9話 初デートは幸せの味
中央広場は活気に満ち溢れていた。
初代王の彫像を囲むように、木の柱に小綺麗な布を屋根代わりに張っただけの露店が所狭しと並んでいる。先日、王太子の結婚式が行われただけあり、まだ街は浮足立っていて、道行く人たちの顔は晴れやかだった。
「あれが気になるのか?」
シェリルが香ばしい肉を焼いている屋台を眺めていると、コンラートが顔を覗き込むように尋ねてきた。
「いいえ、滅相もない!」
シェリルはかあっと顔が赤くなるのを感じた。
実のところ、朝食をろくに食べていない。
不安で食事が喉を通らず、お腹が空いているのは伏せている。
彼は将軍であり、ライラプス侯爵だ。
だから、今日は貴族らしく、高級店街を廻るのだと思い込んでいた。
正直、シェリルは高級店街は苦手だ。
シェリルを知っている人も多いだろうし、店に入っても落ち着かない。財布は持ってきたが、宝石やドレスを買うお金はないし、ツケてもらうほどの信用は皆無だし、彼に買ってもらうのは以ての外。そのやり取りを見ていた他人から『隣国に嫁ぐのは、贅沢な暮らしを取り戻すためよ。腹黒ね』とか後ろ指をさされそうである。
だから、こちらで安心した。
安心したら、心が緩む。心が緩めば、気を張っていたお腹も緩む。お腹が緩めば、どうなるのか。それは、考えるまでもない。
「それで、フルーツパーラーはどちらですか?」
お腹の虫が鳴る前に、この場を去らなければ!
大食いなんて誤解はされたくないし、はしたない令嬢だと幻滅されてしまう。シェリルが尋ねると、コンラートは案内を再開してくれた。
「だけど、いまのはフランベルクでは見ない料理だな」
「パーノと言います。こんがり焼いたパンで、炙った肉にチーズを絡ませたものを挟む軽食ですね」
「そいつは上手そうだ。シェリル嬢も食べたことがあるのか?」
「ええ。かりっとしたパンに、とろりとしたチーズと肉の汁が広がって、もう最高に美味しいんです。個人的には、アボの実のスライスを挟むと、まろやかさが増すので、さっきの屋台よりもあっちの屋台の方が………」
シェリルは話しながら我に返る。表情が緩み始めたことに気づき、すっと元の表情に戻した。
「すみません。ともかく、そのような食べ物です」
兄と「社会勉強」として街に下り、庶民に混じって食べ歩きをしていたことが裏目に出てしまった。
屋台の料理が好きなんて、貴族の令嬢にあるまじき行為だ。国を護る騎士としても、慎みが足りない。
シェリルが失態を悔いていると、コンラートが気にしていないように頷いた。
「シェリル嬢は食べ物に精通しているな。
フランベルクにも露店があって、あれみたいに肉を挟む料理もある」
「そうなんですか?」
「腸詰肉を炭火で炙り、香料で味付けしたものを挟むんだ。俺の好きな料理の一つだぜ。
んー、こっちか」
コンラートはシェリルを庇うように歩き始める。
シェリルは進みながら、彼に聞いた料理を想像してみた。
炙られ溶けた脂身が炭火に落ち、ぼうっと炎を上げるところを想像するだけで、大変美味しそうに感じる。
(はっ、また表情が緩む)
シェリルは脳内で喝を入れる。シェリルが表情を引き締め直すと、コンラートはくっくと笑っていることに気付いた。
「コンラート様?」
「失礼。良い顔をしているな、と。
今の方が仕事で感情を殺している顔より人間味があって、ずっとずっと好きだ。
……おっ、ここだ」
シェリルが返答する前に、コンラートはライム色の店を指さした。
少し離れた軒先では、葡萄酒色の布を屋根にした露店があり、同じ店のものと思われる果物が売っている。
これでも、シェリルは伯爵令嬢だ。目利きは叩き込まれている。そのシェリルの眼をしても、みずみずしい果物たちは上質の品であり、フルーツ菓子にも期待が持てた。
「いらっしゃいませ」
昼前だったからか、待たずに案内された。
椅子など店内の家具は上品な水色で統一され、隣の会話が聞けない程度に席も離れている。高級店街ではないが、中流層の上の方の人たちが集まる店だ。ここなら、シェリルたちの顔は知られていないだろう。
……たぶん。
「貴方が選んでくれ」
フルーツ菓子を選んだあと、彼は飲み物のメニューをシェリルに渡してきた。
「酒なら多少わかるが、茶はどうも……」
「確かに、お酒はこの店にあいませんよね」
シェリルは口元を綻ばせると、メニューから比較的万人に受け入れられやすい茶を選ぶ。
メニューを見ている間、シェリルは少しそわそわした気持ちになった。他の客が、ちらちらとこちらを見てくる。シェリルではなく、コンラートを。
コンラート・ライラプスは、かなりの美青年だ。
普段はジークの王者の風格かつ絶世の美少年の傍に控えているので霞んでしまうが、それでも、セドリックよりカッコいい。
すっきりとした輪郭に、それに相応しい端整な面立ち。座り方にも品がある。やはり目付きは悪いが、いまはかなり和らぎ、黄色い瞳の奥には奥に知性を感じさせた。
シェリルもお洒落をしてきたが、彼の圧倒的存在感は負けている。
若い女性の客たちはコンラートをうっとり眺めたあと、同席者を睨むと、ふんっと鼻で嘲笑い、再びおしゃべりに花を咲かせていた。
おそらく「あんな子より、私たちの方が彼に釣り合うのに」とか、そんな感じだろう。
実際、シェリルも同じ想いだ。
(サーシャ姉様の方が、もっと彼に釣り合っているのに)
どうして、自分なのだろうか。
彼は「エクシールの交流試合」で、シェリルの笑顔を見初めたと言ってくれた。
それは気恥しくも嬉しいのだが、あのときは自分より遥かに気品あふれるサーシャも笑っていたはずだ。
なぜ、彼はサーシャを選ばなかったのか? もしかしたら、サーシャに断られたから次点のシェリルにしたのか。
(いや、サーシャ姉様だけじゃない。ローゼのような人が現れたら、私なんか、きっと……)
「シェリル嬢?」
シェリルが少しばかり悲しみに暮れていると、コンラートが尋ねてくる。
「あ、いえ。その、このような店が久しぶりなので、ちょっと落ち着かなくて」
シェリルは申し訳なさそうに笑って誤魔化す。
彼は不思議そうな顔をしており、話しかけようと口を開いたが、丁度良く、茶が運ばれてきた。
大好きなジラノの茶だというのに、今日は味を感じない。しかし、彼の方は薄橙色の茶を口に含むと、長い耳をぴくッと動かし、驚いたように目を丸くした。
「……美味いな」
その感想を聞くと、シェリルは口元を少し緩めた。
「お口にあって良かったです」
「この香り……ブドウを染みこませているのか? いや、違う。茶葉の匂いか」
ふむふむと感慨深そうに頷いている。
シェリルも再び茶を口にすると、今度は渋みと爽やかな香りを舌で感じた。いつもより温かな味が心に広がっていくのを感じながら、シェリルは肩の力を抜いた。
「ジラノ産の茶葉は、ブドウを口に入れたような爽やかな香りが特徴的なんです」
「茶って奥が深いな。匂いがキツいか渋いだけだと思ってた」
「コンラート様は、お茶よりお酒が好きなのですか?」
シェリルが尋ねると、コンラートはカップをテーブルに戻した。
「茶は向き不向きが激しくて、自分では選びにくいんだよ。今日は貴方に任せて正解だった。
酒は……まあ、嗜む程度にって感じだな。ヒルダみたいに樽で飲むほどじゃない」
「ピンクの髪をした方がですか!?」
今度はシェリルが目を見張った。
細身の見目麗しい女騎士が、豪快に酒を飲む姿など想像できない。そんなシェリルを見て、コンラートは苦い顔をする。
「あいつは完璧な騎士だ、酒癖以外は。
シェリル嬢、気を付けろ。あいつと酒を飲むな。絶対に潰される!」
コンラートは強い口調で忠告してくる。
「分かりました。気を付けます」
きっと、ヒルダに潰された経験があるのだろう。シェリルは、コンラートが獣王護衛時の洗練した姿やシェリルを助けてくれた時の凛々しい姿しか知らないので、その瞬間を想像するのは難しい。だが、凛々しい彼の酔いつぶれた姿は想像してみると、ちょっとだけ可愛く思えた。
「コンラート様は他に何か趣味はありますか?」
シェリルはお見合いの定番文句を問うてみる。
コンラートはシェリルのことを知っているが、シェリルは彼のことをほとんど知らない。
だから、少しでも彼のことを知りたかった。
正確に言えば、他にも可愛らしい一面を知りたくて、言葉を投げかけてみる。
「んー、そうだな」
コンラートは再び茶を飲みながら、悩むように視線を上にあげた。
「剣の鍛錬、か?」
「それは、仕事の一環ではありませんか」
「あー、確かにそうだ」
彼はバツが悪そうに顔を背ける。
さっと顔を背けたので、逆立った金髪が揺れた。彼は少し唸りながら、他の趣味を絞り出そうとしている。
「んー……本を読むことは好きだ。
子どもの頃は、冒険ものばかり読み漁ってたな。最近だとピアージェの『軍事段階領域』とか……って、悪い。最近は仕事の本ばかりだ」
「私も軍略書を読みますよ」
共通の話題を見つけ、シェリルは安堵する。
「昔から本を読むことが好きで、冒険系ですと……そうですね、『ギアナの冒険』を読みました」
「それなら、俺も読んだ。考古学の教授が深海の遺跡『ギアナ』を目指している途中に、巨大なウミイカジラに襲われるって話だろ?」
「ええ。命からがら逃げた先で、深海の遺跡を発見する話ですよね。なんとか遺跡に辿り着いたところで、そこに住んでいた魚人に襲われるけど、またウミイカジラが急襲してきて」
「魚人と協力して倒す。そんで、彼らの暮らしを守るために「遺跡なんてなかった」と嘘をつく。あの場面はカッコいいよな」
「私もそこが好きです。学会の権威に目が眩んでいたのに、彼らとの交流を通して変わっていくところが、素敵だなって」
最初は「私に合わせて、読書の話題を提供したのか」と思ったが、考えすぎだったようだ。コンラートは言葉通り、かなりの読書家で話題に事欠かない。
こんな調子で、デザートが運ばれてくるまで本の話題で盛り上がった。
「ほぅ」
シェリルはパフェを前にして、感嘆の声を漏らした。
白いクリームの上に、宝石のような苺が君臨していた。苺を守護するように、青黒いベリーが散りばめられている。パフェと言うより、1つの城のようだった。
肝心の味も問答無用で美味しい。
クリームと果物の甘酸っぱさが見事に調和している。
シェリルはパフェを楽しみながら、ちらっとコンラートに視線を向ける。無理して食べていたら悪いなと思ったが、丁寧に味わいながら食べていた。
スプーンを器用に使いながら、クリームを口に運んでいる。彼の手元へ目を向けると、一般的な爪より、鋭く尖っているのに気づいた。
「……そういえば」
ここで、シェリルはようやく思い出す。
彼は獣人。ヒトとは違うことを。
「コンラート様も獣の姿があるのでしょうか?」
「そりゃ、獣人だからな」
彼は食べる手を止めると、シェリルの質問に答えてくれる。
「俺は狼だ。ここでは変身できないが、シェリル嬢を乗せて奔れる程度に大きい」
「へぇ!」
シェリルは目を丸くする。
「他の方も、そのくらい大きいのですか?」
「ヒルダは俺より子ぶりだが、陛下は竜だから……そうだな。完全形態は城の大広間くらいか?」
「す、すごい……」
あの小柄な美少年が大広間一杯に大きくなるなんて、とてもではないが想像が追い付かない。
シェリルが驚いていると、コンラートは少しだけ表情に影が差した。
「コンラート様?」
「いや、シェリル嬢も婚約者は人の方が良かったかと思っただけだ」
「いいえ」
シェリルはさして考えずに返答する。
「獣人に嫁ぐとは考えたこともありませんでした。ですが、身内以外で、私を好いてくれる人がいると知った時の方が驚きました」
ローゼが姉を打ち負かした瞬間、家族以外、みんな一斉に敵になった。友だちは距離をとり、婚約者からは縁切りされ、冷たい言葉を浴びせられた。
「こうして、デートのお誘いを頂くのも初めてですし……。
それにあの場で私を助けてくれた時から、人種の違いとか、そんなこと気にならないくらい、とても嬉しかったです」
「好き」という単語は恥ずかしくて、まだ喉の奥から出ようとしない。
けれど、言葉を連ねていくと感情が高ぶり、頬が熱を持ってくるのが分かった。そんなシェリルを見て、コンラートは機嫌がよさそうに目を細める。
「……そっか。それなら良かった」
コンラートは小さく牙を見せながら笑った。
その笑顔は真夏の太陽のように眩しく輝いている。シェリルは彼の温かな顔を見ているだけで、こちらまで幸せな気分になった。
「この後、どこへ行きたい?
行く場所がないなら、さっきの屋台に行かないか? 俺が食べてみたいんだ」
無邪気な子供のようにせがんできた。
きっと、彼と食べたら、いつもよりも心が弾みそうだ。
「……はい!」
シェリルが二つ返事で答えると、彼は更に幸せそうに顔を緩めた。
だから、すっかり気が緩んでいたのかもしれない。
会計が終わり、それも、すべて彼が払ってくれて、申し訳なく思っていた時だ。
「あら、シェリル。五日ぶりかしら」
全身鳥肌が立つような悪寒が走る。
温かな気持ちは北風に吹き飛ばされるように消え失せ、口に残っていた幸せの味も流され、周囲から音も消える。
シェリルは、この二年で耳に馴染んでしまった甘ったるい声の方に振り向いた。
「ローゼ、様」
ローゼが元婚約者を引き連れて、悪魔のように微笑んでいた。
次回投稿は10月2日16時を予定しています。