「シンプルな文章を書く技術」というのはあると思う
なろうの冬企画、冬の童話祭、始まっておりますね。
別名、冬の「大人童話祭」。
毎年思うのですが、作品のほとんどが大人読者向けでありますね。
なろうの読者は大人が大多数でしょうから、読者を対象にした作品を投稿したということで、それが正しいといえば正しいのですが。かくいう私も小さな子供向けではなく、児童文学として作品を冬童話祭に提出しましたけれども。
本来、童話というのは小さな子供向けに書かれた読み物を指すはず。
その点で、ほとんどの作品は童話ではないでしょう。幼児が好むような作品が一体幾つあるでしょうか。
童話。
子供向けの読み物。
幼児に読み聞かせるお話、というのが定義ではないかと思います。
……と思っておりましたが、私の勘違いでした。申し訳ありません。間違いであると御指摘を受けました。
童話の定義は広く、私の指すお話は幼年文学というものであると教えていただきました。
なろうの作品で幼年文学を書く場合、絵本のように絵の補助なしで(イラストを作品中に載せていらっしゃる方もいるかもしれませんが)投稿するわけですから、文章だけで子供の興味を削がずにいかにラストまでひき込んで連れて行くか、が肝だと思います。
そこには文章力はさほど関係ない、と私は思っています。
かえって精緻な描写力、など害にしかなり得ないでしょう。
想像がつかれるかと思いますが、精緻な情景人物描写なんてものは即座に子供の興味を失くす源になります。
その場合、オノマトペなどを使用して子供の興味をひくというワザなどが必要となるのではないでしょうか。
私は去年、なろうの冬童話参加作品の中で子供向けだと思われる希少な作品を選び出し、子供に読み聞かせをしました。
これがまあ、作品の描写場面で一気に子供の興味が失せること。
しっかりと書き込まれた描写であればあるほど逆効果。欠伸が子供から出始めます。読んでる私も飽き飽き。
直ちに私は描写を全部すっ飛ばして読んだものです。
幼年文学というのはストーリー一本勝負の、ものすごく厳しいジャンルなのではないかと私は思っています。
高い文章力、描写力を持っていようがそれがなあに、どうしたの、という至極苛烈な世界です。
第一に子供の興味をひくストーリーでなければ土俵にもあがれないのではないかと思っています。
事実、私が去年、子供と二人で選んだ冬童話のぶっちぎりの一位は、やはり童話らしい童話でありました。
余分な描写など一切なし。
よくある昔話のような、話の筋を追うだけのような作品でしたけど、それがいいのです。
プロの方も去年、何人か参加されていましたが、この童話ジャンルに関してはプロとアマの差はほとんど無かった、というのが読了した私の感想です。
むしろ、まだお話を書いて間もない初心者の方の作品のほうが、童話という枠で見ると私の感覚では優れていた気がしますね。
素っ気ない文章ほど、伝えたいテーマが心にダイレクトに響く、というのはあります。
哀れなストーリーなどは文章が簡潔で淡々としているほど、心に沁みることがあります。教訓もストレートに入ってくる。
それが、情感たっぷりの精緻な描写てんこ盛りの気取った文章で書くと、くどく、あざとい感じを与えます。更に教訓など含めていようものなら、なんだかいかにもですね、という感じ。
大人は美しい文章に踊らされる傾向にあります。ストーリーではなく、文章だけを味わって楽しめるのが大人です。
ですが、子供は正直。ストーリー第一。
どんな素晴らしい文章の作品でも、あっさりと自分が面白くないものは面白くない、と切り捨てます。去年の冬童話祭では、評価の高い、文章の達者な大人大絶賛の作品はだいたいがこのパターンですね。もちろん、作者さんは大人に向けて書いてらっしゃるのでしょうけれども。
子供向けに書かれたと思われた作品で、勿体無いなあ、と私が感じる作品がよくありました。
あっさりと書けば子供も気にいる良作であるのに、余分なところが多くて子供を脱落させる作品です。わかりやすくシンプルに書いた方がいいに決まっているのです。
タイトルの「シンプルな文章」――「素朴で素直な文章を書く技術」というのはあると思うのです。
そういう文章の方が作品を引き立てる場合もあるのです。
飾り気のない自然体の文章を書く力。
いかに、引き算の加減を知るかということですね。
文章のTPOをわきまえるということでしょうか。
幼い子供やご老人と会話するのに、難しい言葉を使用せず長々と話さない、という心遣いです。最低限度の文字数で簡潔におさめるのです。
読者に文章を合わせるのです。
幼年文学を例に出しましたけれども、他にもこの「素朴で素直な文章を書く」技術が必要な作品はあると思います。
のほほん系の可愛いお話、などが挙げられるでしょうか。
キャラクターの喋り口調はのほほんと可愛く書かれているのに、地の文が硬く知的なままの作品を何度か見たことがあります。それがその作者さんの個性だと言ってしまえばそれまでですが、私はやはり、そんな作品はアンバランスに感じます。
キャラクターたちの会話がわざとらしく感じるのです。
のほほんとしたお話を朗読するなら、流暢なオペレーターのお姉さんより、少々噛むくらいの田舎のお兄さんにしてもらった方が似合う、といった感じでしょうか。わざと拙く見えるように書く技術と申しますか。
このようなタイプの作品を書くには、柔らかく素朴な言葉を選び出すセンスが必要だと私は思っております。
以上のことをつらつらと、とりとめもなく書いてしまいましたが。
もし、これを読んでくださっている作者さんである貴方が、よくある昔話のようなものは誰にでも書けるし、簡単な言葉で飾らずに文章を書くのは誰にでもできるのだから、あえてそれをしようと思わないだけ、ということでしたら本当に失礼なことを申しましてすみませんでした。
どうして私がこちらのエッセイを書こうと思ったのか。
その理由を、述べさせていただきます。
今年の冬童話祭では、子供の読み聞かせ用の作品を探し出すのが今のところ絶望的だからです。
実は去年、冬童話アンケートに「大人向け、児童文学、幼児向け」等に冬童話作品をジャンル分けして、幼児向け作品が探し出しやすいようにしていただけませんか、という要望を出したのですが、採用は無理だったようです。
大人童話だらけの中で私の求める童話を探し出すのはいやいやかなり大変なのです。
今年の公式企画参加作品では、ざっと見たところ就学児以上を対象にして書かれた作品が多いような気配濃厚です。
スマホで、パッと探して、子供を寝かせる前にサッと読めるような話。それがあれば私は大助かりなのです。
ですから、こちらのエッセイを読んだ作者の皆さんが、冬童話祭に参加されて幼年文学を投稿する気になってくださったら、有難い嬉しいな、ということで書かせていただきました。
大人童話を既に投稿された方も、ストーリーに自信があるなら、そのお話の幼児向けバージョンをもう一つ書いて投稿されてみませんか。
ストーリーが優れていれば、シンプルな文章でも大人も子供も楽しめるはずなのです。
大人童話祭ではありません。
折角の童話祭なのですから、児童文学も幼年文学も盛り上がって欲しいですね。
私の子供を引きつけて何回も「読んで」と言わせるような子供向けの童話をどなたか書いていただけないでしょうか。
シンプルな文章を書くのも文章力だと言いたかった私です。その文章力で競った作品を見てみたいのです。
プロや文章力に定評のある作者さんなら、童話らしい童話、シンプルな文章でも、やっぱり一味違うなあ、という光る作品を書かれるのだろうと私は勝手に期待しております。
しかし、ほとんどの方がいつもどおりのスタンスで冬童話に参加されるので、勝手にガッカリを繰り返しております。