第5話 人間と、ゴブリンと、差別と
集会場で一夜を過ごしたレビンたちは、支度をして広場に集まっていた。
「すげー頭痛いんだけど……なんでだろ。身体もイテーし」
マックスが青い顔でスピーチ台に寄りかかっている。酒を飲みすぎたことも、ロキシーにぶっ飛ばされたことも覚えてないようだ。ちなみに、破壊された看板の残骸は、まだ片付けられていない。
「じ、じ、自業自得だよ、マッちゃん」
触手でマックスの背中をさすさすしながら、コットンが言った。
見かねたレビンが水筒の水を差し出す。
「おはようございます。今日はゴブリンのところに行くんですよね?」
一番最後に支度を終えたロキシーが、集会場から出てきた。相も変わらず、世の中のすべてが気に入らないような表情を浮かべている。
「おはよう。もちろん。ゴブリンからも話を聞かないとな」
「ろくなことにならないと思うのは、わたしだけでしょうか? どちらも和解する気は、さらさら無いみたいですよ。死人も出てますしね」
ロキシーが足裏で地面を軽くこすり、小さな砂埃を立てる。
「その原因が、ゴブリンだと決まったわけじゃない」
「ですかね?」
ロキシーは肩をすくめ、二日酔いに苦しむマックスをいじめることにしたのか、身体をつつき始めた。
マックスは、「やめれぇ!」と悲鳴をあげ、腕を振るってロキシーを追い払おうとする。しかし、その腕にいつもの馬鹿力は感じられない。
「よぉ、良い朝だな」
やれやれと思っているレビンに声がかかった。
トラベラーローブを羽織った男だ。金色の髪を刈り上げ、きれいに整えた髭を生やしている。昨日、広場でレビンと目が合った男だ。
「ロイドだ」
「あぁ、商人ギルドだな。レヴェニー・カシュトレスだ」
ロイドが手を差し出してきたので、レビンも握り返す。
レビンの名前を聞いたロイドは片方の眉を上げ、口笛を吹いた。レビンの顔をまじまじと見つめる青い瞳には、畏敬の念が宿っていた。
「あの『魔神殺しのレビン』に、お会いできて光栄だよ。いや、『赤き死神』と呼んだ方が良かったかな?」
レビンがいやそうに顔を歪めた。
「誰がそんな恥ずかしい名前を付けたんだ? おかしいな。俺の記憶じゃ、レヴェニー・カシュトレスの異名は『消耗品そのいち』だったはずだぜ」
レビンが軽口を叩くと、ロイドが口の端を持ち上げた。
「噂に聞くより、面白い奴だな」
勇者として働いていた時代のレビンは、限られた仲間としか行動せず、軍や部隊など集団に属することはあまりなかった。これはレビンだけでなく、他のSSSクラスの勇者にも言えた。彼ら能力と性格が型破りすぎて、集団行動に向かないのだ。
それゆえ、上位の勇者は噂がひとり歩きする。その強大な力ゆえに、異常者扱いされることも多い。ロイドのいう「噂」とやらが、どういうものなのかはわからないが、レビンにとってあまり面白くないことは確かだ。
「だろ? 本当は愉快な奴だって、広めといてくれ」
そう言いながらレビンは、ロイドを観察した。
際立って特徴のない男だ。トラベラーローブのせいで体格はわからないが、商人ギルドの人間にしてはがっしりしている。物を売り買いし、町から町へ馬車を走らせるだけの商人ギルドは、肥満体の者が多い。
周りを見渡せば、村のあちこちに商人ギルドの馬車が停車していた。その近くでは、商人ギルドの男たちが荷物を運ぶなどして忙しくしている。
「聞きたいことがあるんだが、あんたら商人ギルドは、カーダイン村と取引しているそうだな」
レビンの質問に、ロイドがうなずく。
「あぁ、ここからさらに南のベルプチーに行く途中で、たまたま通りかかってな。ちょっと、休憩させてもらうつもりだった。だが村長のじいさんと話してみると、どうも物資に困っているみたいだったんで、手助けしようと思った」
「レートは?」
ロイドが答えると、レビンが怪訝な顔をする。田舎の村で採れる野菜や家畜にしては、そこそこの値段が付いていた。
「商売上手の商人ギルドにしては、随分と心優しいやり方なんだな」
世界の経済を回す商人ギルドは、金勘定には厳しい。安く手に入れ、高く売りつけるのがモットーだ。レビンは、商人ギルドの〝知り合い″を思い出して、顔を歪めた。
「いやぁ、べつにこっちも慈善事業をしてる訳じゃないさ。ギルドの手を広げるには、こういった僻地を開拓しておくことが重要なんだな、これが。ここなら中継場を立てると、南のアクセスが楽になる」
秘密めかすように、ロイドはウインクした。
「商魂たくましいことで。――もうひとつ聞きたい。馬車が襲撃されたそうだが、襲ったのはゴブリンだったのか?」
ゴブリンの話を持ち出すと、ロイドの顔色が変わった。彼は困惑した表情でうなずく。
「あぁ、確かにゴブリンだった。あそこの山に住んでいるゴブリンかどうかはわからんが、この周辺にはゴブリンはあそこにしかいない」
「馬車の護衛はつけてたか?」
「もちろんだ。斡旋所の傭兵たちを護衛につけている。金を払う価値はあるよ。馬車が1台破壊されたが、死人も怪我人も出なかった」
レビンはもう一度馬車に視線を移した。働いているのは商人ギルドの男たちだけで、護衛の姿は見えなかった。離れた場所で守っているか、あるいは朝から一杯引っかけているのかもしれない。
「そうか。ありがとう。聞きたいことはそれだけだ」
「もしかして、今からゴブリンの住処に行くのか? SSSランクの勇者にかける言葉じゃないが、気をつけろよ。集団で卑怯な手を使って襲う奴らだ。あんたの寝首をかくのは、ドラゴンや吸血鬼じゃなくて、案外あいつらかもしれないぜ」
レビンの姿を見て、ロイドは首を傾げた。レビンは、昨日は身に着けていなかったレザーアーマーと剣を装着している。
集団で卑怯な手を使って襲う奴ら。ゴブリンの評価は、どこでだって悪い。気の良い奴もいるはずなのに、とレビンは哀れみを感じた。
「そうかもな。それじゃあ」
レビンはロイドに別れを告げ、「出発だ」と仲間たちに声をかけた。
*
レビンたちが山を登り始めると、すぐに動物の骨と皮でできた気味の悪い看板にぶち当たった。
看板には、
<ここは、われらゴブリンの山。無許可で侵入する不届き者は、生きたまま内臓を引きずり出す>
と汚い字で記されている。
「キュートですね」
「ひ、ひ、ひ、引きずり出されたくないよぉぉ」
ゴブリンたちの物騒な警告に、ロキシーが鼻を鳴らし、コットンが身体をブルブルと震わせた。
「お、やりぃ。おいしそうなキノコだ」
マックスはマイペースだ。四つん這いになって犬のように地面を掘り起こし、まだら模様のキノコを収穫していた。
レビンたちは警告を無視し、山を登り続ける。
すると、途中から何者かが見張っている気配を感じた。それも一人ではなく、複数だ。その正体は、この山に住むゴブリンたちで間違いないだろう。
木や草むらの陰に潜むゴブリンたちは、レビンたちの移動に合わせて位置を変えていった。しかし、誰も攻撃してはこない。
それも当然だろう。SSSランクの勇者に手を出せば、ゴブリンなど瞬殺されるのがオチだ。
「ボコボコにして良いですか?」
突き刺さる視線を煩わしそうにし、ロキシーは指を蠢かせた。
「やめろ。コットンとマックスも、何もするなよ」
レビンの言葉に、コットンたちは「はーい!」と素直に返事をする。
何もしてこないのなら、不用意に刺激しないほうが良い。レビンは背中の鞘に挿した剣へ意識を向ける。護身用だが、使わないことを祈った。
山道を歩き続けると、山の中腹というところに洞窟があった。
洞窟の入口の前には、村の広場でネルソンと言い争いをしていたゴブリンのリーダーがいた。その周りには、護衛として六匹のゴブリンが槍を構えている。槍の鋭い先は、レビンたちに油断なく向けられている。
「人間は文字が読めないのか? 無許可で侵入する者は、内臓を引きずり出すと書いてあっただろう」
ゴブリンのリーダーは腕を組み、皮肉気に言った。
「悪いね。それじゃあ、山に入ってもいいか?」
レビンが友好的な笑みを浮かべる。
「ふざけた奴だ」
レビンのいまさらな発言に、ゴブリンのリーダーは呻いた。それから乱暴に手招きして、レビンたちに洞窟へ入るよう促す。
レビンたちが洞窟へ進むと、護衛たちが槍の先を向けながら後に続いた。
*
ゴブリンの洞窟は湿度が高く、強い土の匂いがした。レビンたちは、洞窟の一番奥にある、広間のような場所に案内される。
広間は意外にも広く、木材を長方形にカットした粗雑で大きな机が左右対称に置かれていた。机の上に、片付けられていない食器があることから、ここは食堂なのかもしれない。
部屋の奥には、謁見の間にある王の椅子のように、骨と皮の椅子が置かれている。ゴブリンのリーダーはこれに座った。レビンたちが少し離れた位置に立ち、その周りを護衛が囲んだ。
「わたしは、首長のガシュアス。勇者よ、われらの土地に踏み入り、何の用だ?」
両目に宝石を入れた髑髏の肘掛けに腕を置き、ガシュアスは不機嫌そうに尋ねた。
「俺はレヴェニーだ。こっちは――」
「人間の名前なんてどうでも良い。みな、愚劣だ」
レビンが仲間を紹介しようとすると、ガシュアスは腕を振るって止めさせた。そう言うなら、とレビンは肩を竦め、本題に入る。
「カーダイン村とのトラブルについて、話を聞きたい」
「答える義理はない」
怒りで軋む声で、ガシュアスは拒絶した。予想の範囲だ。レビンがため息をつく。
「カーダイン村や商人ギルドの馬車を襲ったのは、おまえらなのか? もし違うなら、無実だと証明する必要がある。俺たちは、おまえらの助けになりたい。どうか話を聞かせてくれ」
「証明する必要はない」
レビンが柔和な態度で接しても、ガシュアスは心を開かなかった。
「今の状況がわかっているのか? このままじゃ、お互いにとんでもないことになるぞ。カーダイン村の人間たちと戦争でもしたいのか?」
声のトーンを落とし、レビンはガシュアスに向けて指を突き出した。
それに対して、ガシュアスは鼻で笑った。
「われらを見てみろ。われらが、好きでここに住んでいると?」
ガシュアスを腕をゆっくりと横に振って、辺りを示した。ゴブリンは、木や藁でできた家を作り、集落で生活するのが普通だ。洞窟に住むタイプもいるが、ここはあまり手が入れられていなく、お世辞にも居心地が良いとは言えなかった。
「われらゴブリンは、肌の色と同じ……緑とともに生きる種族。しかし、ここでは洞窟を出れば、あの村の愚か者どもに石を投げられる。狂暴な野良犬でも見たかのようにな! なぜ、われらがそんな扱いをされなければならない? 洞窟にこもって、虫やキノコで食いつなぐ生活を強いられるのだ」
「キノコうめーじゃん」
「む、む、む、虫も、お、お、おいしいのは、おいしいよね」
「黙れ!」
ガシュアスは緑の禿頭に青筋を立て、マックスとコットンを一喝した。
「静かにしろ!」
いらんことを言う仲間に対して、レビンも注意した。二人はしゅんとし、それを見たロキシーが楽しそうに口元を緩めた。
「悪い。続けてくれ」
「奴らは、われらの姿が視界に入るのが嫌なのだ。ゴブリンは、卑怯で暴力的な種族と思われている。雌と繁殖することしか頭にない、下劣な種族だともな。――認めよう。多くはそうだ。しかし、われらは無用な暴力は好まん」
悲しそうな目をし、ガシュアスは首を振った。ゴブリンへの差別は、かなり深刻だ。あるエルフの作家が書いた成人向けのマンガが世に出て、社会問題になったこともあった。
「ここを離れるという選択肢もあるはずだ」
「暴力を好まないわれらが、どこに行く? 暴力的な種族の食い物にされるだけだ。どこへも行けはしない。だいたい、なぜわれらが出ていかなければならないのだ?」
ガシュアスが言うと、護衛のゴブリンたちが「ソウダ!」「ココはデテいかナイ!」と叫んだ。
「まるでカーダイン村の人間だけが悪いように言うが、おまえたちはどうだ? 山に登った人間に石を投げたり、畑に腐った卵を投げたりしたらしいが。先に始めたのは、どっちだ?」
この質問に、ガシュアスはすぐには答えられなかった。視線を床に落とし、しばらく考え込むと、ようやく口を開く。
「さぁな。人間は愚かだ。自然を尊重せず、そこに住む者の意思を無視して破壊する。この辺りの山も随分と木が倒され、人間たちの〝モノ″が多くなった」
たしかに、この地方は田舎ではあるが、少し離れれば山々が切り崩され始めてきている。ギルドや産業や商業関係の会社がここら辺を買い取れば、すぐにでも「自然」という言葉とはかけ離れた施設が作られるだろう。
「われらは愚か者は嫌いだ」
「馬鹿だったら、石を投げてもいいと?」
レビンは再びため息をついた。
「わかった、もういい。あとは、ここに武器庫があるなら見せてくれ」
「なぜだ? 暴力を嫌うわれらとて、ここを守り抜くために作っている。だが、おまえたちに見せるつもりはない」
ガシュアスは、ちらりと隣の部屋に視線をやった。視線の先には、鉄格子の扉がある。そこが武器庫なのだろう。
「おまえたちが馬車を破壊したというのなら、それなりの装備があるはずだ。村の馬車なら簡単だが、商人ギルドの馬車だと、そう簡単には破壊できない」
商人ギルドの馬車は鋼鉄製だ。また防衛用の魔術がかけられている場合もあり、ゴブリンたちが今持っているような槍は役に立たない。
「断る。すぐに出ていけ」
ガシュアスは護衛に合図し、ゴブリンたちは威嚇するように槍を突き出した。
「人間が悪いとか、ゴブリンが悪いとか、もう何でも良いんで、さっさとしてくれません? 疲れたんで、帰りたいんですけど。さもなきゃ、力づくで言うこと聞かせますよ」
本当にどうでも良さそうに、ロキシーが欠伸をした。
その態度は、もちろんゴブリンたちを怒らせる。ロキシーの不用意な発言に、レビンは「くそっ」と毒づいた。
「貴様の牙を抜いてやろうか? 人間に牙を抜かれていないならな。血吸い野郎め」
「大きく出ましたね、緑の肌」
ゴブリンに揶揄された鋭い牙をむき出しにして笑い、ロキシーは軽く手招きする。歴戦の勇者さえも凍えさせる氷の笑みだ。
護衛のゴブリンたちは、みな顔を青くして後ずさった。
「ひえー」
おまけにコットンもびびらせた。
「やめろ」
レビンは、慌ててロキシーとガシュアスの間に移動して制止する。しかし、ガシュアスの怒りは止まらない。彼は椅子から立ち上がり、腰のナイフを抜き出した。
「われらは、長きにわたって多くの痛みを味わった。その痛み、貴様にも味わせてやる、人間」
ガシュアスが一歩前に出る。護衛もじりじりと距離を詰めていった。
「本気か?」
レビンは最悪の展開に舌打ちした。
かくして話し合いは決裂し、カウンセラーとゴブリンの戦いが始まるのだ。