覚え書き
目の前には十キロの粘土の塊。先ずはよし、やるぞ、と気合いを入れる。次はゆっくり目を閉じて、少し空気を吸う。僅かに溜めてから体中から毒素や雑念を追い出すように、細く長く息を吐く。閉じた時と同じくらいゆっくりと目を開ける。そしたら私は皆とは紙一枚分だけずれた所にいる。そこでは時間がゆったりと流れていて、耳栓をしているみたいに音が遠い。そこにいるのは私と制作に必要な物品だけ。ヘラを握って粘土の塊に向き合う。
新品の粘土は柔らかくて瑞々しく、良い匂いがする。まだ形にはなっていないとはいえ、大事な作品だ。丁寧に丁寧に扱う。パーツをヘラで少しずつ削りだしていく。小さなパーツは乾燥しやすくて、すぐに硬くなる。硬くなった粘土はヘラより彫刻刀の方が都合が良い。小刀で鉛筆を削るのと同じ要領で削っていく。削りカスの粘土も捨てずに纏めておく。空間には粘土を削る音と、私のゆっくりとした呼吸音が満ちている。
やがて粘土は細かい造形に入る。見える所も見えない所も美しく仕上げないといけない。特にエッジは重要だ。私は集中力の糸を更に引き絞る。ヘラを握り直す。呼吸を止めて、自分の宝物に触れるより優しいタッチでエッジを整えていく。少しのズレも許されないから、全てのエッジを美しく仕上げるのには途方もない時間と集中力がいる。作品が仕上がっていく喜び、楽しみを集中力に変えて、私はまた粘土にヘラを入れていく。