1話 とある近衛兵の憂鬱
「ローゼ。愛してる」
金髪の青年は甘い声色を出すと、少女の白い手を握った。
青年も彫刻のように整った身体の美丈夫だったが、少女は彼を上回るほど美しい。色白の肌に大きな黒い瞳。小柄な顔を際立たせるように、艶やかな黒髪を垂らしている。
「うふふ、私もですわ。セドリック様のことを愛しております」
ローゼは鈴のように笑うと、青年の指を握り返した。
セドリックは彼女に蕩けた視線を向けると愛の言葉を囁いた。
「私は君と出会えてよかった。
真実の愛を知ることができたのだから」
ローゼは彼の言葉を嬉しそうに受け止めると、目元を緩ませる。
「私もですわ。セドリック様」
「ああ、ローゼ」
「セドリック様……」
こんなやり取りが、王宮の庭のほとりで繰り広げられていた。
色彩豊かな花畑に建てられた東屋に、王国屈指の美男美女が談笑する。その姿は御伽噺のワンシーンのようで、一枚の絵画のようでもあった。
ああ、絵画であればどれほど良かったことだろう。
平日の昼間から庭で談笑だなんて、暇を持て余した貴婦人のようだ。だが、これが連日休みを置かず続いているものだから呆れてしまう。
(これが未来の国王夫婦になるんだから、アネモネ王国の未来が心配ね)
シェリル・ネザーランドは表情に出さず、心の内で嘆息した。
セドリックは一年前に兄が薨御したことを受け、王太子になったばかりだ。まだまだ王としての教育を受けなければならず、王太子としての公務もある。
ローゼも王妃教育の時間があるはずなのに、それを放って逢瀬を楽しんでいる。
自らの運命に背を向け、愛を語り合う未来の国王夫妻を見ているのも辛い。
しかし、シェリルはローゼ付きの近衛騎士なので、強制的に愛を囁き合う二人を見続けなければいけなかった。
(どこから狂ったんだろう?)
シェリルは過去を想起する。
ローゼは王妃になるどころか、王族の妻になれるような人物ではなかった。
ブロッサム男爵令嬢という地位は正妃に不釣り合いだったし、彼女の兄は叩けば埃が出るような野心家。
彼女を王族に招き入れたが最後、彼女の兄が外戚として国政に深く介入することは明白である。まして、ローゼが正妃になってしまった暁には、彼女が産んだ未来の王を手中におさめて、政治を牛耳るには目に見えていた。
しかし、二年と半年前、セドリックの兄……つまり、本来の王太子の薨御で全てが変わった。
愛を囁く二人を心を殺して眺めながら、シェリルは平穏だった日々を思い起こした。
兄の薨御で、セドリックは王太子になった。
セドリックは最初こそ「王になれる!」と喜んでいたが、次第に彼の顔は曇っていった。
「シェリル。話を聞いてくれないか」
彼が王太子になってから、一か月ほど経ったある日。彼は久しぶりに話しかけてきたのである。
セドリックとシェリルは「未来の義兄妹」だ。
彼の兄とシェリルの姉が婚約をしていたからだ。
シェリルの姉 サーシャは義弟のセドリックを深く愛し、彼も優しい義姉を慕っていた。その関係からシェリルもセドリックとは剣の稽古をするくらい仲が良かった。
だから、幼馴染の青ざめて座り込む姿を見て、シェリルはぎょっとした。記憶にあるよりも一回り痩せ、頬もこけているように見える。
しかし、そのことを問う前に、セドリックは失望したような声を出した。
「君の姉上との婚姻が正式に決まった」
シェリルは驚いた後、少し首を傾げながら祝福の言葉を口にする。
「それは……おめでとうございます」
別に不自然なことではない。
セドリックは王としての教育が不十分だ。
その補佐として、彼の兄の婚約者……つまり、王妃になる予定だった者を迎え入れるのは納得できた。新たに王妃教育をする時間と暇を考えれば、さもありなんと思える婚約である。
シェリルが困惑していると、セドリックの方も仰天したように目を丸くした。
「めでたい!? 私は、彼女のことを義姉としか思えないのだぞ!?」
セドリックは近くの椅子に座り込み、大きく息を吐いた。
「サーシャ様は素晴らしい御人だ。優しく慈愛に満ち、威厳だってある。義姉として尊敬できる人だが、愛せる自信がない。
私は……平民のように生きたいのだ。愛せる者同士と婚姻したい」
「愛する人は、側妃として迎え入れてはどうです?」
「駄目だ! それは浮気になる!
平民で側妃を囲っている人はいるか!? いないだろう?」
シェリルは「いや、商人とかは妾を囲ってるよ」と反論したかったが、セドリックのあまりの剣幕に圧倒され、何も言えなくなってしまった。
「シェリル。君は近衛騎士を志しているのだろう?」
「もちろん。私は姉を護りたいですから」
もともと、シェリルは剣の筋が良かった。
将来の王妃として国を支える重責を少しでも助けようと、彼女の近衛騎士になることを目指して、騎士学校に進学した。
数日後に控えた入隊に備え、準備を整えているところである。
「そこだ! 君には選択の自由がある。だが、私には……自由がない。あるのは、王への道だけだ」
「えっ? この間会ったときは
『スティーヴン兄上の遺志を継いで、立派な国にしてみせる!』
って、宣言していましたよね?」
「無論、私も最初は頑張ろうとしたさ。兄にできなかったことをしてみせるって。だが……」
セドリックは言葉を切ると、顔を俯かせた。
きっと、思った以上に教育が辛いのだろう。彼の兄は病弱だったが、未来の国王として威厳や人徳を兼ね備えていた。その兄と比較される重責もあるにちがいない。
「セドリックは、私に自由があると言ったけど」
シェリルは自身の赤毛を左手で触りながら、言葉を選んで話し始めた。
「私が剣の道に進むことを認められたのは、私はもちろん、父が『サーシャを護るように』と決めたからですよ。
姉上に万が一のことがあれば、王族の威厳を貶めることにも繋がってしまうのだから」
サーシャを狙う敵は多い。
王妃の座を狙うため、毒を盛ったり寝首を搔いたりするのはもちろん、近衛としての立場を利用した男が、サーシャの心を篭絡したり身籠らせたりといったスキャンダルを起こさせることも考えられる。
父はそのすべてをけん制できるように、誰よりも信用でき、もっとも剣の腕が良い身内の女性として、シェリルを抜擢したのだ。
父は、サーシャの王妃としての地位が盤石になるまで守らせるつもりなのである。
「私がパン屋になりたいとか花屋を開きたいとか頼んでも、父は首を縦に振らない。
私が親戚縁者、何代も我が家に仕える使用人を含めてもなお、剣に優れていなければ……この道に進めなかった」
シェリルは淡々と事実を述べる。
「それに、私にも婚約者がいます。
5つも年下です。手のかかる弟にしか見えませんが、貴族の婚姻って、そんなものですよ」
だから、自分には自由がない。
シェリルは彼の言葉を否定する。セドリックは言葉を返さない。シェリルは「少し言い過ぎただろうか?」と不安になった。
「父様や亡き母様は政略結婚でしたが、深く愛し合っていました。
国王夫妻も政治的な思惑の絡んだ結婚ですけど、いまでは仲睦まじい様子ではありませんか。
きっと、セドリック様とサーシャ姉様も――」
「うるさいっ!!」
セドリックは怒鳴った。
あまりにも唐突な怒声に、シェリルはびくっと退いてしまう。セドリックの顔は死人のように青ざめ、微かに震えているように見えた。
「サーシャ様は……あの女は、僕ではない。兄上を愛していたんだ」
「でも、姉様はセドリック様のことだって」
「愛してくれていた。だがそれは、義理の弟としてだ。それ以上もそれ以下でもない。僕は……いや、私は、あの人から愛されないし、いつまで経っても二番手の男だ。一番には、絶対になれない」
セドリックは息を荒げて、言葉をまくしたてる。
シェリルが言葉を返す前に、彼は椅子が壊れるほど乱暴に立ち上がると、
「邪魔したな、シェリル。近衛兵として、サーシャ様を護ってくれ」
それだけ言い残し、足早に去っていってしまった。
シェリルとセドリック。
未来の義兄妹として語り合ったのは、これが最後になってしまった。
それから半年後だった。
セドリックと会ったのは……
次回9月27日20時頃投稿予定です。