第十五話 ここでやっと主人公の呼び名定まるんか……
「……ニコル。それが私の名前だから、貴方はそう呼んで頂戴?」
ニコルと名乗った少女は、少し照れくさそうに前髪を弄りながらそう言った。
……名前を明かしてくれたって事は、ある程度は心を開いてくれた、という自惚れた解釈をしてしまっても良いのだろうか。
「へぇ、ニコル! ニコルさんかぁ! ええ名前やな、ニコって呼んでええ?」
「距離の詰め方がすごいわね……別に構わないけれど。じゃあ私は“柊くん”と呼べばいいのかしら?」
「うーんまぁそう……あっ」
そこで、俺は『自分から柊を名乗ってはいけない』という決まりを今更思い出す。
柊家にバレたら最悪殺されかねないが……でももう手遅れすぎるしまぁええか。知らん知らん。
「その〜俺さぁ、ちょっと前に柊に追い出されてさ。ほんまは柊を名乗ったあかんねんな」
「そういえば、さっきもそんな事を言っていたわね。どうして追い出されたの?」
「ん、変な名前やからかな」
「え?」
「いやほんまに。“鉄はう”とか、“ネオ膝枕ヤンキー”とかあるやん? あれもほんまに本名で、そのほんの一部に過ぎひんねん」
その言葉に、ニコルは顎に手を当てて少し考えた後、
「……なるほど。ずっとふざけてるのかと思っていたわ。ごめんなさい」
ペコ、と小さく頭を下げたのだった。
……なんかその、仲良くなってからのニコルの一挙手一投足がやけに可愛く見えてくるのは何なんやろか。
「いや、しゃーないよ! 悪いのは俺の名前やし……普通に名乗れるぐらいまともな名前があれば良かったんやけどな……」
言いながら流石に悲しくなってきた……。
周囲の人々を責める事はできない。あんなアホな名前、そりゃ勘違いされて当然だ。本気で柊と向き合おうとしていたニコルなら尚更である。
……ちなみに、俺自身はこんな名前を特別嫌ってはいない。当然不便だから好きでもないが。
この名前で仲良くなれた人もいるし、自己紹介ネタでウケが取れるという個人的に嬉しいメリットもある。
ただそれでもやっぱり普通の名前も一つぐらいは名乗れるようにしたい、という思いも心の片隅に……。
「じゃあ、私が名付けてあげましょうか?」
「……へ?」
俺が悶々と思い悩んでいるのをなんとなく察知したのか、突然ニコルがそんな提案を告げる。
「勿論呼び名として、だけど。どうかしら?」
ニコルに新しく名前をつけてもらう……?
意外と初めての試みだが、やらない理由は無い。俺は黙って頷いた。
「そうね……じゃあさっきの技名から取って《ハル》なんてどう? 呼びやすいし覚えやすいし、何より可愛らしくて良いんじゃない?」
ハル。
彼女の言う通り、無駄がなくて覚えやすい。
ハル。ハルかぁ。うわ、すごいええかも。
「ええやん、ええなぁそれ。全然普通やし、なんか響きも悪ないし……!」
ハル、という名前を頭の中で繰り返し反芻する。
マジで素晴らしい響きだ……。早く感謝を伝えたいのに、生まれて初めての感動を陳腐な言葉にして羅列する事しかできずにいた。
興奮気味に言葉を連ねる中でふとニコルと目が合うと、彼女はそんな俺の表情をなんだか不思議そうな顔で眺めているのだった。
「……泣くほど嬉しかったの?」
その言葉の後、自分の視界が少しずつ潤んでいくのを知覚する。
「────え? あれ、ほんまや。いや嬉しいけど、別に泣くほどじゃないんやけどな」
なんでやろ、としきりに呟きながら、ポロポロと零れ落ちる涙を手で拭う。自分でも訳が分からないが……急に涙が溢れるぐらい嬉しかったのだろうか? そんなに?
ていうか、カッコ悪……。女の子の前でこんなボロッボロ泣いてんのめっちゃダサいって……。
「……ふふ、貴方なら信じても大丈夫なのかしら」
ニコルは俺の様子を微笑ましげに観察しながら、どこか憂いを含んだ声でそう言う。
「実は私、人間じゃないの」
「ぬん?」
割とごっつい発言だったが、よくよく考えたら柊も大体そんなもんなので驚きはあまり無い。
とはいえ彼女の様子を見るにその先はとても言い出しづらい事のようで、なかなか二の句を継げずにいるようだった。
「……山姥なん?」
「違うわよ……むしろなんで山姥だと思ったのかしら」
「でもゆーて山姥ってカテゴリー的には人間に属してる感じするよな」
「いやもう良いのよ。山姥の話は別に」
これで幾分か空気は和らいだが……それでもまだニコルは踏ん切りがつかないようだ。
別に無理して今すぐ話さなくても、という雰囲気を漂わせつつ、覚悟してくれたニコルの意思も尊重したい……。
こういう時、なんて声をかければ良いのだろうか。
「……その、事情はよく分からんけどさ。俺も言いたくない事とか恥ずかしい過去とかあるし、何言われても絶対に笑わんし驚かん自信あんねん。やから大丈夫やで」
なんとも不恰好で纏まりの無い言葉になってしまったが……それでも、彼女の背中を押すには十分なセリフだったようだ。
ニコルは大きく深呼吸した後、ゆっくりと目を開く。
「……私は人間と悪魔の混血────」
ニコルの背中から、赤黒い靄のような翼が発現する。
特徴である碧色の瞳は煌々と輝き、瞳孔は細く、鋭く拡がっていく。
爆発的に上昇していく彼女の魔力に圧倒されながら、俺はふと、過去に“悪魔”という存在について教わった事を思い出していた。
確か……そう。魔界に棲息し、いつからか生まれた確執により人間に仇なす存在となった、不倶戴天の忌敵────。
「《半悪魔》、という存在なの」
「ほぇー……」
「……えっ」
「ん?」
「な、なんかリアクション薄いわね……」
「いや意外と想像よりは下やったからさ」
「……じゃあ、なんだと思ってたの?」
「トイプードル」
────その刹那、
「【揺蕩う棺】」
ルドルフの差し迫った声の後、辺りは濃密な暗黒に覆われる。
「!?」
「…ッ、ハル!?」
間近にいるはずのニコルの声が薄ぼんやりと、やけに遠くから聞こえてくる。
完全なる闇の中で、俺が咄嗟に出来ることは精々視線を各方向に飛ばすことだけだった。複数の気配から察するに、試験官全員に全方位を囲まれているようだ。
とはいえ、何も見えない。
体も動かず、脱出も反撃もままならない。
……いや違う。能動的な意志を、何らかの力で奪われ続けているのか。
……どうにも厄介な空間である。
この世に存在する全ての苦痛や痛痒に浅く触れているような微弱な不快に包まれ、劈くような耳鳴りと心拍音が聴覚を抉り、失った視覚と共に平衡感覚を殺していく。
正常な思考のまま、精神が錯乱していく。自我が泥のように溶け流れていく様をどこかで眺めている。
身体がなくなる。口がなくなる。眼も耳も鼻も脳も全部現実味を失っていき、存在すら曖昧になる。
もはや俺が、
今ここで、
生きている 事 すら
「離れて、鉄はう君……!」
くぐもった闇の奥から聞こえたレベッカの声で、間一髪正気を取り戻す。
……しかし、離れてって言われても物理的に無理なんですけどね。今んとこ。
「ママ……? どうしたのママ?」
「だからママって呼ばないで下さい……! レベッカって呼んでくださいってずっと言ってるのに!」
「ご、ごめん……ごめんねママ」
なんてふざけていられる場合でもなさそうだ。今はとにかく現状把握と分析に集中しないと。
この空間は恐らく、というかほぼ確実にルドルフの魔法によるもの……。攻撃的な反応は今のところ無いが、この魔法の全貌が見えない為油断はできない。
全く動けない上に、SSランク以上の冒険者六名に囲まれているこの状況なら……無駄な抵抗を考えるよりも大人しく話を聞いた方が良いな。
「分かるだろ、ピザ君。《悪魔》はギルドの“最優先討伐対象”だ」
「……その娘をこちらに渡せ、鉄はう少年」
「……とりあえず一旦、一旦僕の呼び名だけハルに統一しませんか?」
「いやもうそれはとりあえず後にしましょう! すぐにその場から離れてください!」




