115話 後宮という名の牢獄
エンデヴァルドが目をつけたのは後宮の地下だった。 国王と一部の者しか立ち入ることが許されない後宮の地下ならば、目立たず警備も容易い。 後宮の入口は王の寝室と地上からの二つがあり、リヒートが殺されて女達が逃げ出したにも関わらず地上の入口はまだ厳重な警備がされていたのだった。
エンデヴァルド達は王の寝室から再度後宮に入り、ガランとした宮内の螺旋階段を下りていく。 睨んだ通り一階の廊下の奥の目立たない一角に厳重に守られた扉があり、衛兵が守護していたのだった。
「あそこか…… 」
衛兵は堂々と歩いてくるエンデヴァルドに攻撃を仕掛けたが、あっという間に切り伏せられる。 それでも尚扉を守り続ける衛兵の中の、最前列に立つ小柄な重歩兵にエンデヴァルドは目を留めた。
「…… ヴェクスターの母親はどこだ? 」
「し…… 知らない! しし知っていても貴様になど、お…… 教えるものか! 」
光を帯びる彼の目を前に、小柄な重歩兵はガタガタ震えるも屈しない。 他の兵士達が彼らに後退りする中で、その重歩兵だけは正面に立ちはだかったのだ。
「…… そうかよ 」
兵士と呼ぶには幼い重歩兵を彼は容赦なく凪ぎ払う。 盾で受け止めた一撃だったが、重さも力も足りない小柄な重歩兵は吹き飛ばされて柱に激突した。
「うおあぁ! 」
それを合図に衛兵達が飛びかかるが、ファーウェルやマリアに呆気なく叩き伏せられていた。
「小僧、その勇気はヴェクスターなんぞに使うんじゃねぇ 」
エンデヴァルドは気絶して聞こえない筈の小柄な重歩兵にそう言い、頑丈な木製の扉を蹴破って地下へと下りていった。
彼らが降りた先は、血の匂いが充満する牢獄だった。 石壁には点々と松明が掲げられ、その松明に沿って鉄格子のはめられた独房が並んでいる。 中には背中を丸めてうずくまっている人間族や魔族の女が一人ずつ。 彼らが横を通り過ぎても、顔を上げることはなかった。 彼女らは王に捨てられた後宮の女達だったのだ。
「ひでぇ有り様だな 」
ヴェクスターはここで両族を無理矢理交わらせ、ダークエルフを生み出していたのだ。 エンデヴァルドは無表情で通路を進み、鉄格子の前を通る度に立ち止まって中を見る。
「がああっ! 」
一つの牢獄の前に差し掛かったその時、よだれを撒き散らしながら人間族の女が牙を剥いた。 彼女は鉄格子に張り付き、間から手を伸ばして彼に爪を立てようともがいていた。
「楽にしてやる 」
女の腹はパンパンに膨れ上がり、妊娠によって精神に異常をきたしている。 エンデヴァルドは鉄格子越しに女に向き合い、エターニアを女の首目掛けて振り抜いたのだった。
「全てを無効化する力…… エターニアは、痛みや苦しみをも取り去るのでしょうか…… 」
ファーウェルは首から上を失って崩れた女の手をそっと握る。 転がった生首は牢獄の奥に転がって見えなかったが、体は痙攣も起こす事なく沈黙していた。
「お前ら、先にここから出ろよ。 惨殺現場なんか見たかねぇだろ 」
エンデヴァルドは薄暗い通路の奥を見据えて、二人に静かに告げる。 彼はこれから、この研究所の全てを葬るつもりだった。
「何を今さらカッコつけてるんですか。 貴方だけに罪を背負わせるつもりはないんですが 」
マリアはとんがり帽子を深く被り直してエンデヴァルドの横に立つ。 するとファーウェルがマリアの襟首をつまみ上げ、抱き寄せて彼から引き離したのだった。
「お姉様!? 」
「カッコつけるのも男の生き様なのでしょう。 私達には、他にやるべき事があるようです 」
「えっ? 」
「聞こえませんか? 外で戦闘が起こっているようです 」
ファーウェルはマリアの髪をかき揚げて、ダークエルフの象徴でもある尖った耳を露出させた。 カーラーン王城の庭園方向から、金属を打ち合わせる音と男達の喧騒が聞こえてくる。
「恐らく『ジ・ハーデリア』でしょう。 侵入経路を確保してあげなければ、全滅されては面倒になります 」
「…… はい、わかりました 」
マリアはファーウェルに答えた後、奥へと歩いていくエンデヴァルドに叫ぶ。
「また調子に乗って自滅しそうになるなんて許しません! 王の間で待っていますから! 」
エンデヴァルドは背中を向けたまま片手を挙げて軽く返事をする。 だがその表情は険しく、通路の奥にぼやっと光をたたえている一室を見据えていたのだった。
青白い光が漏れる一室の中は、研究所というより拷問部屋に近かった。 エンデヴァルド達が後宮に踏み込んだ時には一人の魔族を解体中だったらしく、腹を裂かれた女が血の海を作って寝台で息絶えていた。
壁には薬品の瓶がずらりと並べられ、3つあるガラス製のポッドにはへその緒がついたままの赤子が液体の中に浮いていた。
「…… のやろう…… 」
そのうちの一つは、人の原型を留めていない。 もはやボコボコに膨れ上がった肉塊だった。 研究所の人間族の姿はなく、リヒートが殺された段階で我先にと撤退していたのだった。
「ヴェクスター!! 」
エンデヴァルドは獣のように吠えてエターニアを抜き放ち、床に突き立てた。 金色の片目は怒りに光輝き、呼応するようにエターニアも光を帯び始める。
「がああっ!! 」
雄叫びと共にエターニアから衝撃波が発せられた。 衝撃波は天井を吹き飛ばし、柱を砕き、壁をぶち抜く。 床に出来た亀裂からは幾筋もの金色の光が溢れ、エンデヴァルドを中心に大爆発を起こしたのだった。
地階を失った後宮は轟音を立てて崩れ去っていった。 研究所はもちろん、ポッドの中の赤子や牢獄のダークエルフらは全て瓦礫の下敷きになったのだ。
「なんということだ…… 」
メゾットの転送ゲートからカーラーンに戻ったヴェクスターは、噴煙の立ち上る後宮を目の当たりにして呆然と立ち尽くす。
「よぉ。 待ってたぜヴェクスター 」
瓦礫の山と化した後宮の前には、エンデヴァルドがエターニアを肩に担いで立っていた。 頭から血を流し、服はあちこちが破れてボロボロの状態だったが、ヴェクスターを見据える眼光は畏怖するほど鋭い。
「…… 魔王め…… 」
ヴェクスターは腰の剣に手を伸ばす。 だが彼の額には脂汗が滲み、剣を握る手は震えていた。 エンデヴァルドを前に、敵う筈がないと直感していたのだ。
「魔王? 違うな。 誰もオレを王と呼ぶ奴はいねぇ 」
一歩ずつ近づいてくるエンデヴァルドに、ヴェクスターは萎縮して剣を抜くことも出来ない。
「うおぉ! 」
彼の両脇を固めていた護衛兵がエンデヴァルドに斬りかかったが、一瞬のうちに両断されて肉体は跡形もなく塵になった。 ガランと鎧や剣の残骸が地面に落ちる。 斬られた者が一瞬で消滅するなど、他に類を見ない非常識な現象だった。
「あ…… ああ!! 」
悲鳴に似た雄叫びを上げたヴェクスターはやっと腰の剣を抜き、エンデヴァルド目掛けて投げ付ける。 いとも簡単に弾いたエンデヴァルドには、ヴェクスターの両手が向けられていた。
「『グランドセフィロス!』 」
ヴェクスターが叫ぶと、ドーム状に風の結界がエンデヴァルドの周囲に張られた。 その結界の中の空気は吹き荒れる風で収縮し、やがて限界を越えると急速に膨張して爆発を起こすのだ。
「意味ねえんだよ! 」
エンデヴァルドがエターニアを一閃すると、破られる事のない結界はパックリと口を開けて消滅する。 全てを吸収無効化する聖剣には、魔法攻撃は無意味だった。
「き…… 貴様など! 聖剣がなければ貴様など! 」
打つ手のないヴェクスターは、敗北を認めたくなくて言い訳を口にし始める。
「ああ? じゃあ使ってみろよ 」
エンデヴァルドはヴェクスターの頭上にエターニアを放り投げた。 エターニアはズンと重たい音を立ててヴェクスターの目の前の地面に突き立つ。
「…… クク…… 愚かな…… 」
未だ光を帯びているエターニアにヴェクスターは手を伸ばす。 エンデヴァルドしか受け付けない筈の聖剣は、拒否反応を起こさずヴェクスターの手の中に静かに収まった。
「おお…… エターニアが俺を認めた…… 」
地面から切っ先を抜き、ヴェクスターはエターニアを両手に握りしめる。
「うぐっ!? がああっ! 」
だが次の瞬間、ヴェクスターはエターニアを握りしめたまま苦しみ始めたのだった。