第四話 イキリキモボ峰打ち左乳毛育毛太郎
「な、何が起きたの……?」
俺より頭半分ほど背の小さな少女は、咄嗟の出来事にまだ理解が追いついていない様子だ。だが俺はそんな事お構いなしに低く声を潜め、抱えていた疑問を問い質した。
「貴女、なんかずっとこっち見てましたよね。明らか普通とちゃう視線やったんですぐ分かりましたよ」
「……っ!」
その言葉で少女は大体の状況を飲み込んだようだった。
少女を救出したのは単に人命救助ともう一つ、彼女の行動を少し前から訝っていた為だ。
俺がギルドに訪れ、今に至るまでの数分間。ずっと刺すような敵意を背後から感じていた。勿論その他の群衆の眼差しも決して好意的なものではなかったが、特に彼女のそれは一際鋭く、殺意とすら呼べるようなものだった。
しかも気配の絶ち方からして、恐らくただのパンピーではない。短絡的ではあるが、何かしらの技術を身に付けた猛者であると推測できる。
その為俺は、この際に彼女の真意を聞き出そうとそれとなく近付き、真紅の眼光で以って脅すようにじろりと彼女の瞳を射ったのだが。
(……えっばり可愛いやん 嘘やろ)
そう気付いた途端、無表情でビッと口を結んで鼻呼吸に徹する。
さっきのセリフ、口臭大丈夫やったんかな──そんな弱々しい思考が童貞の脳裏を通過していく。
澄んだ宝石のような少女の瞳を睨んでいたはずの俺の視線は、艶っぽい唇、シミのない美しい白肌などに目標をずらし、釘付けになるパーツを決め倦ねている状態に陥ってしまった。
ふんわりと散らばった短めの髪は空色……いや、それよりも遥かに淡い綺麗な瓶覗を帯びており、空を背景に遠目から眺めれば薄雲と同化して白や透明だと錯覚してしまいそうな程だ。
「綺麗……(キモボ)」
「えっ」
「あっ」
「っ、はぁ!?」
────やらかした……ッ!
想像以上にキモい声でキモい本心漏れてもた……!うわもう最悪や! 警戒とか以前に普通に引かれたかもしれん……。
「離っ……ちょっ……! 殴るぞ……っ!」
しかも咄嗟に抱き寄せた際に思った以上の力を入れてしまっていたようで、俺の腕を払い除けようと尽力する少女の肩は同情を禁じ得ないほどにプルプルと震えていた。
こんなんもう確実に嫌われたやん。殴るぞ言うてるし間違いない。ネオ膝枕ヤンキーは下唇を噛んで悲しげに天を仰ぐ。
「ごめんなさい……ほんまにごめんなさい……」
俺は手を離し、抜いていた刀を納める。
解き放たれた少女は二歩ほどよろめきながらばっと振り返り、細い指を反らせて俺を指差した。
碧色を宿した彼女の佳麗な双眸は、俺の真紅のそれに照準を合わせて一層の睨みを利かせている。
「……ッあんた! 絶対覚えとけよ……!」
「お、覚えときます」
耳まで紅潮させた顔を片腕で隠しつつ、吐き捨てるようにそう言うと、彼女は信じられない速度でギルドを出て行った。
「やらかしたぁ……あっ」
呆気にとられて寸刻立ち尽くしていたが、そういえば少女の正体を暴くという本懐を完全に忘れていたな、と気付く。
……あのまま逃すとは迂闊だった。マジで女の子に軽蔑された悲しみが巨大すぎた為、根本の衝動を見失っていた。
「あの……ヤンキーさん? その、大丈夫です?」
奇妙な沈黙に耐えかねた受付嬢が、恐る恐る机から顔を出す。恐らくエドガルドの攻撃に備えていたのだろう。
「あぁいえ全然……てかあのー、エドガルドさんでしたっけ。あれ峰打ちなんで多分死んでないとは思うんすけど……あのほんま、お騒がせしてすんませんでした」
「……え?」
少年は受付嬢に二、三回お辞儀をしながら申し訳なさそうにそう言うと、のんびりと出入り口へと歩き始めた。
彼がパタンと扉を閉めた瞬間、動きを止めていたエドガルドは気絶したままその場に不格好に倒れ込んだのだった。
◇◇◇◇◇
「あんなんやってること完全に陰キャやないか! “イキリキモボ峰打ち左乳毛育成太郎”って馬鹿にされてまう!」
ネオ膝枕ヤンキーは顔を両手で覆いながら、どうにか羞恥心を逃がそうと両足をパタパタと動かした。
ちびちび飲み続けてようやっと半分くらいになったのむヨーグルトが振動により微かに揺れ、中の氷がカラカラと音を立てる。
「過多なんだよな……あと乳毛に関しては言わなきゃバレなかったんじゃないの」
食器を布で磨きながら、マスターが淡々とそう言った。短めの茶髪と形の整った口髭を生やし、丸いサングラスを掛けているという覚えやすい見た目をした彼は、恐らく三十代半ばくらいのおじさんだ。
割と長身でスマートな体型だが、これでも酒場に現れた荒くれ者をきちんと対処できるくらいには強いらしい(本人談)。
全体的にドライな印象を受ける言葉遣いではあるが、彼は酒場に迷い込んできた世情に疎い少年に、ある程度の常識と知識を与えてやるくらいには面倒見が良い。
それだけでなく孤独な少年の話し相手になったり、簡単な身の上話を聞いて彼に冒険者になれと促してみたりと何かと親身であり、当の少年もすっかり懐いている。
「露骨に噛ませ犬みたいな態度取ってたソイツも悪いんじゃない? 女の子はまぁ……次があるっしょ」
「……まぁ、しょーみエドガルドの件はめっちゃ露骨やったしあんま気にしてないんすよ。問題は女の子にガチできしょい事してもーた事ですわ」
誰かに嫌われるんあんま好きちゃうんすよ、とはにかむ少年に誘起され、マスターも非常に判りづらい微笑を浮かべる。
「……あ、復讐される可能性も無きにしもあらずだから、今後も気を付けなよ」
「はは、ダルすぎでしょそんなん」
半笑いで木製のマグを傾けた時、店の出入り口から聞き覚えのある獣の咆哮のような怒声が鳴り響いた。
「やっと見つけたぜぇ“ネオ膝枕ヤンキー”……! 恥かかせやがって……ここで今すぐぶっ殺してやる!」
ギョッとして振り返ると、そこには面白いくらいに青筋を立て、ビックリするくらいに目を血走らせたエドガルドが立っていた。荒い呼吸で巨大な戦斧を掲げ、今にも激情のままに突撃してきそうだ。
先程まで楽しげに騒いでいた酒場の客達は口々にエドガルドだ、暴君だなどと呟きながら、ある者はすぐさま酒場から逃げ出し、ある者はその場に立ち竦んだまま少年とエドガルドの様子を交互に窺っていた。
「うわだっる」
「嘘じゃん……頼むからあんまり暴れないでね」
サングラス越しでも分かるくらいに嫌そうな顔をしたマスターに背を向け、重心を低く落として柄を握る。
「一撃で決めます、“柊六神流”……!」
「うらあああああ!!!」
「“天翔ける龍の……」
「────そこまでだ。君も、エドガルドも」
両者の得物が衝突するその寸前、一人の青年が灰色のロングコートをふわりと優雅に翻しながら、どこからともなく闖入してきたのだった。