第十二話 グルーヴィーな生活リズム
※主人公の現在の代名詞は「鉄はう」です。
「……本気を出すって言ってから全然動かないけれど、どうしたの? もしかして眠いの?」
夜の背に到達した陽光により、頭上で沈殿していた夜闇が美しく滲み始めている。
そうして曖昧な色に広がった東雲の空を上目でぼーっと眺めていた俺は、先程の少女の声でハッと我に返った。
「あぁごめん……ばり眠いねん。いやマジでこんな早朝まで戦わされる思うてなかったし……」
「……そうね」
燃える刀で肩を叩きながらそう言うと、少女も構えていた弓を下ろして小さく答えた。お互いに集中が切れた為か、敵対していたはずの少女と一瞬の弾みで普通に会話できてしまっている。
「ええ加減にしてほしいよな、生活のグルーヴ乱れてまうし」
「“リズム”じゃないかしら……? グルーブはこう、ニュアンスごと変わってくるでしょう」
「いやグルー“ヴ” な? 殺されたいんか?」
「厳しすぎない? というか、貴方はさっきからどういうテンションで喋っているの?」
思いの外軽妙で素早い彼女のそんなレスポンスに、深夜テンションの俺は自分でも不思議になるぐらいにけらけらと笑ってしまった。
甲高い笑い声はすぐさま木の葉のざわめきに混じって薄れ、そこはかとないちぐはぐさだけが耳に残った。
「はぁ、夜明けた途端にお腹も空いてきたしなー……」
呑気にも大きく欠伸をぶっ放しつつ、なんの思慮分別も無く思ったことをそのまま言葉にする。
「それはちょっと分かるけれど……」
「ほな後でなんか食いにいかん? なんやったらそこで色々話も聞くし……犯人の情報ちゃうけど、単純に柊に関する情報ならなんぼでも話せるしな」
パジャマの薄い布地越しに腹を摩りながらそう言うと、少女は些か驚いて目を瞬かせた後、呆れた様に少し笑いながら答えた。
「……友達多そうね、貴方って」
「や、バチクソに陰キャやで」
「バチクソに陰キャなの? その感じで?」
そんなのんびりとした会話の最中にも、二人の周囲では絶大なる魔力が絶え間なく衝突し、この世の終わりのような空間を作り上げていた。
……徐々に冴えた意識を取り戻していく。
少女の放つ暴風により木々が揺らぎ続け、空からは青々とした樹葉が際限なく舞い落ちてきていた。
かなり長い膠着状態が続いている。少女は俺の出方を窺っているようだが、対する俺は刀を構えたまま、静かに攻め倦ねていた。
……何を隠そう、俺はまだここから先の技、“柊六神流の奥義”を習っていない。先程まで動きを止めていたのもそれが主な理由なのだ。
使用した“炎刀朱雀”だって独学で奇跡的に使えただけなので、その先の作法などは知る由もない。どないしようかしら。
「う〜ん……まぁええわ、適当にやればええやろ」
経験値を信じて、とりあえずやってみよう。
俺は燃え盛る刀をすらりと構えた。
……そういえば、子供の頃からずっと考えていた技名とかもあったっけ。カッコいい名前を付けたくて色々な言葉を模索した結果、名前へのコンプレックスのせいかどうしても人名の様な技にしかならなかったのをぼんやり覚えている。
「……“適当”、ね。会ってまだ間もないけど、なんとなく貴方らしい言葉のような気がするわ」
そういって微笑む少女も、今一度弓の柄を強く握る。
彼女の整った眉には未だ微かに力が篭っていたが、先程の他愛のない会話もあってか、これまでと比べれば幾分か柔らかい表情になったような気がする。
なんか少しずつ、本来の女の子らしい喋り方が垣間見えつつあるし。
「一発でスパッと決めようや」
────深く踏み込み、狙いを見据える。
「ええ、これで終わりにしましょう?」
併せて少女も弓弦を引くと、手元に激しい竜巻が集約していく。
風を宿した一矢と、火炎を纏った刃。双方の渾身の一撃に振り絞られる魔力は一点に集中し、極限まで高められる。
異常気象はいつの間にか消失し、そこには静けさと、張り詰めた両者の気迫だけが充満している……
「なんてね、【空蝉時雨】」
ように見えたが、次の瞬間には少女が空中にて暗々裏に作り上げていた風の矢束が鉄はうの足元を目掛け、霧雨のように降り注ぎ始めた。
「あぁ!?」
咄嗟に地面を蹴り付け、転がる様にその場から離れて躱すことで直撃は免れた。が、篠突く弾幕は尽きる事なく、逃げ惑う少年の背を容赦なく追尾する。
(クッソー! 完全に油断してた!)
鉄はうは機敏に逃げ回りながら奥歯を噛み締める。のほほんとした会話のせいで余計に頭の回転も鈍っていたし、変なこと考えずにさっさと戦いを終わらせておくべきだったのだ。
「おッし、ここなら……!」
とりあえず、今更そんな事を考えたって仕方がない。先程の異常気象の影響で傾いた大樹の裏に滑り込み、その場で小さく身を屈める。
希望的観測通りに風の矢は幹を貫通せず、分厚い樹皮にトトトト、と突き刺さる音だけが鉄はうの耳朶を叩いた。
「ふぅ……危な」
と一息ついた所で、鉄はうはふと、こうして腰を下ろした現状になんとなく違和感を覚える。
先程の攻撃、風の矢は俺を狙っていると言うより、俺をここに誘導するように放たれていなかったか?
魔力を貯めていたにもかかわらず威力も大した事無かったし、肝心の少女も追い討ちを仕掛けるどころか何もせず、むしろ変に黙り込んでいるし。
「……まさかッ」
慌てて少女が元いた場所に視線を飛ばしたが、もう既にそこに彼女の姿は無かった。
(やられた……!)
あの技は、少女から注意を逸らす為のブラフだったようだ。
そりゃそうだ、よくよく考えればあの至近距離では弓の長所を活かせない。あの状況なら誰だってまず距離を取ろうとするはずだ……もう少し冷静に判断しておけば。
今思い返せば、目を凝らせばギリギリ視える程度の透明さ加減も、妙にやかましく音を立てて地面に突き刺さっては土埃を舞い上げていたのも、全て意図的なものだったのか。
「もう! 俺のアホ! 掌の上専属ダンサーか!」
まんまと一杯食わされた恥ずかしさを絶叫で紛らわし、今一度戦闘への集中を取り戻そうと姿勢を屈め、周囲を警戒する。
(……にしてもなんちゅう隠密。普通あんだけの魔力を集中させてたんやったら、こんな気配消せへんぞ)
視界は澄んでいて、際立った魔力や違和感は一切感じられない。それこそ、彼女が付近にいる事を事前に知らなければ全く意識できないほどの凪だ。
だが、間違いなく彼女は全身全霊の一撃を以って俺に勝ちに来るだろう。このわざとらしい静寂も、恐らく彼女の持つ何かしらの技術によるものだ。
こうなると、俺がいくら逃げ回っても確実に狩られて終わるのが目に見えている。予めああしてホーミング攻撃を見せ付けたのも彼女の策略の内だったのだろうか。
「……もう、ここでどうにかするしかないか」
俺はそう独り言ちてから、崖を背に向けて燃え立つ刀を鞘に納めた。
南の崖方面、そして相手側からは日光を直視する事になる西方面には隠れていないと仮定し、北東の少し高所になっている辺りを警戒する。
予測が出来なくては、防御も反撃もままならない。相手の攻撃の速度にもよるが、俺に出来ることはもう勘か運か反射神経で刀を振るって彼女の全力を防ぐしかない、という絶望的な状況なのだ。
────しかし、俺に限っては案外そうでもない。
「生憎やなぁ!」
その“反射神経”こそが、俺の真骨頂なのだから。




