花火
深夜10時、家を飛び出した。
僕は限界だったのだ。
もちろん、受験期の勉強疲れもあったが、何より毎晩酒浸りになり暴走する母親に嫌気を起こしたことが原因であった。素面の時はとても優しく、過保護な一面もある母親である分、そのギャップが一層僕を苦しめた。
その日も母は飲みに出かけていた。いつまでこの状態が続くのか、まさか試験の日にも同じことをするつもりなのだろうか。そう考えると酷く空虚な気持ちに苛まれた。何もかもがどうでもよく思えた。どこかに逃げてしまいたかった。そして呆然とした僕に突如、一つのアイデアがひらめいた。
そうだ。
本当に逃げてしまえばいいのだ。
ふっきれた僕の行動は早かった。元来、僕は勢いで生きている人間である。花火をしないか、と言って友人を誘い、道連れにする相手を獲得した。彼は幼馴染で、中学まではずっと同じ学校に通っていた。人付き合いが苦手な僕にとっては数少ない気心の知れた人間のうちの1人だ。たまにこうして僕の誘いに乗ってくれていた。
待ち合わせ場所に向かう間、僕の思考は受け入れ難い現実に目を向けることなく、ただこれから起こることだけに集中していた。僕の胸はときめきでいっぱいだった。つまらない、型にはまった人生を送っていた僕には深夜に子どもだけで出歩くなんて不真面目な行動をとったことは1度もなかった。自分の知らない新しい世界に進出するような錯覚を覚えた。
彼と合流してから、コンビニで花火を買った。1軒目のコンビニでは売り切れていたためコンビニをはしごして手に入れた。店員の目を異常に気にしていることを彼にからかわれ、大口を叩いても根は小心者の自分を恥じた。すべてを捨てるようなつもりで家を出たはずなのに。
移動中、彼は僕のつまらない身の上話を相槌を挟みながら聴いてくれた。それだけで僕の心は救われた。彼の存在は、その時確かに僕を救った。
公園で花火や自宅から持ち寄ったものを広げた。祖父の仏壇から拝借したロウソクとチャッカマン、後始末用のバケツにゴミ袋。人の性格というものはすぐには変わらない。こんな時でも僕はやはり極度の心配性であった。
僕と彼だけで行う花火は背徳的で刺激的だった。この日に見た花火以上に美しいものは僕の人生においてこれからも現れることはないだろう。
僕らの他に誰もいない静かな公園には時々車の過ぎ去る音が聞こえた。彼が、音楽をかけたいと言い出した。周辺の住民からの苦情を懸念した僕は戸惑ったが結局は押し負けた。彼は僕が全く知らないバンドの曲を流し身体をゆすりながらしばらくは感傷に浸っていた。僕は音楽などとは無縁の存在であった。彼に向ける視線には羨望と少しの嫉妬が混ざっていることに自己嫌悪をしつつもこの時間がずっと続くことを願った。
現実は拍子抜けするほどあっけないものだった。携帯の電源を入れると大量の不在着信通知が溜まっていた。それを無視できるほど僕の心は強くない。緊張から手の震えが止まらなかった。折り返し電話をかけると呂律の回らない状態の母に勉強しろと怒鳴られ頭が真っ白になった。反射的に、お前にだけは言われたくないと言い返すと母はどもりながら言い訳をしていたが、とにかく早く家に帰るようにと言い電話を切った。僕はそれに逆らうことができなかった。
はやく大人になりたかった。やはり僕は逃げることなんてできなかった。僕の意思は一瞬でかき消されてしまった。これから起こるであろうことに対する不安やこれからも同じ日々を続けなければいけないのだという絶望。そんなものに僕の心は支配された。
彼は黙って 携帯を握りしめてうつむ僕を抱き寄せた。ためらいながらも彼の背中に手を伸ばすと緊張がやわらいだ気がした。