第十九話 多分そこまでは考えてない
「……これは、すごいな」
崖から身を乗り出し、眼下の森を眺める。
運悪く今回の試験会場となったそこは、見渡す限りすっかり荒れ果てた景色へと変貌してしまっていた。
試験終了の合図となった少女の攻撃と少年の反撃。時間にすれば合わせて1秒にも満たないたった二つの動作と反応により、大地は窪み、地盤はひび割れ、焼け焦げた倒木の群れが止めどなく灰煙を立ち上らせている。
(やれやれ……いくらギルドが所有する土地だとはいえ、まさかこんな酷いことになるなんて……)
ここら一帯の領主であるギルドマスターの苦い顔を想像し、ルドルフは思わず苦笑を漏らす。いくら強者の集う特別試験とはいえ、ここまでの被害が出るのは流石に前代未聞だ。
試験の後始末を終え、それに伴い本日の仕事を全て処理したルドルフは晴れて自由の身となった……訳なのだが、前述の通り、彼はわざわざまたあの崖の上に戻ってきていた。
試験が異例の速度で終わった事もあり、ほぼ丸一日が休日になったようなものだ。
本来ならコーヒー片手に買い溜めていた古書や魔導書を読み解く時間に充てていたのだろうが、今日ばかりはいまいち久方ぶりの休みを謳歌しようという気分にもなれない。
「“柊”と“魔族”……か」
とりあえず今試験の台風の目である“彼ら”の今後について、一通りの考えを纏めておきたかったのだ。
「……そんなに彼らの事が心配か?」
寸刻深い思案に耽っていたので、突如背後から聞こえてきた声につい驚きながら振り返る。
視線の先には、珍しくシリアスな表情を湛えたキーラの姿があった。
「……どうにもね」
「フッ、まあ分からんでもないさ。彼らの才能はギルド史に於いても類を見ない逸材だ。
────しかしその血統を知るギルドからすれば、一触即発の怪物を二匹抱えるようなもの……警戒せざるを得ないのは自明の理。危険因子と判じられてしまえば、即刻処刑というのも十分に有り得るだろうな」
隣に並び立ったキーラの現実的な推察に耳を傾けたまま、ルドルフは力無く俯く。
「……僕の選択は、正しかったのかな。いくら危険な存在とはいえ、彼らはまだ子供だった。
あの子達が歩めたはずの未来を……僕達は幾つか奪い取ってしまったのかもしれない」
様々なリスクを考慮し、最も安全かつ保守的な方法を選ぶ……高位冒険者としては正しい選択なのかもしれないが、それは時に、正しさから大きく乖離した残酷な選択にも姿を変えてしまう。
……どうしても、彼らを信じてやれなかった事に対する罪悪感と後悔を拭い去ることができなかった。
一端の大人としてすべきだった事は、決して彼らに心ない否定の言葉を浴びせる事ではなかったはずだ。
暗い闇の中に閉じ込めて、凶悪な化け物であるかのように扱う事ではなかったはずなのだ。
「……そうだな」
両者の間に沈黙が流れる。
普段、皮肉めいた弁舌を遠慮なく振るいまくっている彼女が、こうして当たり障りのない返答をよこしてくるのは割と珍しい。
それほどに、露骨に雰囲気が重くなってしまったのを案じたルドルフは、咄嗟に笑顔を貼り付けてから話題を変えるのだった。
「それに、ハル君は少しばかり楽天的すぎるというか、軽薄すぎるというか……彼の立場のことを考えると、色々不安になるんだよね」
「ふむ。まぁ後者の懸念は必要無いんじゃないか? 確かにあんな風ではあるが、彼は意外と理知的な思考回路を持っているしな」
キーラはまた怪しい笑みを浮かべると、人差し指で頭をトントンと叩くジェスチャーを見せつけた。
どうやらいつも通りの調子を取り戻したらしい。
「そういえば、君はやけにハル君を評価していたよね……あれも何か理由が?」
そう訊ねると、彼女は鼻先で笑ってから、囁くように言葉を紡いだ。
「……私が彼に詰問していた時、一つ“意地悪な質問”を交えたことを覚えているか?」
平然と疑問符に疑問符を重ねてきたが、彼女の話相手になる場合、そんな事は気にするだけ無駄なのだ。ルドルフはとりあえず眉尻を下げて微笑んでおいた。
大方、彼女の言う“質問”とは『悪魔による被害で死者が出た場合、君に責任が取れるのか?』というあの質問のことだろう。
幾つかあった質疑の中で、唯一ハルが回答を濁したのがそれだったはずだ。
「彼はあの問いに対して、『責任を取れるか否か』よりもまず『疑問の無益さ』を唱えた……“人を殺すのは悪魔だけではないから”という根拠も交えて、だ。
これは一見回答の放棄のようにも思えるが、実は案外適切な切り返しなんだよ。なにせ被害が出た後での仮定なんか、実績も信頼もない若造が何をどう宣ったって逆効果だからな。
彼は冷静に状況を俯瞰しながら私の質問の違和感に気付き、あえて答え方を変えたんだろう」
ルドルフは当時のことを思い出す。
確かに彼がその問いに明確な答えを出したのは、彼女に対する逆風が幾分か和らいでからだった。
となると、あの戯けた態度も議論を円滑に進める為に演じていたものなのだろうか?
(ハル君……やはり底知れないな……)
「それにだ」
細い人差し指をくるくると回しながら、キーラはどことなく上機嫌そうに続ける。
「彼が馬鹿正直にあの質問に答えていたら、間違いなく彼女が人を殺す前提で話が進んでいただろう? ああ答えることで、彼女が実際に人を殺した訳ではないことを改めて印象付ける意図もあったのかもな」
そこまで素直に話を聞いていたルドルフだったが、ここで流石に彼女に胡乱な目を向けた。
「いや、ハル君は本当にそこまで考えていたのか?」
「さぁな。だが、少なくとも彼は聡明な子だよ。ボフスラフの数百倍はな」
「……違いない」
キーラはくつくつと笑った後、眩しそうに目を眇め、景色を眺望する。
遠くで小さく揺れ動きながら走っていく荷馬車を見つけると、彼女は世にも珍しい穏やかな笑みを溢すのだった。
「柊一族は大嫌いだが……まぁ彼なら多分大丈夫さ。なんて、単なる楽観的観測でしかないのだがな」




