Brave & Deity
私は魔王。名乗る必要などないだろう。私は悠久の時を生き、リリシアの歩みを見守って来た、唯一の存在。
この世界に、神はもういない。強いて言えば、私という存在がいる位だろう。
一つ、昔話を話そうか…。
*
遙か昔、神は消滅した。
今から1200年程前の事だろうか。
其の頃の人間界は王国が一つしかなく、人族は全てその王国にて暮らしていた。全人類は、其処にある幸福を平和を安らぎを、ずっと守って来ていた。
だが、恙無く暮らす彼らの生活を脅かす者が突如として現れた。
それが、神だった。其の時まで世界の安寧を人と共に守っていたと考えられていた、世界を救うと信じられていた、神だった。世界に於いて神は、絶対的と言ってさえいい程の強力な存在だった。
其の神が、世界に牙を剥いたのだ。
当然、世界は混乱に陥った。リリシアの隙をつき、其れまで神を信じていた者達を隷属し、奴隷と化してしまった。
ところが、唯一人だけ、洗脳を受けなかった者がいた。
其れまで国の一庶民として暮らしていた、至って普通の少女。彼女だけが、神の駒にされなかった。
そして起こった戦争は、彼女にとっての地獄だった。今迄ずっと住んでいた彼女の国が、唯一柱の神によって分裂し、思想の違いを理由に戦いを始めたのだから。
戦場の人々は、総じて目が虚ろだった。いや、少女以外の全人類が皆、何かに取り憑かれている様に虚空を見つめ、感情の篭っていない口調で話していたのだ。
生ける、屍。
そう言い表すしかない物だった。
国には狂気が渦巻き、最早正気を保っている人間は自分以外にはいない事に、少女は気が付いた。
其れ故、少女は只管に逃げた。滅多に人の訪れない山へと入り、其処で生活を営んだ。
神が世界を乗っ取って、約一月が過ぎた其の時。彼女に世界が声をかけた。
“私の想いを貴女に託します。あの様な神に、私は屈しません。けれど、私には力が足りないのです。どうか、貴女の力をお貸し下さい。私が全力で、支援します”
と。
突然聞こえた声に驚きを隠せない少女だが、確りと其の意味を理解した時、其の目は更に大きく見開かれる事となった。
“あの…。貴女は?”
少女は問うた。
“私は、此の世界です。リリシア…いえ、リリシアーシャと申します。あの忌々しき神の洗脳にかからなかったのは、貴女一人だけです。私の力を持ってしても、彼奴には勝つ事が出来ませんでした。ですが、貴女ならば……若しくは、彼奴に勝つ事が出来るやも知れません。私の希望は、最早貴女一人なのです”
其の声は、其の澄んだ声は、答えた。
まるで、全てを包み込んで行く様な、優しげな声だった。
世界の声が、少女に呼びかけた。
世界は神の存在を許していないことを、選ばれし少女は悟った。
かくして、少女は神に挑む事と成った。
“気をつけて…。奴は、とても強いのですから”
そう言い残し、世界の声は掻き消えた。
山を降り街へと向かった少女の目に、戦場が映り込んだ。全ての人の目が、虚ろだった。感情を宿す者は其処には最早誰もいない。其の様な状況を作り出した神に、憤りを隠すことなく少女は挑んだ。
結果は、だが、大敗だった。
“此の世界は私の物よ。私の思い通りにならない事なんてないの”
相対した時、神は言った。其の言葉は僅かに嘲りを帯びていた。
か細い一筋の閃光によって少女は吹き飛ばされた。
少女は世界を守る為…、神への道を阻む者は全て切り捨てた。人を斬った感触は、其の手に残っていた。
たったの一撃で、其れも全力を出す気など全く無い様な攻撃で吹き飛ばされた。其の事実が、少女に絶望を齎した。圧倒的な力量差に、膝を屈しかけた。
瞬間、世界に光が舞う。世界による、五本の光の柱。美しい其の柱は神に操られた五人の人物に当たった。
三人の少年に、二人の少女だった。
少女は命からがら山へと戻った。
“何時でも来て良いわよ。直ぐに捻り潰してあげるから”
脱兎の如く逃げる少女に、神はそう言い置いたのだった。
時は過ぎ。
洗脳が解けた5人は、たった一人で戦う少女の元へと向かっていた。都より遠く、遥か高みに屹立する山々が見下ろす、そんな場所。
其処で彼等は、少女と出会う。
少女は、そして仲間を得た。
其れからも少女は神に挑み続けた。たった、一人で。
何時も少女はボロボロで、眼に宿る光は最早消えかかっていた。
何度も何度も、負け続けた。
--私は、神に勝つことなど出来やしないのではないか。
そんな思いが少女の心に渦を巻いた頃だった。
少年が、口を開いた。
“諦めるな。呪われた同族等は我等と敵対しているが、此処には6人も居るのだ。我等5人は其方の仲間なのだぞ。我等を頼れ。次の戦いは、全員で行く。我等も戦うと、誓おう。--その様な顔をするでない。我等6人は最強だ。我等で行けば、必ず奴を倒せる”
と。
そして、世界も。
“アリサ。貴女のお陰で、私は少しばかり力を取り戻しました。此の力を、貴女に授けます。ですから……どうか、彼奴を倒してください”
そう、彼女は言った。
その言葉に、彼等は光明を見出した。
そして彼等は、神の下へ再度足を運んだのだった。
少女も其の仲間も、正に勇者と呼ぶに相応しい人物だった。
少女等は、死力を尽くして戦った。
交錯する、光の線の数々。
激しさを増す、剣戟の音。
輝く球は圧倒的な熱量を以て辺りを破壊して。
どれが誰の攻撃か、戦っている彼女等にも判っていなかった。
否、そんな事を気にする余裕すら残っていなかったのだ。
そして--。
一際明るく輝く光が膨れ上がり、立っていたのは。
――勇者達の、ほうだった。
傷つき。
傷つけ。
立っているのも、やっとだった。
ふらり。
少女が、倒れた。
軽い音が、戦場に響いた。
生々しい血の跡。
剣による大地の崩壊。
空に立ち上る煙。
そして、何よりも。
最期まで抗い続けた少女の、絶対的な力を持った少女の、そうとは思えない程の小さな体躯が、其処には、在った。
“アリ、サ……?”
誰かの呟きが、戦場に木霊した。
人類は平和を得た。
人々は勇者達に、口々に感謝した。
だが。
彼等が満たされる事は無かった。
欲しかったのは、富や名声ではない。
唯一人、少女だけ。
自分達よりずっと前から神に挑み続けていた彼女はもう此処には居ない。その疑いようのない事実に、打ちのめされていた。
軈て、勇者と呼ばれた彼等は。
“幸せに、生きて”
彼女が遺した言葉通りに、自らの望む人生を歩んだのだった。
*
これで、私の語りは終わり。
神は消滅し、世界は平和になった。
***
私は世界を征服する。
其の為だけに、時間を費やしてきた。
「使い魔よ」
「はい、何でしょう?」
「決行の時だ、準備しろ。--時は、次の鐘が鳴る頃だ」
今魔王城に居る唯一の使い魔。私の言う事に忠実に従い、また諫めてくれる悪魔だ。
数多く居る僕の中で一番信頼していて、其の優秀さは抜きんでているものがあると思っている。
其の彼の眼が僅かに見開かれているのを見て、少しだけ笑った。
「承知いたしました。遂に其の時が来たのですね」
「あぁ」
彼は、満足そうに言い放った。
私の願いを知る者故に。
「魔王様。人間界ユーリア王国、亞人界リウラ共和国、準備が整った様です」
淡々とした口調で報告する、その感情が感じられない声と顔には何処か無機質であるかの様な冷たい印象を受ける。……まぁ、其れが彼の長所であり、短所であるのだが。
「獣人界獣国ミィハ、人間界アラリネ帝国、準備完了……。魔王様。全ての準備が整った様です」
「……そうか。人間、亞人、獣人の民衆は」
「今の所、動きはありません」
「ならば……開始まで、もう間も無くか」
「魔王様の願いも漸く叶うのですね」
「そうだな」
「……本当の目的は、世界征服ではないのでしょう?」
其の言葉に、僅かばかり瞠目する。
「何故だ?」
「魔王様を見ていれば、わかります。何年の付き合いだと思っているのですか」
「……まぁ、そうだな」
確かに、彼の言葉は核心を突いていた。
「リエル……其方」
私は彼を名で呼ぶ。
其れは、公私の境界を分けた会話をする、ということのサインだ。
「サリア様、彼此1000年は超えますかね」
私が魔王となった時とほぼ同時に、此奴は私の部下になった。……数十年等、誤差の範囲だ。
其の時から此奴は私の腹心だ。
其れは、私の名を呼んでいる事にも表れているだろう。
「其の割に其方は余り変わって居らぬのではないか?」
「変わりましたよ、私も。……サリア様の目の無き所で」
「……そうか?」
感情の無い目が、変わらず私を見遣る。
だが……。
「確かに、そうなのかも知れぬな」
「えぇ」
……この悠久の時を過ごすうち、私も少なからず変わったように、彼も何処かで変わったのだろう。
そんなことを、思った。
「魔王様」
「……あぁ。時間だ」
「では」
「いや、ここは私が。『時は満ちた。此れより世界を我が手中に収めることとする!……だが、誓え。何があっても、命を奪うな。征け!!……作戦、開始だ』」
全世界に居る私の部下に声が届き、命令が下った。
――リーリア、ユーリア、共に完了。
――アンドレ完了です。
――アラリネ完了しました。
――同じく、ミィハ。
――リウラも終わりました。
続々と聞こえてくる報告に、思わず口の端が上がってしまう。
「魔王様……。此れで、奴らを払拭出来るのですね」
「あぁ……、そうだな」
腐りきった、為政者共。
奴らを粛清し、罪科無き人民を解放する――。
此れが、今回の目的だ。
全ての人種が、差別なく、平等に、そして何よりも平和に暮らせること。
――其れが、私の願い。
此の世界の為政者共は、全てが全て腐っている。腐敗している。私腹を肥やし、私利私欲の為に政治を動かす。民への圧政は日常茶飯事であり、民草を同じ人と思っていない。
……此れを腐っていると言わずしてなんというのだろうか。
「終わったか……。民衆は」
「はっ。……誰も気付かぬようです」
「……そうか」
どこにいるかもわからない雲の上の為政者より、日々の暮らしが大切なのだろう。
「如何されますか」
「……そうだな、魔法で声を散らすか。手伝ってくれるよな」
「仰せのままに」
そして、術は完成した。
「では……」
「ああ。発動するぞ」
其の日、魔王サリアの声は、全ての者に届いた。
「皆の者、よく聞け。私は魔王だ。……皆の上に立ち、皆を虐げていた為政者共は、我々が全て拘束した。此奴らは、其方らで好きに断罪するがいい。此の世界は我々が掌握した。発展の無き現在を望むか。豊かに暮らす未来を望むか。――自らの心に問え。良き返事を、期待している」
世界に響き渡った其の声に、一瞬の戸惑いののち、ある者は狂喜乱舞し、ある者は侮蔑と嘲笑を、ある者は憎悪と悲哀を表した。
「ふふ」
何故だか、笑いが込み上げてくる……。この高揚した気分が、とても心地良い。
「漸く、叶ったのですね」
「あぁ。……後は、私が腐らぬ様に心掛けなければな」
あの為政者共の様に、断罪されては敵わない。……それに民衆の期待を……、いや、自分の想いを、此の胸に抱く決意を裏切る事になってしまう。
「魔王様……。貴女が腐るなど、あり得ぬ事です」
「そうか?」
「……私達は、存じております。貴女が此の日を待ち望んでおられた事を。平和を誰よりも望んでおられた事を」
「リエル……。其の様に思っていたのだな」
「えぇ。私は誰よりも近くで貴女を見ておりましたから。……其れはそうと、私の約束も叶えてください」
「其方の願い、か……」
彼と魔王として初めて会った時、私の願いを知る彼は言った。
“貴女の願いが叶った暁には、私を貴女の婿にして下さい”
其れが、彼の言う願いなのだろう。まぁ、あの時は了承したが。
「此れから、忙しくなるからな……」
「存じております」
「……叶えてやる事も、吝かでは無いが、な」
「っサリア様……!」
「エル、私だって待ち望んでいたさ。其方と同じ様に、此の日を。……解放も、此の願いも、等しく私の願いなのだからな」
最後の方は、小さく呟く。……聞かれては、敵わないからな。
「エル。私の事を愛称で呼ぶ事を許そう。……伴侶たるもの、名前で呼び合わなければならぬだろう?」
「……!はい!サリ様!」
「様はいらぬよ。敬語も不要だ。畏まる必要など無いのだから」
「そうで……そうだ、な。……サリ」
「そうだよ、エル」
エルが昔の口調に戻ってくれたから、私も昔の様に話す。
エルが、玉座に流れる私の髪を手に取り、其処に口付けた。
「サリ、愛していた。ずっとずっと……!君が人の世からいなくなった時から探し続けていたんだ!……まさかこうなっているとは思いもよらなかったけれど。リリシアに何か言われたんだろう?君の側に居たかったんだ。いなくなってしまって、本当に焦った。君が俺に与えた物を、まだ返しきれていなかったから……。与えられる事に甘んじて、返そうとしない俺への罰だとも……!だから、もう一度会えた事を、リリシアに感謝したよ。……魔王様、俺の愛しいアリサ。どうか此の剣を、受け取って下さい」
「…………はい」
私が居た国では、騎士が姫君に剣を捧げる事がプロポーズだとされていた。リエルは、きっと其れを擬えたのだろう。
言っている事が整理されていないのに、こういう所だけは確りしているのが、彼らしいと思えた。
「エル、私にも言わせて。あの日には、あれ以上の結末は無かった。一番少ない犠牲で、残されるべき人が残されたの。でも……私だけで良かったのに。貴女が此方に来る必要など無かったのに……」
「サリ。此れは、俺の意思だ。君の側に居たいという俺の身勝手な我儘でしかないんだ」
「其れでも……。……まぁ、貴方が来てくれて寂しさが薄らいだというのは、否めないけれどね。私もこうなって大変だったしね……。だから、ありがとう、エル」
「サリ……」
不意に、ぎゅうと抱きしめられる。肩に頭が乗せられ、耳許で声が聞こえた。
「君に出会えて良かった。大変な時も、二人で乗り越えよう。俺が傍に居るから、安心してくれ。愛している、アリサ」
二人の唇が、重なった。
***
あれから、何年かの時が経った。
腐った人間は怨念が大いに篭った民衆達に断罪され、全ての国だったものは、魔族、ひいては魔王の統治下に置かれた。
今日も世界には、笑顔が花開いている。
暦が変わり、勇魔暦となってからは、魔王領のどんな地域でも、人々の笑顔が絶えない日々が続いていたのだった。
魔王サリア――勇者アリサ――、魔王の僕リエル――勇者エル――による治世は、此れからも末長く続いていくのだった。
こうして、世界には平和が訪れた。
*
1200年程前の事、世界の意思を汲み、世界を救った少年少女。彼等は世界の意思により、親友の願いを叶えられ、其の手に幸せを掴んだのだった。




