112話 後宮中の殺戮
カーラーン王城の一画にある中空階層に作られた後宮には、国王に気に入られた幼女から熟女までの十数名暮らしていた。 名目は『選ばれた宮廷の使用人』となっていたが、実のところは国王専用のハーレムである。
性欲の強いリヒートはこのハーレムをいつか自分のものにしてやろうと企み、秘密裏に続けていたダークエルフの研究を武器にヴェクスターと手を組んだ。 そして彼は今、ハーレムのど真ん中で野望達成に酔いしれていたのだった。
「リヒート様、あの女が見ていると楽しめませんわ 」
薄暗い大部屋の真ん中に置かれたキングサイズの倍以上のベッドに、うつ伏せに横たわったネグリジェ姿のセーシルが文句を言う。
「奴は私の保険なのだ、いないものとして扱え 」
部屋の角で静かに椅子に座るのはレティシアだった。 闇に溶けるように息を殺し、壁に向かって一点を見つめるその表情は虚ろで、人形のように精気がない。 彼女はシュテーリアが爆発に巻き込まれて行方不明になったと聞き、生きる希望を失いかけていたのだった。
「よく分かりませんけど…… まさかここを欲しいが為にあのエロジジイを始末するなんて、リヒート様も欲深いですわね 」
「お前だって老いぼれを相手にするよりいいだろう? 」
微笑んで体を重ねてくるセーシルの肩を、リヒートはもう一度抱こうとしたその時だった。
ズンと部屋が揺れ、テーブルの上の花瓶が床に落ちて砕ける。
「なんだ!? 」
外から聞こえる喧騒と、再び起こる地震のような振動。 リヒートが裸のまま窓に駆け寄って外を見ると、王城の正門辺りに火の手が見えた。
「リヒート様! 御避難をお願いします!! 」
慌ただしく衛兵が部屋に入ってくる。 後宮は衛兵が立ち入りを許されておらず、それだけで切羽詰まった状況なのだとわかる。
「何事だ!? 」
リヒートは即座にガウンを羽織り、セーシルがシーツを体に巻いた瞬間、ドア付近が爆発して衛兵がエビ反りに室内に吹き飛んできた。
「なっ…… 」
「よおリヒート、随分とお楽しみ中じゃねぇか。 オレも混ぜろよ 」
爆発の砂煙の中から姿を現したのは、エターニアを肩に担いだエンデヴァルドと純白のアーマードレスのシュテーリアだった。
「エンデヴァ…… !? 」
暗闇にボヤッと浮かび上がる彼の金色の片目にリヒートは言葉を失う。 実験に使っていたダークエルフが、同様の目の色をしているのをリヒートは知っていたからだ。
「混ぜろだなんて下品ですね、エンデヴァルド。 あなただって…… 」
「つっこむところじゃねえ雪女! それより邪魔が入らねぇよう、ちょっと衛兵と遊んでろ! 」
エンデヴァルドの文句には耳を貸さず、シュテーリアは部屋の隅で目を丸くしているレティシアに目を向けた。
「お姉様…… 」
「お迎えに来ましたよ、レティシア 」
レティシアは姉とエンデヴァルドを見比べて涙を浮かべる。 だが彼女は喜びを見せずに、僅かに首を横に振るだけだった。
「何をしているシュテーリア! その腐れ勇者を始末しろ! 」
リヒートは彼女を指差して怒鳴り散らす。 シュテーリアは目を細め、腰に据えたレイピアを握ってエンデヴァルドに向き直った。
「エンデヴァルド…… どうか…… 」
最愛の妹を前にしたシュテーリアは、頭ではエンデヴァルドを信頼しているものの、やはり安全策を取らざるを得ずに彼に切っ先を向ける。
「任せろ 」
短く答えた彼と彼女は、次の瞬間には刃を交えていた。
「うるぁ!! 」
エンデヴァルドは力任せに剣を振り抜き、シュテーリアを壁際へと吹き飛ばす。 彼女が吹き飛ばされた先にはレティシアがいた。 彼女はぶつかる瞬間に妹を抱き抱え、体を反転させて威力を殺し激突を防ぐ。
「おらぁ!! 」
エンデヴァルドは追撃で炎魔法を彼女達に浴びせた。 だが炎魔法は、シュテーリアが前面に張った氷魔法に阻まれ、相殺されて水蒸気を生んだ。
「くぁっ! 何も見えん! 」
部屋に充満する水蒸気に、リヒートやセーシルがむせかえる。 これがエンデヴァルドの作戦だった。 彼は炎魔法の他に風魔法をも発動し、発生した水蒸気をリヒートの周囲に集めたのだ。
「頭を押さえてしっかり支えてろ雪女! 」
彼女は言われるがままにレティシアを抱きしめる。 その瞬間、レティシアの艶やかな長い後ろ髪が宙を舞った。 エンデヴァルドが彼女の髪ごとチョーカーの黒水晶を一閃したのだ。
「ああっ!! 」
黒水晶は木端微塵に砕けたが、首に張り付いたチョーカーだけとはいかず、彼女の首後ろをも切り裂き血飛沫が舞う。
「止血だ雪女! 」
シュテーリアはすかさず傷口を手で覆い、マリアから受け取っていたフリューゲルの治癒クリスタルを手の甲に重ねる。
「レティシア! 大丈夫ですかレティシア!? 」
膝から崩れる彼女を支えながら、シュテーリアは妹の名前を叫ぶ。
「はい…… お姉様! 」
するとレティシアは、首の痛みを堪えながら彼女をギュッと抱きしめてきたのだった。
「これでお前の妹は解放だな? 」
エンデヴァルドは、はらりと床に落ちた真っ赤なチョーカーをエターニアで突き刺す。 チョーカーはまるで生き物のように暴れ、やがてどす黒く濁って動かなくなった。
「レティシア! ああ…… 本当に良かった…… 」
涙を溢すシュテーリアにレティシアは一言一言答えていたが、姉の身を案じていた緊張と会えた安堵で、やがてシュテーリアの腕の中で気を失ってしまった。
「ぐああっ! 」
立ち込める霧の中でリヒートが胸を押さえて苦しむ。 レストリクションの接続が強引に断たれたせいで、心臓を握り潰される感覚が彼を襲ったのだった。
「おのれエンデヴァルド! 」
やがて霧が晴れると、リヒートの目の前にはエンデヴァルドが仁王立ちしていた。
「次はお前だ。 前回のツケもきっちり払ってもらうからな 」
エンデヴァルドはリヒートの腹部を蹴り上げ、宙に浮いた横顔に拳を振り切る。 空中で一回転したリヒートは鼻や口から流血し、数本の歯が飛んでいた。
「まずはジールの恨み分だ 」
「ぎゃああっ! 」
顔を押さえてもがくリヒートを無理矢理立たせ、二発殴った後に回し蹴りを食らわせて壁に吹き飛ばす。
「これが母親を失ったルクスの分だ。 次は…… 」
「ま、待て! あれは私じゃない! オルゲニスタの村長が…… 」
手を伸ばして言い訳をするリヒートの腕が飛んだ。 エンデヴァルドが彼の肘を一閃したのだ。
「ひぎゃあ!! 」
「わめくなよ。 お前に引き殺された母親の痛みはこんなものじゃねぇ 」
見下すエンデヴァルドの金色片目が不気味に光を増す。 飛び散る鮮血と悲鳴にセーシルはガタガタと奥歯を鳴らし、ベッドから転げ落ちて失禁していた。
「待ってくれ! い…… 命だけは…… 」
「うるせぇよ。 まだシュテーリアとオレ…… ああ、レティシアの分も残ってるな 」
エンデヴァルドがリヒートの足元を薙ぐと、今度は右膝の下が床に転がった。 リヒートはバランスを崩して血溜まりに倒れ、感覚も麻痺した彼は、もう声も出ない。
「簡単には殺さねぇぞ。 生きたまま実験材料にされたダークエルフの分も残ってるからな 」
横たわる無惨なリヒートの姿を前に、エンデヴァルドは慈悲も容赦もない。
「そこまでですエンデヴァルド! もういいでしょう! 」
シュテーリアがエターニアを振り上げた彼に叫んだ。 彼女もリヒートの行いを許すことは出来ないが、さすがにやりすぎだと我慢できなかったのだ。
「うるせぇ…… せっかく妹を救い出してやったんだからさっさと消えろ、雪女 」
肩口から見据える彼の突き刺さる冷たい目線に、彼女は体の奥から恐怖を感じて一歩ずつ引き下がっていくのだった。