6話 獣国の将軍
そこにいたのは、コンラートだった。
金髪を逆立たせながら、先輩の手をつかんで動きを止めている。先輩も睨んだが、コンラートの黄色の双眸で睨み返され、圧し負けたようにふらふらと後ずさりし、床に座り込んでしまった。
「なに奴だ!?」
「いやー、申し訳ありません。私の側近は手が早くて」
貴族たちの輪から、ジークが姿を現した。
獣国の王の登場に、しんっと場が静まり返った。
「己の伴侶が冤罪にかけられようとしているのです。黙って見ていられなかったのでしょう」
ジークは、さらっと言い放った。
シェリルは目が点になった。
「昨日も話したではありませんか。我が側近、ライラプス将軍に嫁ぐ件について」
ジークの紫色の瞳が細くなる。
無言で「話を合わせろ」と言っている。どういう風の吹き回しか、彼は冤罪を晴らしてくれるつもりらしい。シェリルは慌てて頷き返した。
「はい。昨日、お話しました」
「それは本当か?」
「入門記録をご覧ください。私の名前が記されているはずです」
門番がおずおずと王太子へ入門記録を差し出す。
セドリックはざっと目を通し、深く頷いた。
「確かに。だが、この時間、シェリルはいなかったことになっているはずだが……」
「おかしいですね。私はシェリルさんと会いました。二人の部下と一緒に」
ジークはハッキリと言い切った。
それに対して動揺したのは、ローゼの兄だった。
「いや、しかしですな。私は確かに、この娘が裏道に――」
「おい」
コンラートが口を開く。
「貴殿は、我らが王の言葉を疑うのか?」
「――ッ!?」
コンラートは言葉遣いこそ丁寧だったが、獰猛な黄色い瞳でローゼの兄を射抜いていた。人一人、殺せそうな迫力の視線に押され、ローゼの兄は明らかに委縮する。
「い、いえ。そのようなことは……」
彼は数歩、後ずさりした。テーブルに背中が当たり、我に返った姿から察するに、無意識のうちに後退していたのかもしれない。
コンラートはそんな男を一瞥すると、心底呆れたように息を吐いた。
「記録を書き間違えんだろうよ。見間違えも良くあることだ。フードを被っているなら、誰なのか一発で分かるわけない」
彼はシェリルに近寄ってきた。もう瞳に怒りの色は見えない。険しかった瞳は柔らぎ、いたわりを込めたようなものへと変わっていた。
コンラートはシェリルの前で屈みこみ、片膝をつくと、こちらに右手を差し出してきた。
「シェリル嬢」
先程と同一人物かと疑うほど、態度が正反対だった。
声は甘く優しくて、なんだかこちらまで安心するような笑顔を浮かべている。恐ろしい気配は微塵も残っていなかった。
「どうぞ、手を」
シェリルは少し躊躇ったが、まっすぐ黄色の瞳に見据えられ、そっと彼の手を取る。コンラートはシェリルが手を取ると心から嬉しそうに笑った。獣人らしく、口元から鋭い牙が光っていたが、それが気にならないくらい純粋でまっすぐな笑顔だ。
シェリルは呆けたように見つめ返してしまう。
こんな真っ直ぐな笑み、家族以外から向けられた経験はない。
そもそも、剣一辺倒だったので、こうして年頃の男性に手を取られたこともない。
シェリルはどうしたらいいのか分からず、頬に熱がたまっていくのを感じながら、彼に手を添えられたまま、一緒に立ち上がった。
「シェリルが冤罪かもしれないと分かった、が」
セドリックがシェリルとコンラートを見比べて、愕然とする。
コンラートはシェリルの手を握ったまま、セドリックと向き合った。
「申し訳ありません。彼女が……私の妻となる娘が受けている仕打ちを見過ごせず、出過ぎた真似をしてしまいました。お叱りがあれば、謹んでお受けいたします」
「構わない。私も同じように行動する」
セドリックはコンラートを真剣な目で見据えた。
普段の様子とは打って変わり、多少なりとも王家の者としての風格のある雰囲気で、静かにコンラートを推し量っているようだった。
「婚姻の件だが、ケイオスは聞いていたのか?」
「水面下で進んでいた話です。正式に発表する時期を窺っていたところでした」
シェリルの兄は、さらっと答えた。
右の眉がぴくっと動いている。兄妹だから知っているが、あれは嘘をついている証拠だ。渡りに船というやつだろう。それで話を合わせてくれている。
セドリックは嘘に気付かなかったらしい。兄を一瞥した後、うむ、と頷いた。
「分かった。彼女との婚姻は、私は温かく祝福したい」
「セドリック様っ!?」
セドリックに対し、ローゼが不満の声を上げる。
しかし、彼女が言葉を発する前に、セドリックは集まった者たちに向かって語りかけた。
「今回の賊の侵入については、しっかりと捜査する。
ここに集ってくれた方々は、お騒がせして申し訳なかった。後日、再度、披露宴を行う。もちろん、万全な警備体制をとるので安心してくれ」
セドリックは全体に向かって宣言する。
すぐさま侍女や騎士たちが、貴族や来賓を案内する。貴族たちは不安そうな顔をしながら侍女たちに従った。
「シェリル嬢、お送りしよう」
コンラートが手をつかんだまま囁いてきた。
「いえ、私はまだ仕事が……」
「シェリル」
シェリルが少し困惑していると、セドリックが話しかけてきた。
「任を解く。異国に嫁ぐとなれば、それ相応の準備が必要だろう。近衛を続けたままだと難しい」
珍しく真面目なことを言うので、シェリルは目が点になった。
「お前がいると、ローゼが怯えて穏やかに過ごせないからな」
その後に続けた言葉で、一気に台無しになったが。
「そういうわけだ。陛下、ちょっと送ってくるぜ」
「はいはい、終わったら帰ってくるのですよ」
ジークは子どもを遊びに送り出すような口調で言った。その言葉を受けると、シェリルはコンラートにエスコートされて広間を退出する。
コンラートはシェリルの手を引くと、他の貴族たちとは別の道を辿って、外に止めてある馬車へと誘ってくれた。
まさかとは思うが、城の図面が頭に入っているのだろうか? 人が少ない道を案内されたので、好奇の視線にさらされることがなく安心したが、国の警備体制の甘さを思い知らされたようで、ちょっと危機感を覚えた。
「コンラート様、この馬車に乗ってもよろしいのですか?」
「安心してくれ。これは、王都の貸馬車さ。さすがに、主人の馬車を借りるわけにはいかない」
コンラートはにやっと笑った。
貸馬車と言っても、かなり高級な作りだった。細部までこだわった装飾で、椅子もふかふかしていて座ると身体が沈んだ。振動も少なく、非常に乗り心地が良い。
シェリルは彼と対面して座った。
馬車が走る。
石畳の上を車輪が回転する音、馬の蹄の音、そして、シェリルの心臓の音が強く響いた。最後の音はシェリルにのみ聞こえていたが、相手にも聞こえるのではないかと思うくらい、激しく脈打っている。
初めて真剣を使ったときより、緊張が高まり、膝の上で握りしめた拳の内側が汗で滲んでいた。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます」
シェリルは彼に話しかけた。
「いきなり婚姻話にまで発展してしまうなんて……ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「迷惑じゃない。最初から婚姻話をしてただろ?」
コンラートは少し驚いたように片眉を上げる。
「ほら、昨日」
「……すみません。てっきり、王様が誘っているのだと」
「あー、そうだな。そういう文脈だ」
彼は「まいった」とでも言うかのように、大きな掌を額の乗せる。
「シェリル嬢は、オレより陛下の方が良かったか?」
「い、いえ。そんなことは」
シェリルは自身の赤髪を触りながら答えた。
「貴方の国のために、私の騎士としての力を使えということでしょうか?」
助けてくれたことには感謝しているが、そこは少し気が乗らない。
そう思っていたのだが、彼はすぐに首を横に振った。
「そんなことは些事だ。国の連中を黙らせるための理由に過ぎない」
「では、なぜ?」
シェリルは、困惑を隠せなかった。
剣の腕くらいしか特技はない。見た目も良いとは言い切れず、ネザーランド家の地位も没落している。他に政治的な意図がないとすれば、自分が選ばれた理由に、まったく思い当たる節がなかった。
「私は貴族の妻としての礼儀作法も未熟です」
婚約者はいたが、まだ花嫁修業を受けていない。
特技は剣。裁縫は平均以下。この時点で淑女とは程遠い。
もちろん、伯爵家の令嬢として最低限のマナーは身に付けているが、誰かを立てるのは苦手だ。
ローゼに付き従っているのは仕事だからで、少しの自由が許される私生活において誰か付き従うとなると難しく思える。それこそ、相当信用し尊敬に値する人でない限り、間違ったことを指摘したり反発したりしてしまいそうだ。
考えれば考えるほど、自分は結婚に向いていないのではないか? と思えてしまう。
彼はこちらの令嬢スキルの実態を知らないから、妻にと望んでいるのだろう。
シェリルはそのことを伝えると、コンラートは目の色を変えることなく、まっすぐこちらを見つめたまま
「それも気にしてない」
と断言する。
「シェリル嬢は知らなかったかもしれないが、俺はずっと貴方のことを知ってたんだぜ?」
コンラートは獲物を狙うような鋭い目元を緩め、優しい眼差しを向けてきた。
「それは、どういうことです?」
「それを答えるのは、また今度ってことで。着いたみたいだ」
馬車が速度を落とし、二年ぶりの我が家の前で停車する。
コンラートが先に降り、こちらに手を差し出して、降りる手助けをしてくれる。こうして女性扱いされるのも幼少期以来だったので、緊張と恥ずかしさで自身の指先が震えているのが分かった。
けれど、彼はそのことを指摘せず、シェリルの眼をまっすぐ覗き込んだまま話しかけてきた。
「明日、陛下と一緒に訪ねる。その時に、ゆっくり話そう。おやすみ、シェリル嬢」
「お、おやすみなさい」
シェリルは最後の言葉を告げ終えるか否かのところで背を向け、小走りで屋敷に駆け戻った。
こうしたやり取りに免疫がなく、自身の頬が朱に染まるのを感じる。
「……私が結婚、だなんて」
シェリルは怒涛の一日に困惑しながら、とりあえず、あとで兄に聞いてみようと、心に決める。
とにかく今日は疲れた。
早く寝て、明日に備えよう。
そう思ったのに、なかなか寝付くことができない。
絶体絶命の場を乗り切るため、結婚という言葉を焦って受け入れてしまったが、本当にそれでよかったのだろうか。
それに、騎士として感情を押し殺す訓練を受けていたはずなのに、随分と取り乱した自分を思い返す。
シェリルは寝返りを打ちながら、まだまだ修行が足りないなと苦笑いした。
次回は29日12時30分前後投稿を予定しています。