ん! 」
キツネ耳の女性は顔を覆って涙し、一本角の男は拳を握りしめて憤慨する。 その輪は中央広場に集まった者達に広がり、その中にはこの地に住む人間族の姿もあった。
「「「リュウ様を救え!! 」」」
魔族達は鎌や鍬を手に蜂起し、一丸となってユグリアに向かっていったのだった。
その頃エンデヴァルドは、セレスの操る馬車に揺られてベイスーン沼地のほとりに足を運んでいた。
「見れば見るほど気持ち悪い沼だな 」
紫がかった瘴気が立ちこめるベイスーン沼地は、見通しがほとんどなくどこからが沼地になっているか分からないほど。 加えて腐乱臭が酷く、正に人々の侵入を拒む毒の沼地だった。
「ほらエバ様、パッパと済ませちゃってちょうだい 」
「おえ…… これをオレにどうしろって言うんだよ? 相当死体を食ってるぜこの沼 」
エンデヴァルドは馬車の屋根に立ち、鼻をつまみながら沼地を見渡す。 ドロッとした沼の水は時折ボコッと気泡を立て、腐乱臭と瘴気はそこから放出されているようだった。
「道を作るって約束したんでしょう? 男ならブツブツ言わないでサクッとやるものよ 」
「うるせぇよ! やりゃいいんだろやりゃあ! 」
エンデヴァルドは馬車から飛び降り、ダンと両足で大袈裟に着地した。
ドン ドドドン
モーゼの海割りの逆バージョン。 底なしの沼と言われているなら、底を作ってしまえと考えたエンデヴァルドは、沼の底を持ち上げて馬車が通れそうな幅の道を作り上げたのだ。
「うわ…… 汚…… 」
盛り上がった沼の底から出てきたのは、倒木や錆びた武具の他に獣の骨や人骨。 ドロッとした沼の水はゼリーのように張り付き、さらに不気味さを演出していた。
「ん? おいセレス…… この沼、浅いぞ? 」
「え? だって底なしの沼だって…… 」
エンデヴァルドは、今度は沼の水を操って左右に分けてみせる。 が、エンデヴァルドのイメージグローブに沼の水は反応しなかった。
「おう? フン! フン!! 何だこの水! 」
エンデヴァルドがいくら操ろうとしても、沼の水は一向に動こうとしない。
「いきなり踊り出してどうしたのエバ様。 水をどかすなんてお手のものでしょう? 」
「それがよ、全然反応しねぇんだよ。 おかしいな…… 」
ドンと地面を蹴ると、沼の水を突き破って底が顔を出す。 力がなくなったわけではないし、竜巻のように水柱を操った事のあるエンデヴァルドには、なぜ沼の水が操れないのかわからない。
― …… ロー…… ―
「なんか言ったか? 」
「え? 」
エンデヴァルドはセレスを見て首を傾げ、セレスもまたエンデヴァルドを見て首をひねる。
― …… メ…… グロ…… ―
風に乗って微かに聞こえた低い声に、エンデヴァルドとセレスは揃って沼を見た。
「向こうに誰かいるのか? 」
「こんな沼の中に? いる筈ないわよ 」
エンデヴァルドとセレスは顔を見合せ、じっと声が聞こえた方向に耳を澄ませる。
ー …… くい…… エタ…… おの…… れ…… ー
その声に混じって、ゴポンゴポンと沼の一部が沸き始めた。 それを認めたエンデヴァルドは、背中に担いだ聖剣エターニアに手をかける。
「下がれセレス 」
エンデヴァルドの緊張した声に、セレスがエンデヴァルドの後ろに後ずさった時だった。 沸いた沼が噴水のように噴き上がり、沼の水は生き物のようにくねりながらエンデヴァルドの頭上に覆い被さったのだ。
「フン! 」
エンデヴァルドはエターニアを一閃し、その軌跡は突風を生んで沼の水を吹き飛ばす。 更にエンデヴァルドは地を蹴り、沼の際に土の防壁を作り上げた。
「水が襲ってきた!? まさかイメージグローブ!? 」
目を丸くして驚くセレスに、エンデヴァルドも冷静ではいられない。
「魔王の力って魔王だけのモンじゃねぇのかよ! 」
ヒヒーン!
慌てふためく二人の横で、突然馬車に繋がれていた馬が悲鳴を上げた。 飛び散った沼の飛沫を浴びた馬は、ヨロヨロとその場にうずくまってしまう。
「まさか…… 」
その様子を見たセレスが絶句する。 馬に付着したドロッとした沼の水は黒いモヤを出し、点々と飛沫が飛んだ馬車の側面の木部分は、ボロボロと朽ちて崩れていったのだ。
「ぼさっとすんなセレス! 」
エンデヴァルドの叫び声にハッと我に返ったセレスの目の前には、沼の水が津波のように押し寄せていたのだった。