10話 利用すればいいんです
襲い掛かってくる蟲から必死に逃げ、迎え撃ちながら二合目のベースキャンプに辿り着いたのは明け方だった。 二合目ベースキャンプに到着したエンデヴァルド一行は、軽く食事を済ませて仮眠を取り、次の8合目ベースキャンプへの出発に備える。
ベースキャンプと言っても、山越えをする旅人の臨時の休憩所というだけであって、20人程度が雑魚寝できる大広間一つだけの簡素な造りだ。 自分達で火を焚かなければならないが、四方の柱には蟲除けのかがり火が掛けられるようになっていて、ある程度の蟲や野獣の侵入を防げるよう外壁は強固なものになっていた。
今ベースキャンプ利用者はエンデヴァルド一行のみ。 グランとレテは早々に起きて荷の整理を始め、セレスは鎧戸の隙間から外を眺めていた。 流石に疲れたのか、マリアは未だレテの整理する荷物の側で丸くなって寝息を立て、エンデヴァルドに至っては大広間の中央で大の字になっていびきをかいている。 エルは部屋の隅で両足を抱え、レテが差し出したコッペパンにも手を付けず、ただエンデヴァルド達の様子を警戒するばかりだった。
「そろそろ出発しないとまた陽が落ちてしまいます。 八合目キャンプまでは緩やかですがちょっと距離があるんです 」
荷物整理を終えたグランがセレスに工程を説明した。
「8合目を超えれば10合目まではジグザグの山道になり、その先からは急斜面を下りていく工程ですね。 下り始めれば麓まではこちら側より距離的に短いので速いです 」
「そう、じゃあ出発しましょ。 悪いけどあの子、説得してくれる? 私じゃ心を開いてくれそうにないわ 」
セレスはエルを流し見てエンデヴァルドを起こしに行った。 グランは自分の背丈ほどもある大きなリュックを軽々と背負い、エルに近寄って目の前に正座をする。
「僕たちは君をどうこうしようなんて思ってません。 それは分かりますね? 」
エルはじっとグランの目を見たまま頷きもしない。
「ここにいてはいずれ人間族の軍が追ってきます。 その前に蟲の餌食になるかもしれない。 とにかくこのルーツ山脈を超え、少しでも早く離れる必要があります。 それも分かりますね? 」
グランはエルが頷くことを期待していないのか、そのまま話を続けた。
「勇者様は君を助けました。 故に王軍に追われる立場になりました。 勝手にしたことと言われればそうですが、それならば僕たちを利用して下さい 」
「…… 利用? 」
初めて口を開いたエルに、グランは微笑んで頷いて見せる。
「はい。 ルーツ山脈を超えて人間族の軍が追って来ないとも限りませんが、魔王様に直訴すれば匿ってくれるかもしれません。 僕たちは魔王様にお会いする為にこの旅をしているのですから、君も魔王様にお会いする為に僕たちを利用して同行すればいいんです 」
「…… 」
「無理強いはしません。 勇者様なら必ず魔王様の元へ辿り着くでしょうから、安全面でも心配ありませんよ 」
グランはそう言うと立ち上がってドアに向かった。 レテもエルに一度振り返ってグランの後に続く。
「ほらエバ様、すがすがしい朝ですよー 」
セレスにガシガシ蹴られて起こされたエンデヴァルドも、セレスに腕を絡められて寝ぼけながらドアを出て行った。 残されたエルは、埃が付かないよう白い布の上に置かれたコッペパンを見つめ、そして一行が出て行ったドアを見つめた。
「魔王…… か…… 」
エルはコッペパンを丁寧に布に包み、ぼろきれのような上着の懐に大事に抱えてドアを開けた。
出発が早かったおかげで、一行を乗せた馬車は山裾に陽が沈む前に八合目のベースキャンプに辿り着く事が出来た。 昼間移動する間は蟲の襲撃はなく、襲ってきたのは野犬の類でエンデヴァルド達の敵ではなかった。 人間族の軍の追撃も今のところは一切なく、すれ違ったのも数台の人間族の商人が操る馬車のみ。 だが『人間族の軍はその商人らからこちらの目撃情報を聞き出して追ってくるでしょう』というマリアの推測通り、先発騎兵隊は2合目のベースキャンプまで迫っているのだった。
「夜中には出発した方がいいかもしれません。 下りの6合目を超えれば蟲の脅威はグッと減りますから 」
それはその辺りから魔族の生活圏に入るという証拠だった。 魔族のほとんどはこのルーツ山脈を越えたユグリア地方に追いやられ、極力人間族側と関りを持たないようにひっそりと暮らしている。 ユグリア地方は国土の約10分の1程度で、周りを山々が囲む盆地だ。 このユグリア地方も王国の支配下にあるが、土地は痩せていて作物の実りは乏しく、深部では季節になれば雪が積もり川が凍る。 一度は魔族掃討の為に進攻されることもあったが、魔王を死守しようとする魔族の反抗と価値のない土地柄によって放置されていたのだった。
「そうですね…… 軍がどこまで来ているのかもわかりませんから、先を急ぐことに越したことはないでしょう 」
マリアは昼間の馬車移動で疲弊した馬に回復魔法をかけ、荷台の干し草と水桶を与えた。
「くそ…… ケンカふっかけてきたのはアイツらなのになんでオレらが逃げなきゃならねえんだよ…… っと! 」
エンデヴァルドは馬車移動で凝り固まった体を伸ばす。 『仕方ねぇけど』と状況は理解していたので、セレスもマリアもその愚痴には突っ込まなかった。
「んで? ちゃんとメシは食ったんか? 」
エンデヴァルドはエルに背中を向けたままめんどくさそうに問いかけた。
「…… 」
「…… まあ、別に食わんくてもいいけどな。 おら、返せ 」
エンデヴァルドはエルを睨み付けて手を伸ばし、懐のコッペパンをよこせと催促した。
「勇者様! エルの分を取らなくてもまだ…… 」
荷物の中から慌てて食料を取り出そうとしたグランの手をセレスが止める。
「早くよこせ、エル 」
エルは怯えながらも懐のコッペパンを取り出し、恐る恐る差し出した。 エンデヴァルドはぶんどるようにコッペパンを奪い、布を乱暴に取って噛り付く。
「うまっ! 」
がっつり一口かじった後、エンデヴァルドはコッペパンをまた布に乱暴に包んでエルの手の中に押し付けた。 そのままエルに背を向け、ベースキャンプの中へと消えていく。
「え…… あ…… 」
エルは押し付けられた包みとエンデヴァルドの背中を交互に見ながら唖然としていた。 その様子をじっと見ていたセレスはクスっと笑う。
「毒なんか入ってねぇよ! ってことでしょう? あの人なりの気の遣い方だから勘弁してあげて 」
「…… そんなつもりじゃなかったんだけど 」
「おっ! やっと喋ってくれたね。 やっぱエバ様には敵わないかなぁ 」
ニコッと笑うセレスに、エルは包みを抱いて俯く。
「ついでに言えば、動くべき時に備えてちゃんと食べなさい! ってことだと思うわよ 」
「ベタですね。 ツンデレですか? 似合わなさすぎます。 気持ち悪いです 」
容赦ないマリアの独り言にグランとレテは吹き出し、エルは挙動不審にそれぞれを見た。
「さあ、僕たちもご飯にしましょう。 少し余裕あるので温かいものを作りますね 」
グランとレテは全ての荷物を抱えてベースキャンプに入っていく。
「なんか、不思議なパーティー…… 」
ボソッと呟くエルの表情は、エンデヴァルドのおかげなのか少し緩んだものになっていた。