13話 覚悟
『えいっ、やあ』
5歳のシェリルは地面を踏み込むと、幼い兄に木剣を叩きつけた。
当然、ケイオスも受けて立つが、彼の剣はあっけなく宙を舞い、ことんと庭に落ちた。
『兄様! これで私の勝ちです!』
『いや、さすがだ。どんどん強くなっていくな』
それだけ言うと、兄はぺたんと座り込む。
シェリルは心配になって剣を放り投げると、兄へ駆け寄った。
『兄様? 大丈夫ですか?』
『隙あり!』
しかし、シェリルが近づいたところで、兄は木剣を素早く拾うと襲いかかって来た。シェリルが転がるように躱し、自身の木剣をつかむと、ケイオスは降参と両手を挙げた。
『兄様……?』
『今度は負けだよ。完敗』
シェリルが警戒するように近づくと、ケイオスは苦笑いをした。
『まったく、シェリル。悔しいけど、強くなったな』
『このまま連戦連勝で、サーシャ姉様も守るのです!』
えへん、とシェリルは胸を張る。
父も母も「シェリルがサーシャを護るのよ」と言ってくれた。もともと剣の鍛錬が好きで、それを後押しするように言われたものだから、とっても嬉しくて誇らしかった。
『ふふ、ありがとう、シェリル』
シェリルが兄に自慢していると、後ろから大好きな姉の声が聞こえた。
シェリルは、ぱあっと顔を輝かせる。
艶やかな林檎色の髪を優雅に結い上げた令嬢が、静かに微笑んでいた。
『姉様! お帰りなさいませ!』
『サーシャ、今日は早かったね。王妃様との勉強会だと思ったけど』
シェリルもケイオスも姉へ駆け寄った。
『いいえ。今日は殿下とお茶を飲みながら、絵本を読んだだけ。有意義な時間だったわ』
サーシャは二人を微笑ましく言うと、こっそり鞄から包みを取り出した。
いかにも上等な包みを開けると、黄金色の焼き菓子が鎮座している。高級な甘い香りに、シェリルと兄の頬は更に緩んだ。
『あまったから包んでもらったの』
『サーシャ、いいのか!?』
『いいのよ、殿下の許可を貰ったもの。そうだ、シェリル。セドリック様が剣の相手に来いって』
『はい、喜んで!』
シェリルは元気よく頷いた。
未来の義兄はケイオスより遥かに強い。彼とは稽古のし甲斐があった。そんな妹の姿を見て、ケイオスはやれやれと首を横に振る。
『シェリル。剣の稽古だけじゃなくて、礼儀作法の勉強もしろ。お前は伯爵家の令嬢だぞ?』
『もちろんやってます。午前中はびっしり勉強しました。兄様だって、午前中は勉強をしていたのでしょう? でしたら、午後はしっかり身体を動かさないと』
『それは、そうかもしれないが……』
『まあまあ、そこまでにしなさい。二人ともしっかり身体を動かしたようだから、お休みしたら? そうね、天気だし、庭でお茶をしましょう。マルゲリータ、用意して』
『ええ、かしこまりました』
侍女が静かに頷くと、お茶の支度をし始める。
サーシャはにこやかに微笑むと、二人の間に腰を下ろした。
『三人とも楽しそうですね』
そんな三人の元に、幸せそうに微笑んだ両親が姿を現す。
自分たち三兄妹と同じ赤髪をした母に空色の瞳の父がゆっくりと歩いてくる。両親の姿を見ると、兄が少し不安そうに顔を歪めた。
『母上、体調はよろしいのですか?』
『大丈夫よ、今日は調子がいいの』
『なにをいうか。さっきまで横になったまま動けなかったではないか』
父が窘めるように言ったが、柔らかく慈愛に満ちた表情をしている。そんな夫を見て、青白い顔の母は幸せそうに微笑んだ。
『天気が良いのよ? 家族そろってお茶をするには絶好の日和だわ』
『あ、母様。サーシャ姉様と同じこと言ってる!』
『そうよ。だって親子だもの』
母とサーシャはころころと鈴が鳴るように笑った。
『むー、シェリルも母様の子だもん!』
『ぼ、僕だって、母さんたちの子どもです!』
『はいはい、そうね』
母はそう言いながら、大きく膨らんだ腹を擦る。
『貴方たちの弟か妹が増えるのよ。ケイオス、サーシャ、シェリル。この子をお願いね』
『次期当主として、家族の面倒を見るのは当然です』
『もちろんです。家族ですもの。私が王家に嫁いでも、幸せに過ごせるような国造りをします』
『わ、私もしっかり守ります! 大事な家族を、この剣にかけて!』
シェリル達が言うと、母は頬を緩める。
『そうね、三人とも……よろしく頼んだわ。私たちは家族だもの。家族みんなが幸せに暮らせるように、たとえ逆境でも支え合い、助け合いながら生きてくのですよ』
ああ、とっても幸せな過去。
「……」
シェリルは目を開けた。
かちこちと時計の鳴る音、そして心臓の鼓動が大きく響いている。
ローゼが立ち去ったあの瞬間から、幼き日の記憶が脳裏から離れない。
思い返せば、あれが一番幸せな頃だった。
あのすぐ後、身体の弱い母は病をこじらせて死んだ。
母が死んだから、お腹の弟か妹も死んだ。
母の言葉は遺言のように耳に残り、シェリルたち兄妹は家族のために働いた。
ケイオスは次期当主として。
サーシャは未来の王妃として。
そして、シェリルはサーシャを守護する騎士として。
「シェリルお嬢様。そろそろお支度を」
マルゲリータが言葉をかけてくる。
「……ええ、分かってるわ」
シェリルは立ち上がった。
ローゼの提案を受けてから、あっさり二日が経過してしまった。
絶対的に拒みたい。
これ以上、ローゼの操り人形にはなりたくない。この二年間、虐め抜かれ胸が抉られるように辛かった。友人も婚約者も何もかも、ローゼに奪われた。
だから、彼だけは絶対に渡さない。
そう決意していただけに、もう一つの大事なものを秤にかけられる。
「お嬢様……」
マルゲリータは化粧道具を出しながら、不安そうに見上げてくる。
彼女や伯母には何があったか話していない。口を割ったが最後、彼女たちは
『気にしないで嫁ぎなさい』
と答えるに決まっている。
自分たちは良いから、貴方は幸せになりなさいと。
その答えが分かっているから、さらに胸が痛むのだ。これで無関心を貫いてくれるような人たちなら、どれほど良かったのだろうか。
「……」
格子窓から空を見る。
今日も立派な鷲が止まっていた。シェリルが目を向けると、羽ばたいて旋風を巻き起こし、どこまでも青すぎる空へと飛翔する。
あの鳥のように大空へ逃げられたいいのに。
「いいえ、違う」
シェリルは呟いた。
コンラートの元の姿は、シェリルが乗れるほどの狼だと聞いた。
きっと彼の髪のような黄金に輝く狼なのだろう。その背に乗って、どこか遠くへ逃げ出したい。家族みんなは馬に乗せて。王都を越え、草原を越え、海を越えて――……しがらみのない世界へ。
「お嬢様?」
マルゲリータが不安そうに顔を覗き込んでくる。
「やっぱり、ローゼに何か言われたのですね。
お話しくださいませ、私は味方です」
「マルゲリータ」
「おかしいですよ。お嬢様だけ、こんな朝早く登城させるだなんて」
シェリルは兄と一緒に招待されている。
ネザーランド伯爵家の当主と妹として。形的には、兄にエスコートされる感じで披露宴に参加することになっていた。
その兄は夕方に、妹は朝から城で用事があると呼び出しをされている。
なにかあると疑わない方がおかしい。
「やっぱり、ライラプス様達に一言入れた方が……」
「それは駄目」
シェリルは考えるより先に言い放っていた。
「あの人に迷惑は、絶対かけたくない」
「ですが……」
「それに、この家にも迷惑はかけたくない」
そう、どっちにも迷惑をかけたくない。
どちらも大切で、どちらも手放したくない。
いっそ両方と逃げればいいが、それは夢のまた夢。現実はそこまで甘くない。まだ伯爵家には領土がある。自分たちの命惜しさに領民を見捨てるなんて、末代までの恥だ。獣国で新たに領地を貰っても、領民はなかなか心を開いてくれないだろう。
そうと決まれば、とるべき行動は一つだ。
「マルゲリータ、私は決めたわ」
シェリルの眼に、迷いは欠片も浮かんでいなかった。
自分の道は、自分で決める。
これ以上、我慢なんかしてられない。
次回は10月6日16時に投稿を予定しています。




