アレグロ・アッサイ
アレグロ アッサイ
安岡 憙弘
私の中でいつも心の中にずっと残っている音楽記号があった。アレグロ・アッサイであった。アレグロとはモデラートとプレストの間の記号であることは知っていたがアッサイとは一体何であるのかと私は考えていた。この記号はベートーヴェンの月光のソナタの中に指示されている記号でであるので私は月光のソナタを聞いてみることにした。
第一楽章はゆっくりとした曲想であった。月光というからには月がみえねばならぬと思い私は目を閉じた。しかし私の夢想する中には月はどうしてもあらわれてこない。それどころか真っ暗闇であった。私はおかしく思ってCDの裏を手にとってみるとそこにはアレグロ・アッサイの記号があった。私はアレグロ・アッサイとはつまりス少しゆっくりめのテンポであるのかと思って第二楽章にCDプレーヤの早送りの機能を使って1楽章をとばした。
第2楽章は少し人を小バカにしたような曲想であったので第3楽章へとまた早送り機能を使った。私は第3楽章は突然プレストになったのでおどろきを隠せなかった。しかしここになにか秘密があるものと思って我慢して曲をきいていた。すると曲の半ば程でチャチャ、というサビの部分の弾き方が変わったように思ったので今度は巻き戻し機能を使ってもう一度中ほどにCDをもどした。
するとやはり中ほどのチャチャはなんというか少しおかしな感じがするのであった。
私はこれがアレグロ・アッサイとなにか関係があるのだなと思ってCDを止めてそのことについて少しばかり考えずにはいられなかった。
私はアレグロ・アッサイのアッサイとは少し速めなのかそれとも少し遅めなのかと考えずにはいられなかった。
しかしもう少し早目だとしたらどんな感じになるだろうかと少し考えた。
しかしそれはやはり月光のイメージにあまりふさわしくないので考えを捨てて次の考えに移ることにした。
私は第3楽章の半ばで曲が転換したことを思い出し私の独りよがりかもしれないと思ってみな同じことは感じるまいと投げ出そうとした。
私が席を立ちかけたその時私はベートーヴェンは晩年耳がきこえなかったことを思い出した。月光は耳がきこえないとどのように目にうつるものかと私は考えて再び腰をおろした。月光は耳がきこえないと全くの別物になるというのが私の考えであった。私はそれからアレグロ・アッサイについてもう一度考えてみた。すると耳がきこえないとアレグロ・アッサイは少し速い方が適当であるような気がしてきたから不思議だった。
私は再び第3楽章について考えてみることにした。
第3楽章はプレストであった。しかしもしアレグロ・アッサイ適用してみるとすればなんと第3楽は曲のテンポを速目なければどうしても楽想がおかしくなってしまう。私はこれは何故かと考えてみるにベートーヴェンは耳がきこえなかった為に正確に速度記号をつけることができなかったのではなかったかと私は考えたわたしはベートーヴェンは好きではないがその偉大さに不思議と胸を打たれてこのCDのジャケットを閉じた。