18話 舞台の幕開け
披露宴では、どよめきが広がっていた。
ひそひそと囁き合う声が、あちらこちらで聞こえている。
ローゼ・アネモネ王太子妃は動揺を気にすることなく、会場いっぱいに話を続けた。
「この証文通り、シェリル・ネザーランドは婚約を破棄し、元婚約者であるブルータス・ウォルパートと一緒になることになりました。
代わりに、フランベルク王国のコンラート・ライラプス様は、新たに私の妹、リリー・ブロッサム男爵令嬢と婚約を決定しましたわ」
ローゼが宣言すると、アネモネ側の貴族たちからは歓声と悲しみの声が上がった。
「おめでとうございます、リリー様!」
「くそ、俺たちの麗しのリリー様が、獣人に嫁ぐなんて……!」
「でも、あなたが幸せなら問題なしです! リリーさま!!」
だいたいこんな感じだ。
対して、おかしいと首を傾げるのは異国から招待された者たちだった。
「失礼だが、お聞きしてよろしいか?」
隣国の王が発言の許可を求める。
セドリックが了承すると、王は不快そうに眉間にしわを寄せながら、疑念を口にした。
「リリー様はともかく、本人たちの姿が見当たりません」
そうだ、そうだと招待客たちは頷いた。
「ネザーランド家の令嬢も当主もいませんし、改めて婚約し直したとされる者も見当たりません。
フランベルク王国に関しては、守護騎士たちどころか、ジーク国王すら参列しておりませんが?」
「フランベルク側は、当人が恥ずかしがって出てこないとの報告を受けている」
セドリックがきっぱりと言い放った。
「先日は大々的に婚約を発表した手前、この場に来ると考えるだけで、婚約破棄された悲しみと憎しみを思い出してしまうらしい。
ただ、当人は乗り気だと聞いている。
悲しみのなか、リリー嬢が差し伸べた救いの手に心を奪われ、婚約をし直したそうだ」
「ネザーランド家の者も、恥ずかしがって出てこないと報告を受けてます」
ローゼがセドリックの言葉を付け足すように口にする。
あまりに堂々と言うので、招待客は「そうなのか」と頷いてしまいそうになった。
「それに、シェリルの証文もありますわ」
ローゼは目配せすると、侍女が紙を広げた。
そこには、婚約を改める旨と彼女の手形が捺されている。
証拠があるならば、あまりに不自然でも黙り込むしかない。
下手に突いて、国同士の関係が悪化するのも避けたい。招待客たちも一様に口を閉ざした。
ローゼは彼らを見渡すと勝利の笑みを扇子で隠し、セドリックに寄り添った。
「では、今日の宴を楽しんでくださいな。
私たちの結婚と、リリーの門出を!」
ローゼの声が高らかに広間一杯に響き渡った、その時だった。
「「ちょっと待った――ッ!」」
コンラートがシェリルを抱きかかながら、扉を蹴破る勢いで飛び込んできた。寸前まで狼の姿だっただけに、金色の尻尾が残っている。
今度は招待客だけでなく、アネモネ王国の貴族たちにも衝撃が走った。
「アネモネ王太子妃。これはどういうことか、説明してもらおう」
尻尾が消え失せるより前に、コンラートはローゼを鋭く睨み付ける。
半狼の状態で飛び込んできたのに加え、シェリルは肩に布が巻かれている。しかも、薄らと血が滲んでいた。結い上げられていた髪も乱れ、ドレスの裾は破れ、おまけに裸足であった。
「説明してもらおうとは?」
ローゼは少し動揺したようだったが、平静を保っていた。
「俺の婚約者がリコリスの離宮へ攫われたと聞き、助け出して戻って来ました」
「攫われた、だと?」
ざわめきが波紋のように広がっていく。
あのセドリックでさえ、愕然と目を見開いていた。ローゼとリリーも口に手を当て驚いたふりをしているが、セドリックは本気で驚いているように見える。
シェリルはセドリックをまっすぐ見据え、訴えるように話し始めた。
「セドリック様。私は三日前、ローゼ様に『婚約を破棄しろ。さもなくば、家族を酷い目にあわせる』と脅されました!」
「そんなこと、ありえませんわ!」
ローゼが素早く否定する。
シェリルはそれに気を止めることなく、訴え続けた。
「今日は朝早くに呼び出され、再度念を押すように脅されました。
私がそれを断ると――」
「セドリック様。私は脅すようなことはしておりません!」
「茶に毒を盛り、離宮に連れ込まれ、牢獄に入れられました。
脱獄はしましたが、そのあと肩を切られ、なんとか馬に乗って逃げだしたら、厩の馬すべてに毒が盛られていたらしく、危うく死ぬところでした」
「なんだと!?」
ローゼが反論する前に、セドリックが叫んだ。
「馬に、毒を……!?」
「はい。コンラート様が助けてくださらなければ、私は落馬していたことでしょう」
シェリルはセドリックだけを見て言葉を重ねた。
先ほどの様子からして、セドリックはシェリルの様子を知らなかった。
「セドリック様。私がこの場にいないことを不自然に思わなかったのですか?」
「それは、屋敷から恥ずかしがって出てこれないと……聞いていた」
ここで、セドリックは狼狽えるようにローゼを見た。あからさまに動揺する王太子に対し、ローゼはすんっと表情を取り繕っていた。
「私も同じです」
「では、誰からお聞きになったのでしょう?」
「私は……」
「ブルータスから聞きました」
セドリックが答える前に、ローゼが断定する。
「ブルータスが今日の朝、城に招かれた時に、今回の婚約について話しに来たのです。
あまり考えたくないことですが……」
ここで、ローゼは悲しそうな顔を作った。扇子で口元を隠しながら、目線を下に向ける。そして、か細く震える声でこんな話を続けた。
「ブルータス君は……リリーと結婚するのが嫌で……シェリルを攫ったのでしょう」
「いやいや、王太子妃様。そいつはおかしいでしょうが」
コンラートが呆れたように言った。
「ブルータスとやらは言ってましたよ。『ローゼ様から離宮へ絨毯を運ぶように言われた』と。その絨毯に、シェリル嬢が包まれていたと知らずに」
「そんなこと頼んでいませんわ! ねぇ、皆さん。私の部屋に、ブルータス君は来ていませんよね」
ローゼは自分の近衛に話を振る。近衛たちは躊躇うことなく頷いた。
「離宮の警備体制について、しっかり検討しなくてはなりませんわ。
まさか、ブルータス君が、そんなことをするだなんて……」
どうやら、分が悪いと悟ったのだろう。すべての責任をブルータスに押し付ける気らしい。
シェリルは少し考えた後、切り口を変えることにした。
「分かりました。ブルータスには後で話を聞くとして、その証文は……」
と、ここで、シェリルはローゼが抓んでいる紙に視線を走らせた。
「私は自分で捺した覚えがありません。つまり、ブルータスが私に無理やり捺させた、もしくは、第三者が捺したということになります。
無理やり強いた婚約破棄を……セドリック様はお認めになられますか?」
「まさか!」
セドリックが反射的に答えた。
ローゼも口を開きかけていたが、セドリックの方が半歩速かった。
「当人たちの意思が大事だ」
「そうですよね。セドリック様がローゼ様と婚約されたのも、本人たちの合意ですから」
少し嫌味を込めて言ったつもりだったが、セドリックは大仰にうなずいている。
「と、いうことで、私とコンラート様との婚約は続行。そうですね?」
「ああ、もちろ――」
「無効ですわ!」
セドリックの言葉を打ち消すように、リリーが叫んでいた。
「私がライラプス将軍の婚約者です。彼女が無理やり破棄されたことに関しては、非常に申し訳なく、大変胸が痛みますが……でも、彼はいま私の婚約者です。それだけは、譲れません!」
「……あんた、なに言ってるんだ?」
コンラートはリリーを睨み付けた。
「俺はあんたと婚約するって話を、これっぽっちも聞いていない」
「で、ですが、今日のお茶の席で……」
「確かに、あんたと茶を飲んだ。陛下と一緒にな。だが、俺はシェリル嬢の婚約者だと念を押したはずだ。
それが終わってから、俺は彼女が攫われたことに気付いて、離宮まで走って戻って来た。……だが、もし……本当に婚約が破棄され、俺が知らない間に、あんたと婚約が結ばれていたのであれば……」
シェリルはコンラートが抱く腕に力を込めるのを感じた。
ぎゅっと押し寄せられ、こんな緊迫した状況だというのに顔が熱くなり始める。リリーも顔を赤らめていたが、こちらは眉間にしわを寄せた怒りの色が強かった。
「リリー・ブロッサムとの婚約を破棄し、俺は本来の婚約者、シェリル・ネザーランド嬢と婚約を結び直す!」
コンラートは吼えるように力強く宣言した。
コンラートの気迫に押され、リリーはよろよろと後退する。ローゼはそんな彼女を支えることもせず、すぐにシェリル達に視線を戻してきた。
「……分かりました。リリーには可哀そうですが、新たな婚約者を探すとしましょう」
ローゼはまるで話を切り上げるかのように言い放ったので、シェリルは話題を戻すことにした。
「では、彼女はブルータスと婚約するということですよね?
それにしても、ブルータスの姿が見当たりませんが?」
「何を馬鹿なことを」
ローゼは呆れたように頭を振った。
「ブルータスは貴方を攫った大悪人ですよ? そんな悪人と婚約させると思います?」
「え? 私は先ほど、貴方に脅迫された挙句、毒を盛られて拉致監禁されたと……言いましたよね?」
シェリルは確認するように周囲を見渡した。
貴族たちも来賓たちも口を閉ざしていたが、何人かが頷いている。ブルータスに全責任を押し付けるつもりだろうが、そのようなことさせるわけにはいかない。
「だから言ったでしょう? 私は脅迫などしていませんし、すべてブルータスが仕組んだことです」
「では、なぜ? なぜ彼は、離宮を味方につけられたのでしょう? 私に矢を放ってきた兵士もいましたし、そもそも離宮の馬全頭に毒を盛ることが、果たして一貴族にすぎない彼に出来たのでしょうか?」
むしろ、王太子妃の方が手を廻せたのでは?
そのように訴えかけると、来賓の者たちは王太子妃に疑念の目を向けた。
ところが、である。
「インチキだ!」
一人の貴族が叫んだ。
「ローゼ様がそのような下劣な真似をするわけないだろう?」
「そうだそうだ! この王国の王太子妃様なんだぞ!?」
「嘘つきネザーランドの妄言だ!」
ローゼ親派の貴族たちが口々に叫び出した。
すべて妄言と返す時点で、底が知れている。だが、群衆というのは恐ろしいもので、声が大きくなればなるほど、まるで会場にいる者たちすべてが、ローゼを庇い、シェリルを非難しているような空気になり始めていた。
「大丈夫だ、シェリル嬢」
コンラートが耳元で囁いてくる。
「そろそろ時間だ」
「時間って?」
シェリルが聞き返した時だった。
大扉が開き、誰かがこそこそ入ってくるのが見える。
その人物は広場の熱気に圧倒され、すぐさま廊下に引き戻ろうとしていたが、ここで逃すわけにはいかない。
シェリルは一際声を高めて、その人物を指さした。




