第二十話 死神
「んでー、なんか誕プレに文句言われてナップサック渡されて追放されて、っていうんが今までの大まかな流れやな 人生の」
「そう……だいぶその、苦労してきたのね」
揺れる荷馬車の中で大雑把な身の上を語り終えると、目の前のニコルはどこか哀れむような表情を浮かべていた。
そんな憂いを帯びた面差しも、相変わらず傾国の美少女という他ない美貌である。
気品のある顔立ちや振る舞いは高潔なる貴族の娘も斯くや、といった程だが、話を聞けば彼女は生まれも育ちもそれとは真逆の生活を送っていたらしい。
「はは、まぁお互い、と言ってええんか分からんけどやたら変な苦労したよなぁ」
苦い後味を残さぬよう、ハルは笑いながら言う。
「……ふふ、そうね」
そうすると彼女も呼応するようにして悲しげな表情を解き、柔和な笑みを浮かべるのだった。
…………
少し前に、ニコルは自らの過去を短く語った。
幼少期の彼女は、深い森の奥の小屋に母親と二人で暮らしていたのだとか。
物心がついた時には既に父親はおらず、その頃から弓による狩りの技術や、固有能力の練度を高める訓練などを母親から教授されていたらしい。
────そして、彼女が11歳を迎えた頃。平和な日常は、柊の男の来襲により突如終わりを迎える。
その日、母娘は夕陽に照らされる深緑の狭間を縫うように歩いていた。
他愛ない会話を交わす二人が、いつも通り帰路に就いていた時。……死神の到来には、決まって前兆も、理由も、何一つ与えられる事はなく。
『──君達が、この森に棲まう悪魔か?』
和装。刀。そして夜の底に塗れたような黒髪。
無機質に質問を寄越したその男だけが、そんな“いつも通りの光景”の中で酷く異質な存在として映った。
『……ほう、“柊”の使者が我々に何の用だ?』
母はさして取り乱す素振りを見せず、しかし躊躇いなく魔族の力を解き放って応じた。
どんなに強い魔物に襲われようと悠々と打ち負かしてきた母が、これまでにないほどの殺気を放って。
『お母さん……?』
『……ニコル、逃げなさい』
『っ! で、でも──!』
『大丈夫。お母さんに任せて、ね?』
聴き慣れた優しい声。
普段は能天気でどこか抜けていた母が、その日はやけに堂々と、そして穏やかに微笑んでいた。
『……そうか、君達も……』
抜刀しながらゆっくりと接近する男に対し、母親は自ら殿となってニコルを逃がす為の時間を稼ごうとしたのだ。
一心不乱に駆け出すニコルが最後に目の当たりにしたのは、発現させた魔力を徐々に失い、身体を崩壊させていく母親の姿。
────そして、漆黒の刀を鞘に収め、こちらを睨んだまま冷酷に佇む男の姿だった。
…………
(漆黒の刀を持つ柊、か……)
心当たりがないか記憶の糸を手繰るべく、口に手を当てて考え込んでいると、すぐそばからすすり泣くような声が聞こえてくる。
「……あの時、貴方達を信じてあげられなくて……っ本当にすみませんでした……!」
両者の過去を知ったレベッカは、自らの言動を省みて、自責の念からか大粒の涙まで流していた。
彼女はギルドに提出する資料に必要なデータを得る為、二人の乗る馬車に同乗しているのだ。
「い、いえいえそんな! なぁニコ!」
「えぇ。高位冒険者として当然の対応だったと思います」
「うぅ……良い子達すぎるぅ……それなのに私ったらあんなに酷い態度を……」
慰めれば慰めるほど自責の沼に深く沈んでいくレベッカを見兼ね、ハルはとりあえずずっと気になっていた疑問を慌てて口にする。
「てか、それって何なんすか?」
「あ、えっと、これはですね……貴方達の【レベル】と固有能力の詳細を明らかにする魔道具です」
手の甲で涙を拭いながら、レベッカは手元の分厚い本のようなものを掲げる。
上質な革の装丁が施されたそれには、柔らかな素材の紙がおよそ数百枚以上綴じられている。
馬車の揺れにより捲れたいくつかのページを見るに、恐らくはそれらのほとんどが白紙のようだ。
「調べた所、ニコルさんの固有能力は【狩人の音金】、【レベル】は“25”で間違いないようですが……ハル君はレベルの計り方って分かりますか?」
「んー……まぁなんとなくは分かると思います!」
知らんけど、大体勘でなんとかしてきた人生だ。
適当なガッツポーズで応えつつ、ハルはとりあえずレベッカの持つ本の表紙の前に手をかざす。そうして一度深呼吸を挟んだ後、叫んだ。
「レベルオープン!!!」
「……いえ、そういうのではなくて」
「そういうのじゃないんか……じゃあばり恥ずいやん今の」
身体を縮こませながらレベッカの正しい指導を受ける。どうやらこの本の白紙のページに手のひらを乗せるだけで済むらしい。
それならもう、表紙に手をかざした時点で指摘してくれても良かったのに。なんでちょっと泳がしたん。
「……どうしてあんなに自信満々だったのかしら」
「もうええやんそんなん 傷えぐらんといて???」
ブツブツ言いながらも紙の上に手のひらを載せる。すると、どこからか染み出してきたインクが虫のように蠢き、魔法陣のようなものが広がりはじめた。
「うわっ」
思わず手を離してしまったが、魔道具は問題なく作動したようだ。
「……それでは、あともう少しだけ待っててくださいね」
「あ、はい」
そのまま座席の背にもたれかかり、ようやく一段落ついた事に安堵の溜息を漏らすと、どっと疲労感が押し寄せてくるのを感じる。
立場上まだまだややこしい話が続くであろうという顧慮は、途方もなく嫌気が差してくるのであまり考えない事にした。
「……ハル。その、ありがとね」
「んぇ? どういたしましてやけどなんで?」
ニコルの突然の謝辞に、返せる範囲での返答を試みつつ顔を向ける。
「貴方、私の名前を上手く誤魔化しながら試験官達を説得してくれていたでしょう? 私からそうお願いした訳じゃなく、貴方が自分から気遣ってくれたから」
「あーその事ね、うっかり口滑らしそうで怖かったわ」
「……あの状況で、ただでさえ不審な私を庇ってくれたこと……嬉しかったわ。本当に、ありがとう」
彼女はそう言って、丁寧に深く頭を下げる。
「いやいや全然ええって。言うて俺も嫌われもんやし、似た者同士なら支え合う方がええやん? やから俺の時は頼むで」
皮肉っぽく笑いながら言うと、どうやらニコルはそんな情けない返答を予測していなかったようで、
「……ふふ、っあははは! ……そっか、もし貴方が同じ状況になったら、今度は私が助ける番よね」
心の底にあった緊張がようやく解れたのか、彼女は安心し切ったように、初めて年相応の朗らかな笑みを溢すのだった。
「……せやな」
似た者同士。間違った認識ではないと思うが、それでもニコルと俺では生きてきた世界が違いすぎる。俺では、彼女の苦悩を全ては理解してあげられない。
ただ……折角、割と誰とでも仲良くできる性格を持って生を享けたのだ。
ならば、俺は彼女の孤独を少しでも埋められるような存在になりたい。そう思った瞬間だった。
「そういえば……お訊きしても良いですか? その、貴女が今まで名前を秘匿していた理由を」
緩んでいた空気が、レベッカの質問によりまた少しだけ引き締まる。
とはいえ、その問いが生まれるのも当然だろう。今でこそ名前を明かしているが、あの姿を晒すまで頑なにそれを隠していた理由は何なのだろうか。
仮に疑いを避ける意図なのだとしても、余計に悪魔との嫌疑をかけられる一つの要因だったはずだ。
「大した理由じゃないんです。……私の名前を知る人に、一度あの姿を見せてしまったことがあって」
「それは……故郷を出てから、ってこと?」
「……ええ。初めて広い世界を知って、余りに世間知らずだったのよ。アマチュアの冒険者パーティの仲間にしてもらった後、ひょんな事であの姿を見せてしまったの」
さらっと語ってはいるが、きっと彼女にとって途轍もなく繊細な過去なのだろう。
文字からは読み取れない苦悩や恐怖が、微かに震えた声音にこもっていた。
「せめて魔王を討伐するまでは、名前も、自分が魔族である事も秘密にしておくつもりだったわ」
「……けど、敢えて『匿名希望』にしたのはなんでなん? 咄嗟に偽名とか使えばよかったのに」
「それはそうなのだけれど……直前に『ネオ膝枕ヤンキー』とか『男原男男』なんて名前を認識してしまったせいで偽名のバランス感覚が分からなくなってきて……」
「あーごめんななんか、訳分からん精神攻撃して」
そんな話をしている最中だったが、当の質問者であるレベッカさんは魔道具のページを前後問わず何度も捲っては、頻りに何かを確認したり頭を捻ったりしている。
どないしたんやろ。魔道具バグったんかな?
「あ、ほな素性隠す為に男っぽい口調に変えてたん? 初対面の時とかさ、俺元々そういう性格の人なんかなとすら思ったんやけど」
「それもあるけれど……あれは単なる癖、かしら。興味が無い人にあまり素を見せたくないの」
「へ〜、結構クセのある癖やな……あの、ほいで、レベッカさんの方はどうですか? 結果出ました?」
レベッカは少々沈黙したのちに頷くと、こほんと咳払いをしてから本に書かれた情報を読み上げた。
「【死神の戯】……どうやらそれがハル君の固有能力で間違いないようです」
「えー!!! なんか悪役みたいやん!!!」
紙面に踊る物騒な文字列を目の当たりにし、ハルは思わず立ち上がってすぐ座った。天井が低い。
「しかも“リーパー”とかじゃないんや……」
「あまり気にしない方がいいんじゃないかしら?」
「それもそうやな……で、僕の【レベル】は?」
「それがその……何回やり直しても変な数字にしかならないんです。……で、でも、魔道具が故障するなんてことが普通有り得るのでしょうか?」
膝の上に分厚い本を開いたまま置いて、レベッカは肩を落とす。
それを横から、あるいはグッと背筋を伸ばして正面から覗き込む体勢になったハルとニコルは、各々訝しむようなジト目で紙の上の数字を見据えた。
「ん、でも」
「……もしかして、変な数字で合っているんじゃ?」
ニコルの控えめな指摘に対し、レベッカは信じられない、とでも言うような表情を浮かべ、そしてどこか怯えたような反応で該当するページを掲げた。
「っえぇ!? それはありえません、低すぎますよ! も、もしこの数値が正しいとしたら……ハル君の【レベル】は──!」
────そこには、大きく『 2 』という数字が表示されているのだった。