第二話 弟、ジギスムント
「ジギスムント様、お願いですから勉強に集中して下さい。アンネローゼ様からジギスムント様が早く字をお書きになられる様にせよと申し付けられているのです」
「ふん、俺は今字を書きたくなどない。貴様、雇われ教師の分際で生意気だぞ、母様に言いつけてやる」
「あぁ、どうかご勘弁を」
泣きそうな目をして、僕に目を向けるのは僕らに文字の読み書きを教えている町の教師だ。ジギスは僕の数日後に生まれた。年は同じだが、形式上僕の異母弟になる。ジギスムントはいつもこうなのだ。僕は赤ちゃんの体に大人の魂という若干のズルをしてすぐに言語の理解から文字の読み書きまですぐにマスターしたがジギスは中々覚えられなかった。同じ授業を受けたはずの僕に先を越された事でひねてしまったのだ。
この世界には貴族と平民という身分階級が存在する。町の教師は平民で、僕やジギスは貴族だ。その貴族としての権力を使い、実にしょうもない事だがいつも勉強をさぼっているのである。そのせいで四歳になった今でも文字を満足にかけない。
そしてその事に文句をつけたのがジギスの母、我がリーベルト伯爵家の第一夫人アンネローゼ様である。ジギスの読み書きが遅いのは教師の怠慢である、と。恐らくこの教師は期限でも設けられ、その期限までに読み書きをできるようにならなければ解雇されるのであろう。契約満期での終了と途中での解雇はその後の仕事に影響があるのだろう。だから彼女も必死にジギスに勉強をしてもらいたいのだ。
ちなみに僕の母親である所の第二夫人リアはなくなっている。なんでも僕を産んですぐになくなってしまったらしい。らしいというのは僕がその当時乳母のゼルマに育てられていてリアとの交流を行っていなかったからである。当時はまだ言葉も覚えられてなかったので誰が母親なのかもわかっていなかった。なので正直なところあまり悲しいという感情がない。
ただ、生きていたら僕の事を守ってくれたのかなと思うことはある。アンネローゼは第一夫人であるにも関わらず産んだ子供は次男。数日の差であっても僕が長男なので家督の相続権は僕の方に優先権があるらしい。その事で目の敵にされているのである。
なので僕にジギスに何とか言ってという目を向けても無駄である。ジギスに何か言おうものならアンネローゼがすぐに僕にいちゃもんを言う。今回であればアルノルトは自分の兄弟の勉強を妨げ、家督相続で有利になろうとしている、とでもいうのかな? なんにしてもこの件にはかかわりたくない。
「お願いです、ジギスムント様に読み書きをできるようになってもらわなければ私はクビにされてしまいます。どうか、どうかお情けを」
あ、それは言っちゃだめだ。
「それはいい! 母様がいうには俺が読み書きできないのはお前のせいだと言っていたからな。教師が変わるならばそれに越したことはない!」
ジギスムントは母親の教育の賜物か自分が悪い行いをするはずがないという思考で物事をとらえる。また、これも母親の教育なのだろう。アンネローゼのいう事は絶対。そう仕込まれている。
もうこの教師のクビは確定的だろう。ジギスは間違いなくアンネローゼにこのことを伝える。雇われ教師如きが俺に意見したと。
僕にこの教師のクビを救うことは出来ない。
僕は自習をしながら、ジギスは遊びながら、教師は座り込み、泣きながら時間が過ぎていった。
勉強終了の時間になるとメイド長のヘレーネが迎えに来る。ジギスはヘレーネの扉を開けた音を聞くや否やすぐさま部屋から出ていく。朝の九時ごろから二時間ほど勉強をする。それからお昼を食べる午後一時くらいまで僕らは自由時間が与えられている。その時間でジギスは使用人たちを呼びつけ騎士ごっこをする。簡単に言えば騎士として悪い魔獣や盗賊を倒すごっこ遊びだ。横暴な性格をしていてもやはり子供、随分とかわいらしい。
ヘレーネはジギスムントの使った――未使用の――机の上に散乱している筆記用具を片付ける。これもいつも通りだ。
僕は先ほど自習していた時に書いていた手紙を持ち教師の下に向かう。ヘレーネが来ても教師は泣き止まず、鼻水をすする音が嗚咽交じりに聞こえる。……貴族の教師を下ろされる事はそんなにも経歴に傷がつくものなのか。
僕が近づいた事に気が付いたのか教師が顔を上げる。その目は真っ赤に腫れていて涙に潤んだ瞳で僕を見つめる。
「アルノルト様……。短い間でしたがお世話になりました。アルノルト様は大変覚えも良く私が教えられるような事は何もありませんでした。これから先もアルノルト様の教師としていられたらよかったのですが……」
涙をぬぐいながら彼女は僕に別れの挨拶を始める。
「ありがとうございます。三歳の頃からの一年間お世話になりました。あなたに教えられたことは私の中で活かされ続けます。誇りに思って下さい。最後に私からの手紙です。受け取ってください。」
僕は先ほど書いた手紙を渡す。彼女はその手紙を受け取り、内容に目を通す。彼女は仰天した表情を浮かべ僕の事を見る。その瞳には先ほどのまでの絶望に満ちた色から希望を見つけたような色になっていた。
「まぁ、この一年の学習の成果です。受け取ってください」
「あ、ありがとうございます!」
僕が書いたのはなんてことはないただの一年間の授業のまとめのようなものだ。僕が何を習ったか、彼女が何を教えたか。そしてジギスが何をしていたかを。インクを指に付けて拇印を押し、サインも書いたがそれだけだ。父さんにこれを見せてどうなるかなんて事は僕の知るとこじゃない。でもまぁ、きっと悪いようにはならないだろう。
ヘレーネには僕が手紙を渡したようにしか見えないはずだし、アンネローゼに告げ口されたりしないよね。
勉強を終えてからの二時間の自由時間。ジギスは中庭で使用人たちと遊んでいる。僕はそれを廊下から眺め、そのまま自分の部屋へと向かった。
町の教師から文字を教わって一月程で読み書きはマスターした。恐ろしきかな幼児の頭脳。文字の読み書きを覚えてからの僕の日課はもっぱらこの世界の書物を読むことであった。子供らしい遊びなど出来ない為、父さんに本を買ってほしいと頼んだ。この世界では前世のように大量印刷が確立されていない為、平民にはあまり馴染みのない物だが、貴族ならば容易に手に入る。平民だって首都のように大きな町くらいにしかないが、図書館に入る事は出来るし、冒険者ギルドといった施設には持ち出し厳禁だが、魔物の情報が記された本もある。
父さんから貰った本は僕位の子供なら喜ぶであろう英雄の物語だった。ジギスが騎士ごっこを始めたのもこれを読み終わってからだ。僕は自分で読めたけど、ジギスは使用人に読んでもらっていた。
本自体は面白かった。童話とはいえ、一度も聞いたことのない話だ、面白くないわけがない。ただ、子供でも読みやすい本だったため、すぐに読み終えてしまった。読む物に困った僕は父さんの書斎へと忍び込んだ。事前に父さんはこの時間書斎に来ない事はわかっていた。
小説から学術的な書物まで多くの本があった。中には父さんの隠していたであろう官能小説も。しばらく、童話や小説を読んで過ごしていた。
それから十か月程たったあるとき一冊の本を見つけた。それは今までの童話、小説と違い、学術的な本だった。そのたぐいの本には手を付けていなかったが、タイトルに目を引かれた。「初めての魔術~入門編~」だ。もう、なんというかありきたりなタイトルだが、僕の興味を湧きたてた。シンプルゆえに興味を引いたとでもいうのか。
さっそく僕はその本を手に取ってみた。随分と埃が積もっていた。長い間開かれていないのだろう。ならば持ち帰ってもばれないだろうと考え、僕はその本を自室に持って帰った。ただ、本を抜いた分隙間が空いてしまったので、父さんから貰った本「王国騎士とドラゴン」を代わりに入れておいた。まぁばれないでしょ。
そこから僕の自由時間は魔術の勉強時間へと変わっていった。
魔術とはこの世界のあらゆるところに満ちている魔力を扱う術全般を指し、そのなかでも火を出したり、水を出す事を魔法という。魔法以外の魔術では身体強化という術があって、自分の体内の魔力を操ることで身体能力を上げる事ができる。
僕は知識を得てから実践するタイプであったため、勉強を始めてもすぐには魔法を使わなかった。まずは、この一冊を読み切ってから練習するつもりだ。今日の二時間があれば終わるかな?
ご指摘、ご感想などいただけたら幸いです。
8/9 ゼルマは第一夫人にも関わらず産んだ子供は次男
アンネローゼは第一夫人にも関わらず産んだ子供は次男
上記を訂正しました