プロローグ
人間族と魔族の大戦以降、人間族側と魔族側は一切関わりを持つことなく日々を送っていた。 ルーツ山脈がお互いの生活圏の境界を示し、どちらもその境界線を越える事はなかった。 だが、大戦から300年を超えたある日、変化が訪れる。 魔族の生活圏内に程近い人間族の村が山火事によって焼かれたのだ。 その村の人間族達は逃げ場を失い、唯一の逃げ道はルーツ山脈だった。 悩んだ末に人間族の男達は、女子供だけでもと立ち入ることを禁じられていた魔族側との境界線をやむを得ず超えてしまう。 命からがら逃げた先…… そこで待ち受けていたのは魔族達の救いの手だった。
命あるものを助けるのに種族など関係ない
そうした一部の魔族達の行動に、人間族側と魔族側の関係が変化していったのだった。
魔族は邪悪なるもの
そんな風に言われていたが、魔族に救われた人々にはそんな言い伝えなどもはや関係なかった。 初めて目の当たりにした魔族の容姿も人間族とさほど変わらず、頭にちょっとした角があったり、尻尾が生えていたり、飛べもしない小さな翼があったり…… ただそれだけ。 書物に残っていたような特徴的な体は、時代と共に退化していたのだった。 ただ人間族と大きく違ったのは、魔族達は日々食うに困るほど貧しかった。
自分らを救ってくれた魔族の恩義に応えようと村の人間族達は、生活の知恵や道具を魔族達に教えた。 共に暮らし、協力しあって村を大きくしていく。 やがてその人々が主導となって近隣の村を説得し、次第にその輪は大きくなっていって、人間族と魔族の共存の導がそこから始まった。 中には疑いの念を剥き出しにする者もいたが、逆にその者達の方が淘汰されて消えていった。 それから100年も経てば、人間族と魔族が共に暮らす村や町があることが普通になる。 町を行き交う人々は人間族だろうが魔族だろうが関係なく、中には種族を越えて結婚する者もいた。 ただ子供に関しては遺伝子上の関係か子供ができることは稀で、運よく身籠ったとしても健全な状態で生まれることはなかった。 故に人間族と魔族のハーフは存在せず、種族間で完全に交わることはできないと人々は思い知らされた。
人間族と魔族の大戦など過去の物
人々が皆そう思っていた矢先、一つの事件が城下町カーラーンの近くにある小さな村ホセで起きた。
魔族の子供が人間族の子供の目を潰した
事の発端は子供同士の飴玉の取り合いだった。 魔族の子供が母親に買ってもらった飴玉の瓶を人間族の子供が奪い取ったのだ。 人間族の子供は家が貧しく、飴玉すらあまり口にしたことがなかった。 二人は友達だったが、魔族の子供も少し悪ふざけが過ぎた。 人間族の子供は我慢できず飴玉の取り合いになり、転んだ際に運悪く魔族の子供の短い角が目に刺さった、というのが真相だ。
幸いにも失明にこそ至らなかったが、これを単なる子供同士の喧嘩だと収めない者がいた。 いや、これを好機だと思ったのかもしれない。
やはり魔族は邪悪なるものだ
そう唱え始めたのが、かつて魔王を討ち倒した『勇者』と呼ばれる一族だった。 過去の栄光から立場は国家から保障されているとはいえ、種族間の争いがなくなった今では『勇者』という肩書きは何の意味も成さない。 もう一度あの栄光をと胸に秘めていた一族の一部の者が、この事件を機に魔族を糾弾し始めたのだった。
魔族に眠る邪悪な根を忘れてはならぬ
あっという間に噂は広がり、勇者一族を支持する者が次々に現れる。 大袈裟に騒いだ効果もあってか、勇者一族がそう言うならと、魔族に対する不信感は瞬く間に国土を包み込んだ。 噂が噂を呼び、各地で人間族達は魔族を虐げ始めた。 それは大都市ほど顕著に表れて、今年の農作物の不作も魔族のせいだともされた。 そんな噂が城下町カーラーンから遠く離れた魔族の耳に入らないわけもなく、憤慨した大勢の魔族達が暴徒と化した。 現シルヴェスタ国王フェアブールトはそれを放っておける筈もなく、勇者一族の裏打ちもあって各地の魔族の鎮圧に乗り出す。 だが、退化したと言っても人間族より身体能力的に上である魔族の抵抗は想像以上に大きく、同時多発する暴動に鎮圧は難航を極めた。
魔王を討伐せよ
500年前に魔王は勇者によって討伐されたが、魔王の血筋は絶えていなかった。 その存在はルーツ山脈の奥にあり、現存する魔族に対して実質的な影響力はあまりなかったが、魔王という絶対的な存在に危機感を覚える人間族は多い。 国王フェアブールトは、かつて魔王を討伐した勇者一族に、これを命令せざるをえなかったのだった。