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10話 色彩


「お忍びで降りてきたけど、再会できるとは思ってなかったわ。

 久しぶり、シェリル。元気そうで良かった」


 ローゼは艶美に微笑むと、ヒールを鳴らしながら近づいてきた。


 数日そばを離れていたが、やはり彼女は群を抜いて美しい。

 ぱっちりした二重瞼、誰もが吸い寄せられる夜色の瞳、ぷっくりとした唇には薄らルージュが引かれており、黒く艶やかな髪はゆったりと下ろされ、色白い肌を浮き立たせている。

 シェリルと同じ町娘風の衣装なのに、彼女は遥かに良家のお嬢様らしさを醸し出していた。


(完敗だ)


 シェリルは立ち竦んでしまった。

 騎士の教育を受けた者として、没落しても伯爵令嬢として、毅然とした態度を取らないといけないのに、身体がすくんで動けなかった。


 シェリルは理解した。

 自分は、ローゼに何一つ勝てない。

 道行く男たちの視線はローゼに釘付けで、たまにシェリルに向けられても鼻で笑われる。


「ごめんなさいね、貴女のことを誤解していたの。

 ちょっと冷たくしたこともあったけど、本当に申し訳なかったわ。貴女があのような残虐非道なことをするわけがないって、よく考えればわかることなのに……」


 初見の人が聞けば、心からの謝罪の言葉のように感じるだろう。

 だが、二年間、自分を虐めてきた相手が、ころっと手のひらを返してくるわけがない。

 シェリルは答えることができず黙っていると、ローゼは愛らしい声で話を続けた。

 

「ありがとうございました。貴方がシェリルを助けてくださらなければ、無実の者を投獄していましたわ。きっと、私の力を用いても、シェリルを助けることはできなかったでしょう」


 コンラートに向かって。


「ライラプス将軍でしたわよね? 貴方の勇敢さには感服いたしましたわ」


 その言葉を耳にした瞬間、シェリルは頭からつま先にかけて、血の気が引いていくのを感じた。

 ローゼはコンラートを奪いに来ている。

 おそらくは、シェリルを貶めるため。

 虐めていた玩具(シェリル)が幸せになることを阻止しに来たのだ。


「王太子妃に礼を言われるとは、恐悦至極です」


 コンラートは言葉を返す。

 シェリルは彼の顔を見られなかった。


 シェリルは自分の身体が震えていることに気付いた。

 今この瞬間、コンラートの好いてくれた条件が一つも当てはまっていない。シェリルの瞳は怯えの色を隠せないし、凛々しさなんて皆無。笑顔だって、ローゼに完敗していた。


「私は、お礼をしようと思っていたのです。ここから少し行った場所に、城の料理長が引退した後に始めたお店があります。そちらへ行きましょう。

 もちろん、シェリルも同伴で構いませんよ」


 ローゼは言う。

 文面だけ見れば、別におかしな点はない。シェリルを想う優しい元主人だ。

 けれど、シェリルには分かっていた。

 「シェリルがいても、私なら男を簡単に奪い取ることができる」ということなのだ。

 むしろ、ローゼは負け犬(シェリル)を隣に置いて、自身と比較させることで、より素晴らしさを相手に見せつけようという魂胆に違いない。


「シェリルもいいわよね」

「それは……」


 嫌だ。

 その言葉が喉まで上ってくる。

 もう主従関係なんてないのだから、言い返してやればいいのだ。「この人だけは、貴方に盗らせない」と。簡単な言葉なのに、心が塞き止めてしまう。

 近衛を辞めたとはいえ、下手に言い返したら、やっぱり大切な兄に被害が及んでしまう気がして。

 それでも、なんとか言い返したところで、コンラートの心がローゼに奪われてしまったら、何も意味がない。

 シェリルが黙っていると、ローゼは鈴が鳴るような声で追い打ちをかけてくる。


「それに、今日の私の護衛はブルータス君よ。シェリルの元婚約者(・・・・)。シェリルたちは本当に仲が良かったわよね。一緒に剣の稽古をする姿が微笑ましいって、社交の場で話題だったのよ」


 ずるい。

 シェリルは拳を握りしめた。

 現婚約者の前に、既に陥落済みの元婚約者を引っ張り出してくるなんて、酷い仕打ちだ。

 きっと、コンラートも良い思いはしない。むしろ、自分の目の前に彼の婚約者だった人が来たら、しかも、仲が良かったとか言われたら、きっと冷静ではいられない。


 シェリルの株は、下がる一方だ。


 獣国の益を考えても、ローゼと繋がる方が良い。

 没落貴族の娘より、王太子妃だ。


「そうですね」


 コンラートの声が遠くで聞こえる。

  

 これで終わり。

 幸せだった時間は終わり。

 コンラートもローゼの味方になってしまうのだろう。けれど、挽回する方法など思いつかなかった。

 今のシェリルは、騎士として培っていた尊厳の欠片もない、ただの没落令嬢だ。

 相手は完全無欠最強の美女であり、誰もがひれ伏す王太子妃。自分は竜の前に放り出された兎だ。それも、自慢の足をもがれ、逃げることを禁じられている。


 シェリルの世界から温度と共に色彩が失われていく。

 いまは、すべてが灰色に見えた。次に出される彼の一言で、シェリルは絶望の海に叩き落とされる。身体をずたずたに壊すような、荒波の中へ。


 シェリルは覚悟を決めるように、ぎゅっと目を瞑った。


「お断りをします」


 ところが、予想外の言葉が聞こえてきた。

 温かく力強い手が、シェリルの肩にぽんっと乗せられる。シェリルは瞬きをした。嘘かと思って顔を上げると、コンラートは「安心しろ」と言わんばかりの笑みを向けてきてくれた。


「え?」


 ローゼの眼が点になる。シェリルは、彼女のそんな表情を初めて見た。

 しかし、呆気にとられたのは一瞬で、ローゼは扇子で口元を覆うと、上目遣いで問いかけてきた。


「……なぜ、お断りされたのか、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?

 私は貴方の武勇伝をお聞きしたいのです」

「なに、とても簡単な理由ですよ」


 コンラートはシェリルの手を握った。 


「俺が、シェリル嬢の人生初デートを独り占めしたいので」


 コンラートは毅然とした声で言い放つ。

 その確固とした声にローゼが怯んだ。その隙をつくように、コンラートは、シェリルを連れて彼女たちの横を通り抜ける。


 コンラートは進む。

 中央広場を抜けて、2つほど向こう側の大通りに出たとき、彼はやっと止まった。


「さすがに、あの騒ぎじゃ中央広場で買い食いってわけには行かないから、こっちまで来たが……すまない、シェリル嬢。他に何かしたいことは――」

「なんで、断ったんですか?」


 シェリルは、ずっと抱いていた疑念を問う。


「どうして、ローゼの誘いを? あの人は王太子妃なのに」

「好いた女とデートしてるってのに、別の女を介入させる男がいるか?

 ましては、貴方の人生初デートだ。台無しにできるわけないだろ」


 コンラートは当然のように口にする。


「そんなこと、言いましたっけ?」

「あれ、違ったのか? 誘われたことがないって言ってたから、ないものだとばかり思ってたが」

「デートなんて、初めてです」


 シェリルは思い出す。

 ブルータスとは、デートも何もなかった。剣の相手をしていただけだ。彼の前で着飾ったのは、ブルータス社交デビューの日だけである。

 シェリルが説明しようとすると、コンラートは制するように話し始めた。


「あの男の顔、見たか? 最初から最後まで、ずっと間抜けた顔してたぜ。

 きっと、今さらになって、貴方の魅力に気づいたんだ」


 コンラートはその時のことを思い出したのか、噴き出すように笑った。

 シェリルはぽかんと見上げることしかできない。コンラートはシェリルを見つめると、空いている方の手で肩に軽く手を乗せてきた。


「だいたい、あの女は貴方に不当な仕打ちをしていたじゃないか。そんな奴に尻尾を振るように見えるか?」


 違うだろ? と彼は目を緩める。

 鋭い黄色の瞳は柔らかく、とても慈愛に満ちていた。

 シェリルはそんな彼を見上げながら、ここで、やっと気づいた。灰色だった世界に、黄色が芽生えている。一度気付くと、そこからは草原の花が一気に開花するように、赤や青、さまざまな色彩が次々と世界に広がり始める。


「私……」

 

 心臓が脈を打つ。

 世界で自分が一番熱いのではないか、と思ってしまうくらい、熱くて苦しい。けれど、その苦しさは決して辛くなくて、嬉しい気持ちが胸内で渦巻いている。

 色彩が戻った視界も潤み始め、騎士時代に培った理性が総動員して止めにかかっているのに、決壊寸前だ。


「……ありがとう、ございます」


 やっとの思いで絞り出した言葉と共に、一筋の冷たい何かが零れた。泣いては駄目だと思っているのに、声は涙声で、まったくもって見苦しい。


「私……また、あの女に、盗られるのかなって。それが、とっても、嫌で」


 姉、父、友だち、元婚約者、地位、そして、やっと出来た好きな人まで盗られるのが、ずっと怖くてたまらなかった。


「……大丈夫だ」


 コンラートの手がシェリルの背中に移った。何をするのかシェリルが身構えると、そのまま抱き込むように、彼の胸に押し付けられた。大きく脈打つ鼓動が間近で聞こえる。


「安心しろ。俺は貴方から離れない。約束する。

 おっと、礼はいらないぜ。当然のことだから」

「……ありがとう」


 それでも、シェリルは礼を口にする。

 シェリルには、当たり前のことではなかった。そのことを伝えたくて、ありがとうと言葉に出した。

 彼もそのことを理解してくれのか、何も言わない。シェリルの震える背中を、ぽんぽんとあやすように叩いてくれる。


「…………落ち着いたか?」

「……はい」


 シェリルの声は、もう震えていなかった。

 それを聞いて安心したのか、彼はシェリルの背中から手を外す。ここで初めて、シェリルは彼の表情を見た。悪戯っぽく笑いながら、顔を今までにないくらい紅潮させている。


「あー、それで提案なんだが、ここから少し離れたところで、おすすめの場所はあるか?」


 コンラートはちらりと視線を逸らす。

 ここではじめて、シェリルは状況を理解した。周囲を通り過ぎる人たちが、やけに温かい顔を向けている。

 シェリルは湯気が出るくらい耳の先まで赤らめた。


「も、もう2つ向こうの通りに、雑貨屋や武器屋が並んでいます。そこへ行きませんか?」

「分かった。行こうか」


 コンラートは歩き始める。

 シェリルも続けて歩き始め、手を握られていることを思い出す。


「ん? どうした?」

「……いいえ、何でもありません」


 シェリルは笑った。

 花が咲き綻ぶように、ふわりと笑った。


 この繋がりを解きたくなくて、もう少しだけこのままが良いなと。









次回更新は10月3日17時を予定しています。


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