「人が真理のために打ち殺されても良いのか?」キルケゴールの人間論 試論。
真理はいつだって、外在的でありそこには
この虫けらのごとき人間なんて
いわば最初から眼中にはない。
それゆえの、、真理であり
真理は時として
人間の地平線を軽く
打ち壊すことだってある。
だから?
ある人が
真理を信じ、、
かつ、
真理を内在化させたなら
その時
人は、、その真理のために
打ち殺されることすらあるだろう。
これがキルケゴールの見通した、、一つの真理だったのである。
ごくごく、、、
単純化して言うならば、、、
真理は決して人間の身方なんかじゃないってことさ。
真理はむしろ
いつだって人間には空恐ろしいものさ。
そういう空恐ろしい真理の三次元空間で
常に恐怖にさらされているのが
我ら、、そう、、哀れな虫ケラに過ぎない、、、人間の姿ですよ。
つまり
真理は常に
人間を打ち殺し続けてきた、、
それが宇宙の真実だった。
宇宙に於いて
銀河系に於いて
太陽系に於いて
そして、、
この地球に於いて
今すぐ
全人類が消滅したところで、、、
宇宙が
銀河系が
太陽系が
どうにかなる?ってことは全くありませんね。
まあ、俗な言い方ですが、、、
人類なんて今すぐ消え去っても、、誰も困りません。
というかむしろサッパリして?良い?かもしれませんね?
というのは、、
今、エコとか、、地球環境とか、、大気汚染とか、、温暖化とか、
絶滅危惧種とか、、
いろいろ取りざたされてますが、、
そのすべての原因は「人類」ですよ。
人類がこの地球上から今すぐ消えてなくなれば
こうした問題は即、、解決なんですからね。
人類がこの地球にいるってことが、いわば、悪の元凶なんですよ。
人類が汚染し、、食いつくし、、破壊したからそうなったんですよ。
これが、、、、真理なのです。
でも?
じゃあといってあなたは
そして私は
人類滅亡計画に賛成ですか?
それはできませんよね?
なぜって?聞くまでもないでしょう。
あなたが
そして私が
人類だからですよ。
まあだから、、宗教的な言い方をするなら
人間って、罪深い存在なんですよ。
というか
悪、、そのものかもしれませんよね?
そんな悪である宿命を生きていく
わたしって
そして
あなたって
一体、、?
まあしょせん
人間だなんて威張ってみても、
あなたも私も
神の被造物にすぎません。
あなたは自らを創造しましたか?
そうじゃないでしょ?
気がついたら、、生まれていた。
生かされてた、
別に母親に頼んで、生まれてきたってわけでもないでしょ?
気がついたら、、生まれてた、、それだけの存在ですよ。
偉そうなこと言ってみてもね。
あなたの意志で、、男を選択した?ってこともないしね。
あなたの意志で、体型、、皮膚の色、、人種を、、希望した?ってわけでもないしね。
気がついたら、、日本人だった、、男だった、、というだけです。
だから、、
しょうがないんですよ。
こんな虫ケラみたいな人間存在が
真理に打ち殺されるってこともね。
でも?
はいそうですか、、
といってむざむざ打ち殺されるのも、、癪ですよね?
というのは人間は神に似せて作られたから、、
理性と認識を持ってるからですよ。
動植物次元の
はいそうですか、、そうなりましょう、、見たいに、、
「従順」には、なりずらい?んですよね。
まあ、そこが困ったところですがね。
だから
「人間が真理のために打ち殺されてもいいのか?」
と、神に対して、挑戦的な言辞を弄してみたくなるわけですが、、
まあ
でも、
敗けるのは、、いつだって、、人間です。
老い、病み、、疲れて、、、哀れに死んでいく運命、、、それが人間だからです。
私ですか?
私は、、、
こんなに老いてしまった今は、、もう、
神に挑戦する気もありません。
というか昔から神に挑戦しようとも思いませんでしたがね。
だって、
神が勝つに決まってるんですから。
敗れるのは100パーセント人間のほうです。
私はこうして
いまはもう、
人間に与えられた生老病死の運命の流れに身をまかすばかりです。
人間の運命を拒否しても
死よ、驕るなかれ。と
神に宣言しても
そんなの、、みんな、、むなしく、虚空に消え去るばかり、、
もう
そんなむなしい、虚勢は 張る気もないです。
今はただ、、、
やがて
この生が
終る時には、
私の墓の上に
穏やかな秋の麗日のような、、、
静けさがありますように、、と、
祈るだけです。
。