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8話 お出かけの前に


 無事に、婚約は結ばれた。

 コンラートは兄が出した条件を飲み、屋敷を後にする。


(婚姻の条件が、『ネザーランド家に万が一のことがあっても、シェリルの身の安全を保障すること』だなんて)


 シェリルは兄を横目で見た。

 これではまるで、婚姻というよりも亡命みたいである。

 兄はローゼが伯爵家を取り潰す未来を見据え、シェリルを異国へ「婚姻」という名目で逃がすつもりなのだ。

 それを想うと、兄を残して一人嫁ぐことが申し訳なく思えてきた。


「シェリル、どうした?」


 あまり見過ぎたからだろうか。ケイオスが問いかけてきた。だから、シェリルは兄に囁き返した。


「……そろそろ、兄様も自分の幸せを考えても良いと思います」


 まだ相手がいる場で「婚姻の条件」に文句を言えるわけがない。しかし、兄はシェリルの意思をくみ取ったのか、表情を緩めた。


「もちろん。僕だって自分の幸せを考えているさ。だから、シェリルは気にしなくていい」

「ですが……」

「そうだ、シェリル嬢!」


 シェリルが言い返そうとしたとき、コンラートが呼びかけてきた。彼は帰り際、一度は去りかけた足をこちらに戻し、シェリルに近づいてくる。シェリルがきょとんと見上げると、彼はこちらを見つめたまま、


「シェリル嬢。今度、時間を頂きたい」


 と、誘いをかけてくる。

 最初は何のことなのか理解できなかったが、兄からデートの誘いだと耳打ちされて、ぽんっと顔が赤くなった。

 シェリルは胸の内で数を唱えながら頬の熱を静めると、彼をまっすぐ見つめた。


「私は何時でも構いません。解雇されましたので」


 シェリルは答えながら、なんだか不思議な気持ちになった。

 学生時代は騎士になるための鍛錬に励み、近衛兵として毎日職務に真面目に取り組んでいた。これからしばらく何も自分を縛ることがないと分かると、むずむず背中が痒い。

 

「それでは、四日後は?」

「もちろん」

 

 シェリルが了承すると、彼は「当日の昼前に迎えに行く」と約束を結び、去っていった。

 シェリルはその後姿を見送りながら、もう一度、今度はしっかり兄へ文句を言おうとしたが、すでに兄の姿は消えていた。




 それから、四日。瞬く間に時間が過ぎた。

 この暇な時間をどうするべきか……なんて、頭を悩ませたのは、最初だけで、次から次へとやることが押し寄せてきたのである。


「……あっという間だった」


 シェリルは令嬢としての衣装もなければ、ろくに花嫁修業も受けていない。

 異国へ嫁ぐ期限は迫っているので、そこに間に合わせるように、兄や侍女たちと一緒に動き回っていた。衣裳店を経営する親戚に頼み込んで服を見繕ってもらったり、侍女から花嫁修業をつけてもらったりと、兄に文句を言う間もないくらい、あれやこれやと振り回されていた気がする。


「結婚って、疲れるものね」

「あらあら、お嬢様。私には幸せそうに見えましたけどね」


 白髪の目立つふくよかな老女が、シェリルの髪を梳きながら話しかけてきた。


「私は殿方を見ておりませんが、素敵な人なのでしょう? あのブルータスよりも遥かに」

「それは、まあ」


 シェリルは元婚約者を思い出す。

 ブルータス・ウェストブルック侯爵子息。

 五歳年下の元・婚約者。

 シェリルは彼に対して、恋愛感情はこれっぽっちも抱けなかった。婚約者というよりも、剣の弟子として扱っていた気がする。それは、相手も同じようで、彼が恋焦がれている女性は別にいた。

 その女性は誰かって? もちろん、ローゼだ。


「ローゼの甘言に乗り、婚約を破棄してきたのですよ。お嬢様には何も落ち度がないのに。

 ですが、これで正解でしたわ。ライラプス様なら、お嬢様を幸せにしてくれるはずです。

 お嬢様もあの方を素敵だと思うでしょう?」

「あの人は素敵というより、真摯な人だとは思います」


 シェリルはコンラートのことを想起する。

 いつもまっすぐな瞳をしていた。

 姉たちのように優しい視線を向けてきてくれる。シェリルに惚れたキッカケを話している時の照れくさそうな顔は嘘には見えず、こちらまで恥ずかしくなってしまうほどだった。 

 

「それに、私を守ってくれました」


 王太子の結婚披露宴、シェリルの味方は誰もいなかった。

 唯一の身内の兄も権力には敵わない。

 だから、姉のように地下牢に繋がれ、死んでいくのだと諦めていたそのとき、コンラートは手を差し伸べてくれたのだ。国同士の友好関係にヒビを入れてしまっていたかもしれないのに、そんなことお構いなしに助けに来てくれた。


 シェリルを暗闇から救い上げ、希望を灯してくれた。

 そのことを思うと、シェリルは


「あの人には、嫌われたくないです」


 と、考えてしまうほど好感を抱いている。

 そこまで語った時、くすくすと侍女が笑っていることに気付いた。


「マルゲリータ?」

「お嬢様が良い方と巡り合えて良かったです。ほら、できましたよ」

 

 マルゲリータはシェリルの赤髪に白い薔薇を結い込むと、嬉しそうに言った。


「ありがとう」


 シェリルが礼を言うと、ふくよかな侍女は微笑みながら鏡を用意する。

 シェリルは身体全身を映す鏡に視線を向けた。化粧の効果で、普段よりも眼鼻を浮き立たせている。白いブラウスにひざ丈の蒼いスカートは一見すると町娘風だが、品の良さを感じた。

 この二年間、ローゼの近衛兵として、化粧もせず仕え続けてきた。その疲れ切った顔との差は一目瞭然である。


「別人みたい。さすが、マルゲリータ。良い腕をしている」

「ありがとうございます」


 くるりと回って見せると、スカートがふわりと上品に持ち上がる。久しぶりにお洒落をしたからか、わずかに心が浮足立っていることを感じた。


「私としましては、お嬢様の御髪が可哀そうでなりませんわ」


 シェリルとは反対に、マルゲリータは悲痛の声を上げる。


「肌艶も以前より落ちています。この四日のケアで若干回復しましたが……」

「ここまで取り戻せたのは、マルゲリータのおかげよ」


 騎士学校に通っていたとはいえ、シェリルは伯爵令嬢。

 父の「伯爵令嬢に相応しくあれ」という命令で、時折、肌や髪のケアをしていたのだが、ローゼに仕えてからの不規則不健全な生活のせいで、肌も髪も荒れていた。


「お嬢様。その服でよろしいのですか?」

「ええ、これがいいの」


 シェリルは断言する。

 衣装棚には、令嬢らしい華やかな服が眠っている。

 しかし、悲しいことに、シェリルは衣装にばかり気を取られて、靴まで頭が回らなかったのだ。そのことに気付いたときにはもう遅く、現在、シェリルの手元にあるのは焦げ茶色のブーツしかない。

 真新しい服のなかで、唯一、この靴に合うのが町娘風の衣装だった。

 

「ローゼがいなければ、お嬢様が衣装に困ることはなかったのに」

「マルゲリータ!」

「ですが、これは転機ですわ」


 マルゲリータは声高々に言うと、蒼いリボンを取り出した。


「この服だって、お嬢様の魅力を引き出していることには変わりありません。

 ネザーランド家に代々仕える者として、お嬢様を完璧に輝かせるように全力を尽くします」

「ちょっと大袈裟よ」

「大袈裟なものですか」


 マルゲリータはふふっと笑いながら、蒼いリボンをシェリルの腰に巻き始めた。


「私は、お嬢様が赤子の頃から、この家にお仕えしているのですよ。

 剣を振り回していた女の子が、素敵な殿方と出会うなんて。……失礼かもしれませんが、娘が巣立つように幸せですわ」

「……そうね。私も貴方を第二の母様みたいに思っている」

「ありがとうございます。できれば、獣国まで付き従いたいものです」

「それは駄目よ。兄様が一人になってしまうもの」


 シェリルは寂しげに笑う。

 ネザーランドの屋敷には、マルゲリータたち古くからの信用がおける侍女が数人、そして、代々勤めている執事や料理人一人といった少数精鋭で回っている。

 人件費を究極に削減した結果ともいえる。これ以上、侍女が減ると手が回らなくなってしまうのだ。


「あいつが到着したぞ。シェリル、支度は出来たか?」


 マルゲリータが腰のリボンで大きな蝶を造り終えた頃、兄がつかつかと部屋に入ってきた。

 そして、シェリルを見るなり首を横に振る。


「チェンジだ。服を替えろ。いや、それも可愛らしいが、伯爵家の令嬢らしくない」

「ケイオス坊ちゃま。今から着替える時間はありません」

「ぼ、坊ちゃまと呼ぶな! 僕は、今年で24だぞ!?」 

「『結婚するまで男子は坊ちゃまと呼ぶこと』。亡き奥方様から命じられました」

「そ、そんなことあるか!?」


 ケイオスが顔を赤らめて、マルゲリータに抗議をし始める。

 シェリルはその隙に部屋を抜け出す。ちらりと振り返ると、マルゲリータと目が合った。彼女は「今のうちにお行きなさい」とばかりに親指を立てる。


「ありがとう」


 シェリルは口の動きだけで伝えると、そのまま玄関へと急いだ。玄関続く階段の前に差しかかった時、足が止まってしまう。

 靴に合わせて服を選んでしまったが、兄の言う通り、伯爵令嬢にしては地味であることには変わりない。


(でも、これ以上ないから仕方ない)


 がっかりされたら、そこまでだ。

 シェリルは頬をぱんぱんと叩くと、階段を降り出した。


「お待たせしました」


 シェリルが玄関に行くと、コンラートが待っていた。

 白いシャツに紺色のジャケットを羽織り、黒いズボンを履いている。服のデザインは町人が着ているものと変わらない。しかし、彼が着ると一級品みたいに見えるのが不思議である。実際、この後、よく見たら上等な生地だった。


「いや、今来たところだ……っ!」


 彼はシェリルを見た途端、ぴたりと固まった。これ以上ないくらい刮目している。シェリルは不手際があったかと困惑し、淑女らしく礼をしてなかったことを思い出す。


「お誘いいただき、ありがとうございます」


 シェリルはスカートを少しばかりつまんで、やや緊張気味に挨拶をする。ここで、ようやく彼の口が開いた。どんな言葉が出るのか不安に思っていると、彼は真顔で


「可愛い」

 

 と呟いた。

 予想外の言葉に、シェリルも固まってしまう。


「あ、ありがとうございます」


 シェリルは頬に熱がたまっていくのを感じた。兄に「可愛い」と評された時より、ずっと胸の内側がポカポカする。

 シェリルが自分の感情に戸惑っていると、彼は我に返ったように瞬きをした。


「いや、騎士の服装をした貴方も愛らしいが、その服も大変似合っている」

「ありがとうございます。コンラート様も素敵です」


 シェリルが言うと、コンラートは嬉しそうに破顔し、エスコートしてくれた。


 エスコートされるのは、何年ぶりだろう。

 元婚約者にエスコートされたことは一回のみ。三年前に無理やり参加させられた夜会で、元婚約者のお披露目の際に、エスコートされたのが最初で最後だ。

 そんな昔のことを思い出している間に、馬車に乗せられていた。

 この間と同じ型の馬車で、シェリルが座ると心地よい程度に沈んだ。

 

「今日はどちらへ行かれるのでしょうか?」


 馬車が僅かな振動と共に進み始めたところで、シェリルは前に座るコンラートに問いかけた。


「車寄せに止めたら、中央広場へ行こうと考えている。その近くに、人気のフルーツパーラーや隠れ家的なショコラ専門店があって、どちらかに行こうと……」

 

 コンラートはここまで話すと、一旦言葉を区切った。


「悪い。シェリル嬢は甘いものは平気か?」

「はい、私は甘いものが好きですから、その案に賛成です。ですが、コンラート様こそ大丈夫なのでしょうか? 無理をされているなら、申し訳なくて」

「甘いものは好きだ。家の方針で、滅多に食べさせてもらえなかった反動って奴だな」


 特に悩むことなく言葉を返されて、シェリルは安堵する。

 こちらに全部合わせて無理させてしまっていたら、非常に申し訳ない。


「でも、よくご存知でしたね。アネモネの王都には、何度か来たことがあるのですか?」

「いや、初めてだ」


 それにしては、かなり明確なプランである。

 シェリルが不思議に思っていると、彼はバツが悪そうな顔になり、白状するように言った。


「先日、下見をした。

 陛下たちと一緒に。俺は女性の好みに疎いから、協力してもらった」

「なるほど……」

 

 シェリルの脳裏に、ピンク髪の護衛騎士の姿が浮かぶ。

 ヒルダという騎士は、全体的に細身の凛々しい騎士だった。彼女の観点を参考に決めたに違いない。しかし、ジークの警護を疎かにしてはいけないので、三人で出かけたのだろう。


 金髪の美男子と、凛々しい女騎士、そして、顔から品位が滲み出ている美少年。

 お忍びで街へ降りた貴族の一行だ。シェリルは意図せずに目を惹きつける三人を想像し、くすっと笑った。


「シェリル嬢?」


 コンラートは不思議そうに見つめ返してくるので、シェリルは「失礼」と前置きをしてから話した。


「コンラート様たちが街を下見する姿が、とても絵になると思いまして」

「やめてくれ、恥ずかしい。

 それに、下見と言っても、実際には陛下の遊びに付き合ったって感じだ」


 コンラートはその時のことを思い出したのだろう。腕を組むと、疲れたように大きく肩を落とした。


「とにかく、陛下が動き回るから大変だったぜ。大道芸に夢中になるわ、偽物売ってる店を冷やかすわ、喧嘩に頭を突っ込もうとするわ」

「意外と奔放なのですね」

「奔放ってレベルじゃない。歩くトラブルメーカーだ。

 そこんとこ、昔から変わらないぜ。まったく、少しは成長して欲しいもんだ」


 そう語る姿は、親が手のかかる子を想うようで、シェリルは目尻を緩めてしまった。


「コンラート様は、ジーク様がお好きなのですね」

「腐れ縁だ。ああ、安心してくれ。俺の一番はシェリル嬢だ。たとえ陛下であろうと、他の者には断じて尻尾を振らない」


 コンラートは真剣な声色で返してきたとき、ちょうど良い具合に馬車が止まった。

 気が付けば、街の賑わいが聞こえてくる。


「ってことで、王都を満喫できなかった。調査はしたけどな」


 彼はそう言いながら一足先に降りると、こちらに手を差し出してくる。


「今日は一緒に楽しもうぜ」

「……はい!」


 シェリルは喜んで、彼の大きな掌に手を重ねた。







次回更新は10月1日 16時を予定しています。


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