22話 薔薇の行く末
「ローゼ・ブロッサムとセドリックとの婚姻を無効にする。
そして、ローゼ・ブロッサムの全財産及び地位を剥奪。身分を奴隷に落とす」
「…………それで、私の舌も兄のように切れと?」
ローゼは静かに言う。
まだ足掻くつもりらしい。か弱く乙女なところを見せれば、舌を切るのを阻止できるのではないかと企んでいるのか。
「いいえ、か弱い女性ですから、舌を切るのは可哀そうですね」
ここで、ジークが声を上げる。
ローゼは心なしかホッと胸をなでおろしていた。だが、そう簡単に物事が済むはずがない。
「薬で喉を潰しましょう。人を誑かさないように、ね」
「な、なんで、あんたが私の処分を決めるのよ!?」
「それはもちろん、我が国に引き渡されるからですよ。奴隷としてね」
ジークはきっぱりと言い放った。
彼女に続くように、コンラートも声を上げた。
「俺の婚約者に手を出したんだ。しかも、王太子とその妃が。賠償金を支払ってもらいたいが、これはまた天文学的金額だ。国が傾くどころか、潰れてしまう。
だとしたら、支払いきれない金の分は質を入れてもらうしか、方法はないだろ?」
「安心してください。
彼は怖い顔で言っていますが、貴方の好きな場所で働けるようにしますから」
ジークはにっこりと悪魔のように微笑んだ。
「男が好きなようですから、娼館で働いてもらいましょう。
この国より上下関係がはっきりしていますので、シェリルさんと私、そして、このヒルダに対して行った事実に対して、娼館の主だけでなく、国全土に触れを出します。
……果たして、買う男性は……まともに貴方を扱ってくれるのでしょうかね?」
王や将軍に対して弓を引いた悪女。
まず高い金額で売られないだろうし、声が潰れているので相手に訴えかけることもできない。怖いもの見たさに来る客ならいいが、「国賊」として躾にくる男たちもいるだろう。
ローゼは粛々と聞いているように見えたが、身体が小刻みに震えているのが分かった。
「もちろん、第三者に身請けされないようにします。
ああ、逃げ出しても構いませんよ。辛いですからね。延々と娼婦を続けるのですから、年齢や肌の衰えも感じることが多くなってくるでしょうし、お客の取れない娘は娼館で安売りされることになりますからね。
プライドの高い貴方には向かないかもしれません。
そのときは、地下牢へ捕らえるように指示をだしておきますから」
ジークが言葉を紡ぐほどに、ローゼの生気が衰えていく。披露宴が開始された当初、その名の所以となった「薔薇」のように赤く艶めいていた姿は見る影もない。シェリルは、彼女にあとひと押しで吹き飛ばされそうな脆さを感じた。
「ただ、娼館にいるときも、地下牢にいるときも言えることですが……食事にだけは気を付けてください。
夜が明けると、サーシャ・ネザーランドのように息絶えていた、なんてことがあるかもしれませんので」
「い、いやぁあああ!!」
ローゼは耐えきれなくなったのだろう。恐怖にかられるように、自身の顔をひっかいた。
ローゼは声を潰される。
そして、娼婦として見ず知らずの男に抱かれ、遊ばれる。
選択肢は2つに1つだ。
延々と死ぬまで娼婦として働き続けるか、逃げ出して地下牢に捕らわれるか。
いまの年齢なら娼婦でも良い。だが、十年、二十年、三十年と娼婦を続けることができるだろうか? 値打ちも安く売られるだろうが、加齢とともに徐々に値段が下がり、最後のことを考えると、それは悲惨な有様だろう。
かといって、逃げ出しても、地下牢に捕らわれる。
どちらの道を選ぼうとも、食事には毒が紛れ込んでいるかもしれない。
いつ死ぬのか、この食事で死ぬのか、それに怯えながら食事を続けるのだ。
きっと、喉に食事が通らない。
下手したら、食事をとれなくなってしまうかもしれない。
「ど、どうか! どうかお情けを!!」
ローゼはジークの足元にすがりつこうとしたが、彼は半歩身体を避けて防いだ。
「貴方は、一体、どれほどの人を傷つけたと?
情けを求めた相手を助けたことが一度でもありましたか?」
「これから、心を入れ替えるから! ねぇ、シェリル! 貴方も――」
「すみません。私、貴方だけは許せません」
シェリルは彼女の言葉を断る。
ローゼの顔が白から赤へと転じ、忌々しそうにシェリルを睨み付けた。
「お前のせいだ!
お前のせいで、私の人生はめちゃくちゃよ!! お前を殺して、私も死んでやる!」
ローゼはテーブルの近くのナイフを取ると、シェリルに向かって走り出した。
だが、そのナイフがシェリルに届くことはなかった。
「この子のせいで人生がめちゃくちゃ、だと?」
シェリルが動く前に、コンラートが動いていた。
ローゼの腕をいとも簡単につかむと、そのまま塵芥を見るかのように言い捨てる。
「お前のせいで人生めちゃくちゃにされた連中の方が、ずっと多いってんだ!」
「そんなこと――ッ」
「それが分からない以上、あんたの罪が許されることはない。たとえ、シェリルも陛下もヒルダもルーゲン国王も許そうと、お前はこの子を傷つけたんだ。だから、俺が許さない。勝手に死のうっていうなら、俺がその首を食いちぎって、さらし者にしてやる!」
コンラートは自身の牙を見せつけるように唸った。
ローゼは牙を見た瞬間、その有様を想像してしまったのだろう。小さな悲鳴の後、足の力が抜けたように座り込んでしまった。そのまま国王の命令を受けた騎士たちによって別室に連れていかれる。特に彼女が脱走する可能性が一番高いと考えたのだろう。ヒルダも同行し、彼女を監視することになった。
「……皆の者、我が国の恥をさらしてしまった。大変申し訳がない」
国王が来賓たちに向かって謝罪の言葉を告げる。
周囲に立ち込めた熱が徐々に冷めていく。シェリルはローゼたちが消えていった扉を見つめていたが、ゆっくり頭を振ると、傍にいた獣国の王へ囁きかけた。
「……すみません」
本当は国王陛下に伝えたい言葉だが、ローゼに関して一任された人物に話を通しておきたかった。
「……もし、ローゼたちが本当に心を入れ替えた時には、やり直しの機会を与えてもらえないでしょうか?」
「それは、本気で言ってるのですか?」
ジークの紫色の瞳は冷たく光っていた。
「彼女が貴方にしたことを忘れたのですか? 我が国に対する暴挙のことも聞きましたよね?」
「……はい。私は、あの人たちが仕出かしたことを許せるほど心が広くありません」
シェリルは自身の腕をぎゅっと握った。
「ですが、ただ殺したり苦しめたりするだけでは、あの人たちと同じになってしまう気がするんです」
「それは違います。あの者たちは私たちを罠にはめて、苦しむ様を喜んでいました。
こちらは、あの者たちの罪を明らかにし、処分を下したまでのこと。意味合いがまるで違います」
「……そうです。ただ、彼女たちが心から反省して悔い改める様子が見られたら、地獄から救いだす機会を与えて欲しいのです。
一度で構いません。どうか、お願いします」
シェリルは心臓の上に拳を置くと、深々と頭を下げる。
これは、聖人的行いではない。自分が間接的に下した罰の重さに対する忌避感からだ。騎士として剣で決着をつけたのであれば、特に感傷はなかっただろうが、これでは王の威を借る小娘である。
ローゼの兄に対して思った通り、権力を持って制することは悪いことではないが、それが逆転したとき、行いが全て跳ね返ってくる。
このまま流れに身を投じて、万々歳と終わりにしたくはなかった。
「シェリルさん。分かりました。善処しましょう」
ジークが囁いてくる。
「ここは人目が多いです。そこの影に部屋があります。彼とそちらで待機していてください」
「御気遣い、感謝します」
シェリルは一礼すると、歩き始めようとしたが、ひょいっと視界が高くなる。コンラートに抱え込まれてしまったのだ。
「こ、コンラート様! 私は一人で歩けます!」
「貴女は裸足なんだ。危ないものでも踏んだらどうする?」
彼はそう言うと、有無言わさず別室に連れ込まれてしまった。
「……これで、一件落着……になるといいんだがな」
シェリルをソファーの上に降ろすと、コンラートは大きく息を吐いた。そして、自身の髪を触る。
「ったく、前髪が邪魔だな……」
いつもは後ろに逆立てているが、王城と離宮の間を全速力で駆け抜けたからだろう。ほとんどの前髪が下がっていた。それはそれで良い味を出しているのだが、目元までかかるのは、彼的には不服らしい。
「すみません……疲れましたよね?」
「いいや、全然。シェリル嬢の危機とあれば、たとえ火の中水の中。どこへでも駆けつけてみせる」
彼はにかっと笑った。
シェリルの心にも嬉しい気持ちが広がっていったが、なにも返せないのは申し訳ない。
「……あ、そうだ。すみません、少し屈んでくれませんか?」
シェリルが頼むと、コンラートは少し不思議そうな顔をしながら屈んでくれる。
そのままシェリルは自身の髪に手をかけた。ここに来る途中、ほんとうに色々な事件を乗り越えてきたせいで、シェリルの髪もすっかり乱れてしまっていたが、まだ微かに原形をとどめているのは、家を出るときに、しっかり整えてきたからだ。
具体的には、髪留め用のピンやら紐で。
シェリルは髪留め用のピンを取ると、コンラートの前髪に差し込んだ。
「えっと……これで、どうでしょう?」
前髪を逆立てることは無理だが、目元にかからないようにはなった。
「なるほど。これはいいな。実に楽だ!
ありがとう、シェリル嬢」
彼は上機嫌に目を細めている。
そんな彼を見て、もう一つだけ……お願いしたいことがあった。
「あの、失礼かもしれませんし、聞き間違いかもしれませんが……」
シェリルは自身の赤髪を触りながら、言葉を選んで問いかけた。
「ローゼから私を庇ってくれた時、敬称をつけていなかったなって」
「あ……す、すまない。嫌だったか?」
「嫌ではなくて、そっちの方が……良いかなって、思うんです」
ちょっとおっかなびっくりに、彼に向かってお願いする。
すると、彼は特に考えることもなく、応!と頷いた。
「シェリル、どんどん要求を言ってくれ。
あー、その代わり、俺からも一つだけ。俺が敬称を外したんだから、シェリルも『様』付けはしないでもらいたい」
彼は頭の後ろをかきながら言葉を投げかけてくる。
金髪の合間から見える耳がほんのり赤く染まっていた。シェリルは心の底から沸き上がって来た温かい気持ちに促されるまま、元気よく笑った。
「分かりました、コンラートさん!」
「……ま、いまはそれでいいか」
「あ、すみません……まだ慣れなくて」
「大丈夫だ。これから少しずつ、慣れていこう」
「……はい!」
二人して微笑み合う。
もう自分を邪魔する者はいない。ローゼはいないし、リリーもいない。そう考えると肩の力が抜けるのと同時に、彼と笑い合うことができることが、飛び上がりたいくらい嬉しかった。
「おーい、二人とも。そういうことは鍵のかかった部屋でやってください」
だから、ジークが冷ややかな声をかけてきたとき、今の状況に気付いた。ほとんど鼻と鼻が触れ合う距離にいたのだ。シェリルは慌てて彼から離れて立ち上がると、きわめて平静になるように努めた。
胸の内で数を唱えながら、心を落ち着かせていくと、照れくささが沈み、他の問題が浮き上がってくる。その問題が頭に浮かび上がった瞬間、氷が詰まった水に突き落とされたような刺激が全身を襲った。
「そ、そうです。陛下! 私の兄の姿が見えないんです!」
「ああ、それですか。大丈夫ですよ」
ジークは柔らかい笑みを浮かべた。
「国王夫妻が幽閉されていた部屋に行く途中、発見することができました。睡眠薬で眠らされ、服を剥ぎ取られていました。この広間に行く途中の部屋で、鍵もかかっていなかったので、おそらくは、披露宴が終わった後、部屋から出てきた彼を露出狂に仕立て上げるつもりだったのかと」
「それで、兄は……」
「私たちが用意した部屋で眠っています。書置きがあるので、事情は分かるでしょう。そろそろ目が覚めている頃だと思いますよ。
来賓たちも帰ったことですし、これから一緒に行きませんか?」
「ありがとうございます」
再びコンラートに抱きかかえられそうになったが、それは丁重に断り、兄のいる部屋へ急ぐ。途中、リッパーのことを伝えると、国王陛下の命を受けた兵が離宮の制圧に向かっているらしい。
シェリルが捕まっていた痕跡や馬の大量死などが発見されれば、ローゼたちの罪はより確実なものになる。
こうしてひとつひとつ、終わっていく。
重たく圧し掛かっていた物が、1枚1枚ゆったりと剥がれ落ちていくように。
部屋に近づくにつれて、歩調が速くなっていくのを感じた。
「あの角を曲がった最初の部屋です」
彼女の声を聞く頃には、ほとんど走り出していた。
そして、ノックもなしで扉を開ける。はしたないとか、令嬢らしくないとか、お行儀がなってないとか、頭の中で指摘が飛び交うが、今は知ったことか。
「兄様……」
少し広い部屋。
華美で繊細な趣向を凝らした調度品に囲まれて、一人の青年が立っていた。ヒルダの物と思われるシャツのボタンを嵌めながら、少しばかり目を見開きながら振り返る。
「兄様っ!」
シェリルは兄の腕の中に飛び込んでいた。
ケイオスも少し驚いたような顔をした後、目じりを和らげて、ゆっくりシェリルを抱きしめた。
「シェリル……無事でよかった」
「兄様も、生きていて良かった」
シェリルも力いっぱい兄を抱きしめる。
ああ、これで全て終わったんだ。
そう思うと、頬を一筋の涙が伝うのが分かった。
「……だが、その有様は何だ!
肩の傷は大丈夫なのか!? 裸足だし、ドレスも破けている。誰にやられたんだ!? 本当に無事なのか?」
「ええ、問題ありません。靴はどこへ行ったのか分かりませんが、ドレスを破いたのは私ですし……」
「ドレスを破った!?
シェリル、お前は慎みが足りないぞ! 落ちぶれたとはいえ伯爵家の令嬢なのだ。それが、ドレスを破るだなんて!」
兄は説教を始める。
シェリルは微笑みながら説教に聞き入った。
兄が顔を真っ赤にして怒ってくれたことも嬉しく感じる。兄がローゼの手に落ちていたら、そして、シェリルが助からなければ、このような再会もなかった。
これで、よかった。
「まったく。怒ってるのに、なにをへらへらしているんだ」
「ごめんなさい。でも、兄様。私ね――」
シェリルは温かみを噛みしめるように答えた。
「幸せだな、って思うの」




