19話 ブルータス
「ブルータス! 丁度良かった!」
シェリルが叫ぶと、周囲の空気がピタリと止まった。
「あ、いや、うん……無事でよかった、シェリル。いや、怪我しているけど、命に別条がなくて」
「ブルータス、あなたは本当に……自分の意志で私を攫ったの?」
「そんなわけないだろ? 僕はローゼ様に絨毯を運べと言われただけで――」
「ブルータス君、もうやめて!」
ローゼがブルータスの言葉を遮った。
ローゼは大きな瞳を潤ませながら、しくしく泣いている。
「ブルータス君、貴方は……私が渡した絨毯に、シェリルを包んだのね。彼女を眠らせて、離宮まで運ばせた後、地下牢につないで……この場に出てこれないようにしたのでしょう?」
「え、なにを?」
「ブルータス君は嘘はつかないでいいのよ。お願い、私と貴方の仲なのですから……この場で私に同意をするのであれば、罪を軽くしましょう」
ここで、ブルータスは自分の置かれている状況を理解したのだろう。
さあっと青ざめ、ことさら小さく縮こまった。信じられないと言わんばかりの顔で何かを口にしようとしたが、ローゼの方が早かった。
「シェリルと再び婚約を破棄したかったから、離宮へ浚ったって。悲しいことだけど、それを認めて。認めてくれたら、すべてを水に流すわ。
愛する人のために動くことほど、素敵なことはないもの。それで、みんな丸く収まるの。私は……大好きな貴方を信じているから」
拝むように指を組み合わせ、上目遣いで彼を見つめる。
ブルータスがこんな表情を想い人から向けられたのだ。普通なら、ころっと彼女の言葉通り、頷いていたことだろう。
だが、そう簡単に終わらせられまい。
「おかしいな。ブルータス、あんたはシェリル嬢を浚ったつもりなんてなかったんだろ? 王太子妃に頼まれた絨毯を運んだだけだって、俺に言ってたじゃないか」
「ライラプス将軍が言っていることは、貴方がついた嘘なのでしょう? ねぇ、お願い。嘘だと言って」
今にも獲物の首に喰いつきそうな獰猛な獣。麗しの顔をしながらも残酷なことばを発する姫。
その二人から睨まれ、ブルータスは小さく悲鳴を上げた。
「どうなんだ、ブルータス」
「嘘なのでしょう、ブルータス君」
「ぼ、僕は……」
ブルータスはじりじりと後退し、扉に背を預けると、そのまま座り込んでしまった。
「ブルータス」
ここに、もう一人。
静かな声が加わった。
シェリルの声だ。青い瞳はまっすぐブルータスを貫いている。
「私は、貴方に剣を教えました。ただ、私は技術だけを教えたつもりはありません。剣を振る心も教えたつもりでした」
「……シェリル」
「悔恨のある者の剣は、やはり鈍ってしまうことがあります。
正直に話してください。あなたが、本当に剣士であるのであれば」
ブルータスは蒼い瞳を見つめ返した。
この時、ブルータスは感じた。目の前にいるのは、堕ちた騎士などではない。足は傷つき、抱きかかえられてはいるが、凛と筋の通った……自分の知っている理想の王子様だと。
「僕は……絨毯を運んだだけです」
ブルータスは小さな声だが、力強く言い放った。
「ローゼ様に言われ、絨毯を運ぶように言われました。中を改めることなく、離宮へと運び、門番へ渡しました。その後のことは知りません。
城に戻ってきたとき、ライラプス将軍に指摘され、初めて下手人にされたことに気付いたのです!!」
ブルータスの声は徐々に大きくなり、最後は半分泣きながら叫んでいた。
水を打ったように静まり返った場に、嗚咽を上げながら泣く青年の声だけが響いている。
ローゼも飼い犬に手を噛まれるとは思っていなかったのだろう。愕然とした表情が隠しきれていなかった。
こういうとき、立ち直りが一番早いのは誰か。
「……まったく。貴方たちは何をしたいのですか?」
第三者である。
この場合、ローゼの兄だった。
「我が妹が嘘をついている? 失礼千万だ」
ローゼの兄は妹の肩を抱きかかえると、不快そうにシェリル達を見据えた。
「当人たちの証言だけだ。証拠も何もない」
「シェリル嬢の姿だけでも証拠になると思いますがね。なにしろ、今回の婚約事件のうち四分の三が『身に覚えがない』ときている。この時点で、おかしいと誰もが思うはずだ」
コンラートが唸るように言い放ったが、ローゼの兄は意にも介していなかった。
「正直、不愉快だ。
先ほどのブルータスの証言も……君とシェリルが脅したように見える。君はどう思った、セドリック?」
ローゼの兄はセドリックに話を振った。
「義兄上……私は……」
「ライラプス将軍の睨みに耐えられる貴族はおりますまい。シェリルの背後には、フランベルク王国もいる。
なにより、君は……ローゼが嘘をついていると、本当に思っているのかい?」
「そのようなことはない!」
セドリックは反射的に答え、すぐ目を泳がせた。
「ローゼが嘘をつくとは思えないが……シェリルたちが嘘をついているとも思えない」
「もちろんです。シェリルはネザーランドの娘。あの嘘つきサーシャの妹だ。あの将軍を誑し込み、ローゼを陥れようとしているに違いない」
「何を言ってるんですか!? セドリック様、惑わされないでください!」
「…………」
シェリルが反論したが、セドリックは答えない。
「……セドリック様」
ローゼがセドリックを覗き込む
「私が嘘をつくはずがないと……信じてくれますよね?」
「それは……もちろん、そうだが……」
「それみたことか!」
セドリックの歯切れの悪い返答を得て、ローゼの兄は勝ち誇ったような顔をした。
「ブルータスは脅迫され、嘘の証言をするしかなかったのだ。
お前たち、ブルータスを牢へ連れていけ。リリーは退席しなさい。ライラプス将軍、そしてネザーランドの娘は脅迫の容疑で話を聞く。それぞれ別の部屋へ連行しろ」
ローゼの兄が宣言すると、兵士たちは少し迷った後、行動を始めようとする。
「退席しないぜ! これは不当だ」
コンラートが反論するが、ローゼの兄は冷たく言い放った。
「王太子がローゼが正しいとお認めになった。
つまり、王太子がブルータスが脅迫され、嘘の証言をしたと認めたのだ。
王太子殿下は国王が病に伏せている現状、この国の最高指揮権を委任されている。つまり、彼の言葉は絶対だ。私は、それに従い命令しただけのこと。
……不当な仕打ちなどではありません。そうですよね、セドリック様」
「え……いや」
「セドリック様。兄様の言う通りですよね。そうですよね?」
「あ……まあ、うん、そうだ」
「このように、王太子殿下が頷いておられる!」
どこからどう見ても誘導尋問以外の何物でもない。
だが、ローゼの兄の言う通り、この国で現状、最も偉い人物は、セドリックだ。セドリックの命令は絶対であり、そこに逆らってしまうと「妨害罪」になってしまいかねない。
「……たしかに、その通りだ」
だから、シェリルは愕然とした。
コンラートがローゼの兄に同意したのだ。シェリルは弾かれたように彼を見上げた。コンラートは口の端を上げ、不敵に笑っていた。眼には挑戦的な色がちらついている。
「偉い奴が頷けば、従うしかない。それは仕方ないな」
「ほう、理解していただけたか?」
「ああ、分かった。
だがさ、怖いぜ? 俺たちの陛下は」
コンラートの言葉を聞き、ローゼの兄は眉間にしわを寄せた。
「むしろ、貴国の王には我々側から文句を言いたいところだ。
先日、そこの娘が手引きした疑いは晴れていない上に、連れてきた将軍が我が国を混乱させた挙句、脅迫したなど……」
「ああ、言いたいことはあるだろうさ。国際問題になるかもしれない。
けれど、そんな心配はしなくていいんだ」
「なに?」
「知ってるか?
上には、上がいるってことだよ」
コンラートが言った、その時だった。
「……ああ、そこの青年の……言う通りだ」
しわがれた声と共に、かつ、かつと杖を突く音が聞こえてくる。
シェリルを含め、コンラート以外のすべての者の視線が、玉座が安置されている場所に向けられた。玉座の奥の幕が開き、そこから数人の人影が現れる。
そのなかにはジークとヒルダもいたが、シェリルは中央の人物に目が奪われた。
この二年、ずっとお会いすることができなかった人物だ。記憶にあるよりも遥かに皺が増え、げっそりと頬がこけている。身体もやせ細り、骨が浮き上がっているところもあった。
「……アネモネ王国第6代国王……ルーゲン・アネモネ、しかと話を聞かせてもらった」




