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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とりあえずの境地

作者: ゆうちく

始めてコメディを書きました。よろしくお願いします。

 帰りのホームルームが終わって一時間もすると、学校のあちこちから部活動に打ち込むやつらの活発な音が響いてくる。夏も始まって十六時を過ぎてもまだまだ日は高く、日差しもえげつないのに元気なことだ。ま、部活に入ってないぼくには無縁の話だ。今日はさっさと帰って、新作ゲームの続きをしたい。


 そんな訳なので。


「先輩、そろそろ帰って良いですか」


「ダメだ」


 今日も今日とて呼び出されたので来てみれば、先輩は一人窓際の席に座って机に突っ伏したまま微動だにしない。うなじがちらちらと白く眩しいこの先輩は、顔立ちは整っていてなかなかの美少女なのだが、その眼は死んだ魚のように濁っている。何時も気怠そうな雰囲気を纏っており、何を考えているのかいまいちよくわからない。


「そんな……だったら何の用事で呼び出したのか、さっさと教えてくださいよ」


 ホームルームも終わればクーラーも切られてしまい、教室内は窓を開けても蒸し暑い。このままここにいたら蒸し焼きになってしまう。用があるならさっさと言ってくれれば良いのに。どうせパシリかなにかだろう。自販機のジュースぐらいなら買ってきても良いから、早く用件を言って欲しい。


 しかし、今日の先輩は呼び出しただけ呼び出しておいて、ずっと黙って窓の外をみつめている。中途半端な広さの校庭では、サッカー部と野球部と陸上部とラグビー部が渾然一体となって自らの領土を主張するかのように叫び散らし、身体から迸る汗をまき散らしている。


 先輩は机に突っ伏したまま、おもむろに此方を向き、口を開いた。魂でも抜け出てしまいそうなくらいだらしなく口を開けて、深く長いため息を吐いた。


「はぁ~~~だめだ~~。今日はダメだ。あれだな、何一つとしてやる気が出ない。後輩ちゃん、私はもうダメだ。ココは私にまかせて先に行くんだ」


「いきなり意味不明ですよ。ぼくらは何と戦ってるんですか」

「世界」

「壮大だなぁ」

「じゃあ青春」

「いや、意味分かんないですけど」

「なんだ! じゃあもう自分で考えろよ!」

「えぇ……」


 今日の先輩はいつにも増して手に負えない。もしかして酔っ払ってるのか?


「何か知らんけど死ぬほどやる気が出ない。私の中の若さと情熱は、この炎天下で棒アイスのように溶け出してしまったらしい。もう私はただの棒さ。うん? このままアイスの棒としてここで一生を終えるのも、それはそれで一興かもしれない」


 そう言うと先輩は急に音を立てて椅子から立ち上がった。いや立ってない、身体を一直線にぴんと伸ばし、机の端を支えにして斜めに直立している。凄まじい体幹により維持されたその姿勢は、一種の美に達していると、そう形容しても差し支えないものであるのかもしれない。


 その姿勢はまさに、アイスの棒の如くであった。


 先輩のすることは、いつも突拍子がない。なので、この程度の奇行に驚いていたら身が持たないのだ。


「なにアホなこと言ってるんですか、先輩」

「…………」

「もう帰りましょうよ」

「…………」

「おーい先輩。先輩、せんぱい、センパイ」

「……先輩は今アイスの棒なんだ。だから呼び掛けられても返事はしない」

「思い切り返事してるじゃないですか。先輩はアイスの棒じゃなくて人間なんですから、もう帰りましょうよ」


 先輩はしばらく姿勢を保ったまま微動だにしなかったが、さすがに限界が来たのか、その場にへにゃりと崩れ落ちた。もう椅子に座る努力すらせずに、膝を床につけて両腕をだらんと垂らし、顎だけを机の上に載せている。


「だめだ。今のわたしにはアイスの棒になるだけの覚悟がなかったらしい」

「そんな覚悟一生無くて良いですよ。ほら帰りましょう」


 だらけきった先輩の姿を見かねてぼくが手を差しだすと、先輩はいきなり喉の奥から出てくるようなくぐもった笑いを漏らし始めた。さすがに不気味だ。暑さで脳をやられたか……?


「ふふ、そうはいかない。先輩は今何をするにも億劫なので、このままだと家に帰ることは愚か、立ち上がることすら出来ない。さっきからずっと座ってたせいでお尻が痛いし窓際だから太陽は暑いし……どうしたら良いと思う? 後輩ちゃん」


 立てば良いんじゃないかな。


 やれやれ、今日の先輩はとことん無気力であるらしい。別にいつものことと言えばいつものことだし、放置して帰っても良さそうだけど、先輩は、高校入学して友達も上手く作れないままだったぼくに声をかけてくれた人だ。今でも、部活も学年も違うのに付き合いが続いている貴重な先輩だ。もう少しだけ真面目に話に乗ろう。


「まぁ、気持ちは分からないでもないですけど……。そういうときは、何をするにも軽い気持ちから初めて見たら良いんじゃないですか? 『とりあえず』って感じで、『とりあえず』カバン持つか、とか、『とりあえず』靴履き替えるかとか。最初は億劫でも、大抵のことは、一回動き出しちゃえば後は惰性で何とかなりますよ」


「むーん。しかしそれだと、『とりあえず』と思うまでの億劫さにはどう対処したら良いんだ?」


 何かめんどくさいこと言いだしたぞこのひとはまた……。ぼくがどう答えたものか思案していると、先輩は何か納得したように微かに肯いた。


「いいやなるほど「とりあえず」か。確かに今のわたしに必要なのは、そのヘリウムガスみたいな軽い思考回路かもしれない」

「もしかして喧嘩売ってます?」

「では、早速、とりあえず何をしたら良いと思う」

「スルーですか。というか、え、それをぼくに聞くんですか」

「今のわたしはそれを決める気力すら無い。だから、たまたま近くにいた後輩ちゃんに、とりあえず何をしたら良いか決めてもらおうかと」


 たまたま近くにいただと? 先輩が呼びつけたんでしょうが。この暑さの中、意味も無く待たされ続けたぼくの頭は、この熱気に大分参っていた。普段なら気にすることもないほどの何気ない言いぐさに、かちんときてしまったのだ。そんな言い方をするなら、ぼくにもそれ相応の考えがあるぞ。


「そこまで言うなら決めますけど。頼んだからには絶対に実行してくださいね」

「変な罰ゲームとかじゃなければ良いぞ」

「そうだな、じゃあ……」


 とはいったものの、特に深い考えがあったわけでもないので、ぼくはぱっと頭に浮かんだ言葉を口走った。


「とりあえず、世界征服しましょう」

「わかった」


 ぼくが冗談交じりに口にしたその無理難題に、先輩は軽く肯いて、机の横に掛けた鞄を漁ったかと思うと、それを取り出した。

 突如先輩のカバンからぬるりと姿を見せたそれは、ドンキな店でよく見るジョークグッズ。

 馬のかぶり物だ。

 妙にリアルな馬の頭だが、その額に謎の突起が付いている。唖然として立ち尽くすぼくを尻目に、先輩はおもむろにその突起を押した。カチリと音がして…………なにも起きない。

 ふぅ……本当に、この先輩は何をしでかすか分からないな。

 と思ったのもつかの間、いきなり教室後ろで激しい音が弾けた。振り向くと、掃除用具入れの扉が開いて、中から黒っぽいスーツを着たサングラスの男が出てくるところだった。


「だ、誰だ!」


 うわなにやってんだぼく! 咄嗟に先輩を庇うようにして前に出てしまった。此方に歩いてくる男は身長優に百九十センチはあるだろう。ガタイもよく、ターミネーターみたいな厳つい人相をしている。

 男がボクの前に立った瞬間、ぼくは二本の手刀を構え、そのまま流れるような動きで手刀を床に振り下ろし、とどめとばかりに追撃の額を打ち付けた。喰らえ必殺の型、DOGEZA! かつてこの技を受けて許してくれなかった人はあんまりいないというぼくの最終奥義だ。


「すいませんっした! 勘弁してください!!」


 頭上から笑い声が降ってきた。それは、男のものではなく、先輩のものだった。


「後輩ちゃん、頭を上げなって。安心して良いよ、この男はわたしの部下だから。因みにこの男に名前は無い。組織に入るときに、そういう情報は全部抹消されるからね」


 先輩の言っていることはほとんど耳に入ってこなかったが、とりあえず襲われることはなさそうだと察してぼくは顔を上げた。立ち上がって制服に付いた埃を払っていると、黒服が頭を下げてきた。


「岡本です……よろしくお願いします」


 名前……あるじゃん。

 ぼくは雷に打たれたような衝撃でその場に立ち尽くし、その間に先輩は馬のかぶり物を黒服に渡して、代わりに何か黒い板を受け取った。携帯ゲーム機みたいな、手頃な大きさのタブレットだ。いくつかボタンが付いていて、先輩はその中の電源スイッチぽいものをカチリとスライドさせた。


 すると、突然空中にいくつものディスプレイが表示された。どういう技術なのか、一瞬にして数十もの画面が表示され、中に色んな映像が流れている。よくよく見ていると、世界中のあちこちがリアルタイムで映っているみたいだった。アメリカの自由の女神とか、エジプトのピラミッドとか、テレビで見たことある名所旧跡の数々や、普通の都市の街並みと外を歩く大勢の人々が目に飛びこんできた。


「な、何して……?」

「世界征服」


 表情一つ変えずにそう言うと、先輩は画面の一つを見ながら端末を操作し始めた。衛星写真みたいな映像が流れる中で、その画面だけ妙にレトロ風な、復活の呪文を打ち込むようなウィンドウが表示されていた。


「と、い、の、ち、に、と、い、に、く、な、の、な……」


 もの凄いスピードで意味不明な文字の羅列を打ち込んだ後、今度は、まるで主人公の名前を決めるウィンドウが出て来た。

 そこに先輩はこう打ち込んだ。


『せかいせいふく』


 その後、「じっこう」と書かれたコマンドにカーソルを合わせる。


「実行開始」


 その言葉と同時にボタンをポチり。

 瞬間、数十の画面に変化が現れた。どこから湧いたのか、馬のかぶり物を頭につけ、黒ずくめのスーツを着て、アサルトライフル的ななんかを装備した人たちが至る所からうじゃうじゃと出て来て、あちこちを襲い始めた。黒服達が引き金を引くと、その度に銃口から得体の知れない粘着物質が吐き出される。当たった人は壁や地面に叩きつけられてそのまま身動きが取れずに藻掻いている。人だけでなく、彼等は自動車だろうがトラックだろうが、お構いなしに銃を乱射して、画面に映るあらゆる物が粘着物質に絡め捕ってしまう。


 さらに、空ではいつの間にか巨大なこけし型の空中要塞がいくつも漂い、大地に濃い影を落としながら悠然と進んでいた。備え付けられた無数の砲台から、シャワーのように流れ出すのは、先ほどと同じ粘着物質だ。

 メタリックな赤色をした粘着物質が上空から降り注ぎ、あっという間に大地を赤一色に染め上げていく。

 逃げ惑う人々。空を舞うこけし。地を駆ける黒服の馬。

 世界各地で繰り広げられる地獄。その映像には、私たちが今いる町も含まれていた。

 しばらくして抜かれる度肝のストックが尽きたぼくは、そこでようやく気を取り直して先輩をみた。

 画面を指差して、


「これ……ご、合成? CG? プロジェクションマッピング? いやー、最近のゲーム機ってよくできてますね」


 その言葉は一瞬で否定された。

 突然、窓の外に差した巨大な影。私が窓から身を乗り出して空を見上げると、そこには、ディスプレイに映っているあのこけし型巨大要塞が浮かんでいた。滝のように降り注ぐ粘着物質が、校庭を逃げ惑う運動部員たちを絡め捕っていく光景が直に見て取れた。


 後ずさりして教室内に目を戻す。と、画面が一斉に切り替わり、一つの大きなウィンドウを創り出す。映し出されたのは一つの市街地。空に浮かぶこけしに相対するようにして、軍服を纏った人たちが編隊を組んでいる、戦車も見えるし、戦闘機がいくつも空を飛んでいる。


 軍隊の銃や戦車砲が火を噴くが、巨大こけしにしてみればまさしく豆鉄砲。戦闘機が玩具に見えるほどのサイズ差なので、もう勝負にならない。だばだば漏れ出す粘着物質に軍人さんたちは絡め捕られ、地上はあっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図に成り果てた。


 続いて画面が切り替わり、今度は報道番組のスタジオが映し出された。家に帰ってテレビをつけたらいつもやっている、夕方のニュース番組だ。


『速報です、突如出現した謎の巨大こけしと馬のかぶり物をした集団によって、街がぬったぬたの粘着物質に覆われているとのことです。この世界始まって以来の未曾有の危機が訪れようとしています……。本日は番組の内容を変更して、ひとまず、たまたまゲストに来ていただいていた専門家の方にお話を伺っていきたいと思います。赤い粘着物質研究家の吉森さん。解説をお願いします』

『はい、えー、私はこれまで、三十年以上にわたって、赤い粘着物質について研究を重ねていましたが、この度、非常に重大な事実を発見いたしました』

『本当ですか!? 発見された事実、というのは?』

『はい、それは……食べてみると意外に甘くて美味しい、ということです』

『は?』

『おすすめの食べ方は焼きたてのトーストにたっぷりかけるというものです。次点で、ヨーグルトにかけて食べると、より甘さが引き立ちます』

『あ、あの……』

『おい! 撮影中だぞ! 誰だこいつら! さっさとつまみ出せ!』


 すると、ふいにスタジオに怒号が響き渡った。にわかに騒がしくなり、現れたのはあの黒ずくめの馬男たちだ。撮影中のスタジオに乱入して、あちこちに赤い粘着物質をぶちまけていく。その一発がカメラに当たり、瞬間、映像が乱れ画面がブラックアウトした。


 またまた切り替わった画面に表示された世界地図が、徐々に赤色に染まっていき、初めは小さな染みのようだったそれは加速度的に広がって、あっという間に世界全土を埋め尽くしていく。きっと画面に映っていないだけで、世界中でさっき見たのと同じような光景が繰り広げられているのだろう。


『ミッションコンプリート』

「ご苦労」


 やがてタブレットから聞えた男の声にそう返し、先輩は一つ肯いた。そしてぼくの方を見た。


「さ、後輩ちゃん。つぎ、どうする?」

「つぎ、つぎって」


 これ以上、何をするつもりなんだ……。慌てて視線を彷徨わせたぼくは、馬のかぶり物をしたまま教室の隅に佇んでいた黒服と目があってしまった。まだいたのかよ。なんで被ってるんだよ……。恐ろしい顔は隠れているが、圧倒的な不審者のオーラに心の臓をわしづかみにされたような恐怖がわき上がってきて、一気に喉が干上がった。背中から滝のような冷汗が流れ落ちるのを感じる。


「はぁっ……ぁ! ハァ――……!!」

「だから、わたしは今死ぬほどやる気でないんだって……とりあえず、次どうしよっか?」

「とりあえず!? そ、そうですね……とりあえず……えーっと」


 いつの間にか立ち上がって此方を見る先輩。視界の端に佇む黒服の馬男。窓の外に見える真っ赤に染まった街。ぼくはこの光景を前に、ぼくは――


「の……」


「の?」

「とりあえず喉渇いたんで、帰りファミレスでも寄っていきますか?」

「お、いいね。後輩ちゃんの奢りで」

「えっ……はい」


 ――とりあえず、軽はずみな言動は控えよう。


 そう、心に誓ったのだった。



連載となっていますが、続くかは分かりません。仮に続く事があったとしても、話と話の間に繋がりはない、連作短編みたいな形になります。

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