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第一話 餞別にナップサックはおちょくってるやろ


 血相を変えた少年が、くしゃくしゃに握り締めた一枚の紙を片手に道場へと駆け込んだ。


「師範ッ! ……これは一体どういう事ですか!」


 広い空間に怒声が鳴り響き、傍らに整列していた門下生達の視線が一斉に突き刺さる。

 彼らの憐憫(れんびん)とも軽蔑ともつかぬ冷えた眼差しを()って、少年はとうとうこの状況の重大さと、冗談などではない現実の厳粛さを否応無しに理解させられる。


「……来たな。まずそこに座れ、話はそれからだ」


 師範は至極冷静に、中央を指差して招く。

 肩で息をする少年の激情と相反し、木造の広い空間は異様なまでの静けさで満ちていた。


「納得いきませんよ……! 急にこんなん、どう考えても理不尽すぎじゃ──

「────喚くな」


 薄暗い道場の最奥にて鎮座する禿頭の老爺はそう言って、いきり立つ少年を鷹のような目で鋭く睨んだ。


「っ……!」


 文字通り、全身の毛がよだつのを感じた。齢百年を超えども、その威厳と風格は未だ衰えない。かつて世界中を恐怖の底へと陥れた“剣鬼”は、失せることなくその瞳に宿っている。


 老爺の名は“柊 志童(ひいらぎしどう)”。

 人類最強の一族との呼び声名高い暗殺者一族、(ヒイラギ)家の十四代目当主、及び“柊六(ひいらぎりく)神流(しんりゅう)”剣術の現師範代。

 全五百人程の柊一族の門下生達を連ね、師範を務めたここ数十年の間に幾多もの優秀な剣士や暗殺者を輩出してきた豪腕の師だ。 


 そして俺はその志童の嫡孫(ちゃくそん)。血統を正しく引き継ぐ、言わば柊家の十五代目当主に最も近い男だ。

 だがその血統に胡座(あぐら)をかくような真似はせず、ただひたむきに、人一倍の努力を続けてきた。

 幼い頃から剣を振るい、大人と立ち合い、そして勝利し、周囲からも過去最強の柊が誕生すると期待されてきた。


 ────それなのに。


 道場の中心にぽつんと置かれた刀の前に正座し、今一度眼前の老爺と向き合う。

 辺りに満ちる神妙に張り詰めた空気が、冷や汗で湿った肌をぴりぴりと刺した。


「どういう事も何も、そこに書かれている通りじゃ。お前は今日を以ってこの道場を“破門”とする。この言葉の意味、お前にも分からぬ訳ではあるまいな」


 破門。

 それは即ち、柊家からの勘当(かんどう)を意味する。

 そうなれば当主の継承はおろか、俺はもう二度と柊の姓を名乗る事すら許されなくなる。


「そんな……っ! どうしてですか!? なんで僕が破門にならなくちゃいけないんですかッ!」


「お前も薄々気付いていたじゃろうが……どうやら、お前の才能も底を突いてしまったようじゃからな」


 志童のその台詞に、反射的に肩が震えた。


 過去最強の柊、天才、神童……麒麟児(きりんじ)。俺がそう(うた)われていたのも遠い昔の話だ。

 いつからか、俺は破竹の勢いで成長していく仲間たちの強さに全く追い付けなくなっていたのだ。


 それは剣術や戦闘の技術ではなく、もっと根本的な、生命体としての“強さ”。

 例えば第六感などの鍛えようのない力や、努力では到底補えない絶対的な身体能力の差だった。


「ま、理由はそれだけではないがな。むしろこっちがメインまであるんじゃがな」


「……では、一体なぜ僕は破門なのですか」


 困惑と怒りを必死に抑え込もうと拳を固く握り、それでもなお溢れ出す悔しさと怨嗟(えんさ)を表情として(かたど)る少年を見兼ね、志童は大きく溜息を吐いた。



「……よろしい、ではお前の本名を名乗ってみなさい」


「えっ、僕の名前を()()……ですか」


「いや、()()()()()()()()だけでよい」


「……えーと」






「《めっちゃデカいイボ》……とか」


「うむ」


「《どスケべマンジュウガニ》……とかですね」


「破門」


「えっ」


 いや……えっ? な、なんでなん?

 俺今んとこ本名二つ名乗っただけやけど?


「耳疑うわ。……なんじゃ“めっちゃデカいイボ”て。なんで人名から副詞と形容詞が聞こえてくるんじゃ」


 志童は丸い禿頭を指で掻きながら、なんとなく俯きがちに、俺に言われても仕方ないような事を尋ねてくる。


「いやはい……まぁ確かに僕にはこんな名前があと何百何千と連なってますけど」

「そうじゃろ? じゃから破門なんよ」

「でも破門になる原因が“名前”って、そんな理由じゃ納得できひんっすよそりゃ」


 俺の必死の抵抗に、志童は心底めんどくさそうにもう一度溜息を吐く。

 そして、微妙な間が空いた後、


「まぁなんというかその……ワシ嫌なんじゃよな。

そんなアホみたいな名前の奴が血筋的に柊家の次期当主になって、柊家の歴史にその名を刻むんじゃろ?

ワシ絶対許せんからそんなん ごめんな」


 祖父はフランクにそう言ったのだった。


 …………



 俺は名前がクソ長かった。

 しかもクソ長いだけでなく、その殆どが語感で選ばれただけのおもしろ単語の羅列だったのだ。


 ──自らの名前の異質さを理解したのは、物心ついてからすぐの事だ。屋敷の探検中に踏み入った部屋で、この世の終わりみたいな長さの命名書を目の当たりにしたその瞬間だった。


 竜頭蛇尾とはよく言ったもので、最初の方は威勢の良い筆文字で書かれていた名前も最終的にはHBぐらいの鉛筆に変わり、夏休みの宿題みたいなヤケクソ感が文字から滲み出ていたのをよく覚えている。


 「・」や「=」で雑に区切られた珍妙なワードの羅列の最後尾に小さく柊、と書かれたそれを眺めている時、自分の人生が凄絶な音を立てて崩れ落ちていくのを子供心に感じてはいたが……まさかこんな事になるなんて。


「でも別にお前を嫌ってる訳じゃないんじゃよ? 可愛い孫じゃし。誕生日とかも毎年欠かさず似顔絵描いてくれるしの」


「爺ちゃん……!」


「でももう16歳になるのに未だにプレゼントがヘッタクソな似顔絵ってどうなん? とは思うけどな?」


「爺ちゃん……?」


「しかもなんか年々下手になっていくんじゃよな……どういう原理かは知らんけどなんかどんどん下手になっていくんじゃ」


「爺ちゃん? 爺ちゃん」


「今年の似顔絵とかもビックリしたんじゃぞ、デカい丸に斜め線3本ってお前……抽象的すぎてなんか知らん道路標識かと思ったわ」


「ジジィオラ! ボケとんか!!」


「あぁすまぬ……こわ……」


 志童は両手で頰を軽くパンパンとはたき、また先程の鷹のような目でどスケベマンジュウガニを鋭く見据えた。


「……とにかく、お前は名前を変える気が無いのじゃよな」


「はい。この名前を失うと、今までの僕の存在が否定されてしまうような気がするんです」


 めっちゃデカいイボは先程よりも毅然とした態度でハッキリとそう答えると、また少し俯いて小さく呟いた。


「……それにこれは、僕に唯一与えられた親の愛情の賜物ですから」


「……そうじゃな。愛情……愛情と悪ふざけの賜物じゃな」


 その言葉の後、志童はおもむろに立ち上がってどこかに合図を出しながら、冷静ながらも力強い声ではっきりと言った。



「……次期当主の座は、血統としても才覚としても申し分ない“弥生(やよい)”に譲るつもりじゃ」


 その一言で、周囲の門下生達がザワザワと騒ぎ始める。

 弥生────……俺の弟弟子だ。まだ十三歳の少年だが、剣の才能は俺の目から見ても端倪(たんげい)すべからざる物がある。性格も素直で心優しく、当主になる器は十分にあると言えるだろう。


 それにしても、俺と違って普通に格好良い名前を付けられている。当主になっても大丈夫な名前だ。弥生。弥生か。


「ええよなぁ!!!」


「うわぁ! 急に大声を出すでないわ、すごいビックリしたじゃろ!」


 かの剣鬼が情けない姿で思い切りぶっ倒れるのを伏し目がちに目視し、どスケベマンジュウガニはハッとして深く頭を下げる。


「す、すみません……」


 そのまま力なく背を曲げていると、一人の門下生が静かにイボへと歩み寄り、一枚の布を手渡してきた。


「これは……?」


「……ドラゴンのナップサックじゃ。餞別(せんべつ)として渡しておこう」


「おちょくってる?」


 少年は誰にも聞こえない声でそう溢した。


「そこに荷物を纏めて、今日中に里を出て行け。以上だ、さっさとその刀とダサいナップを持ってこの場から立ち去るがよい(半笑い)」


「うわもうだっる……だっる!!!!!!」


 どスケベマンジュウガニは刀とダサいナップサックを抱え、瞳に涙を湛えて走り出した。

 クスクスと肩を揺らす門下生達の冷酷な笑い声は嘲笑なのか、それとも普通にガチで笑っているのか、今のめっちゃデカいイボには知る由もなかった──。


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